THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

経営者を育てる社外取締役という仕事

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コーポレートガバナンスコードは使える!

先日、自社の取締役会に対する自己評価調査票を提出しました。2015年6月に日本の市場に上場するすべての企業を対象として導入されたコーポレートガバナンスコードという上場企業の行動規範に則って取締役会が機能しているかをチェックするためのものです。

私は大学生のときには会社を「社会の公器」であるべきだと考えてきました。もちろん、自然発生的に生まれたものではなく身近な人や環境から影響を受け次第に醸成されたものでした。よって、その実現手段についてはどうしても試行錯誤となります。

今回のコーポレートガバナンスコードは特定の利害関係者に偏ることなく長期的な事業発展を促すことを会社のあるべき姿と位置づけているので、私にとってはようやく上場企業が社会の公器であるためのガバナンス上の一般概念が整理され「これは使える」と感じています。

経営者の変化をただすコーチ陣としての取締役会

私が考える公器としての発展を目指す上で最大のリスクとは人間の変化です。ここでいう変化とは経営者が暴走もしくは怠惰に陥るという意味での変化です。

現在の当社の取締役構成は社内2名、社外2名です。そして常勤監査役1名、非常勤監査役2名、さらに法的権限はありませんが、社外取締役に準ずる役割としての顧問1名と合計8名を取締役会参加メンバーとして構成しています。

 自分以外の全員が経営者としての私にとってのコーチです。つねに直言が飛び交い、承認事項や報告事項に対して見直のみならず却下されることも少なくありません。

このような現在の体制は誰かから要請されてできたものではありません。私自身の暴走と怠惰に対する恐怖感から必然的につくられたものです。 

現役経営者が自身をふり返る機会としての社外取締役という立場

社外取締役の意義に対する認識は、過去の自分自身の社外取締役経験が元になっています。一つは東証一部のアルプス技研(4641)、もう一社はマザーズ上場のカヤック(3904)です。いずれも業種業態が異なるなか、貴重な経験機会をいただきたくさんのことを学ぶことができました。

 それまでは自社の経営しか経験したことがありません。社外取締役という立場にかなり戸惑いました。行き着いたのは自分の経営者としての経験を通して感じた違和感を可能な限り直言していくことでした。その上で必ず「発言する」ことを決めて臨みました。

 ところが現役の経営者の方々を前に社外役員として自由に発言するのは難しいものでした。「まぁ、首になってもいい立場だから、遠慮しなくていいだろう」と清水の舞台から飛び降りるつもりで発言することもたびたびでした。

そのような経験を通し、外部の人間が直言しやすい環境をつくることは思った以上に簡単ではないことを痛感しました。以後、自社の取締役会をはじめとした経営会議にて自由闊達な発言が本当にできているのか、従来以上に注意するようになりました。

シン・ケツゴウの可能性を高める機会

また、自社のガバナンス状況を客観視する機会とは別に、新たな事業機会を涵養する場としても役立つものでした。自社とは異なるビジネスモデルやコーポレートストーリーをはじめさまざまな未経験領域に当事者意識をもって触れることで新たなビジネスチャンスや発想を磨くこともできます。

相手方にとっても異なる経営経験を持つ人間が発する違和感や発言は少なからずなんらかのインパクトを与えていることも実感できました。通常の事業提携や資本提携よりもゆるやかなものではありますが、新たな発想や可能性を生み出す環境としてなかなか貴重な機会でした。

そのような経験から、上場企業の現役経営者が他社の取締役を引き受けることは事業の再構成や新結合を産み出すための施策としてかなり有効であると思います。異なる業界同士であれば双方の経営資源を結びつけ新結合による新たなビジネスが生まれる可能性も高まります。同じような業種であれば経営統合などが円滑に進むかも知れません。

いずれにせよ、現役経営者が自社の経営をおろそかにしない範囲で異なる企業の経営にも触れることは自社の経営にとってプラスとなることは間違いありません。

経営者の成長にもコーチと客観視できる環境が役立つ

経営に限らずなにごとも自己流ではいずれ限界に達します。経験上、その限界を超えるために役だったのは、優良なコーチの存在と自分を客観視できる環境です。よく経営者は孤独だという言葉を耳にすることがありますが、本当に孤独であってはいけないように思います。常に苦言を呈し高い目標設定を与えてくれるコーチに恵まれ、一方で自分自身の経営を客観的にふり返ることのできる経営者としての研鑽環境を持つことができれば孤独に取り組む以上によい会社つくりに貢献できると確信しています。

自社のことに一生懸命になるあまりに自己流で独善的な経営となっておかしくならないよう、これからも暴走と怠惰を許さない厳しいコーチとともに切磋琢磨したいと考えています。

ピアノ協奏曲、横から見るか 上から見るか

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「やばい、やばい、これはやばい!」心の中でなんどもつぶやきながら釘づけ状態。Yuja Wang(ユジャ・ワン)若き天才ピアニストの超絶技巧ピアノソロです。鳥肌が立ち続ける演奏を聴くのは久しぶり。彼女の手にかかるとモーツアルトのトルコ行進曲がこんなことに!

www.youtube.com

さて、ユジャ・ワンの話題はここまで、今回はその演奏を見る位置の話です。

昨晩、ニューヨークでのこと。訪問先でアバントの社外取締役でもあるジョルジュ・ウジューさんから「今晩空いているか?」と聞かれ「大丈夫だ!」と返すと、「OK、それじゃぁコンサートへ行こう」とその場で映画のチケットのように自らネットで座席指定。「ピアノの演奏を見るのはここがベストなんだ」と彼が指定したのはLincoln Center David Geffen Hall三階の舞台に向かって左翼前方の席でした。

そこで聴いたというか見たのがユジャ・ワンの演奏です。ロンドン交響楽団によるワーグナーのマイスタージンガー前奏曲から続く二曲目が彼女をメインとするラヴェルのピアノコンチェルトGメジャー(協奏曲ト長調)です。リンクを貼ったYoutubeのトルコ行進曲はそのアンコールの二曲目でした。

マイスタージンガーは普通に聴いていたのですが、グランドピアノが指揮者の前におかれユジャ・ワンの演奏が始まった途端に「やばい」状況になります。

ユジャ・ワンの超絶演奏を左後方上から覗き込むことでまるでCG処理をしている映像を見るがごとしなのです。鍵盤と手指がピアノブラックの鏡面に写りこみ、その先にある弦とハンマーの動きと連動するさまは圧巻です。映画「海の上のピアニスト」で主人公がジャズピアニストの大御所と演奏バトルするワンシーンのようでした。

movies.yahoo.co.jp

この席は演奏のすごさを味わい尽くすことができる。こんな楽しみ方があるのかと感動しきりです。交響曲には交響曲の、オペラにはオペラの、そしてピアノコンチェルトにはピアノコンチェルトの楽しみ方があります。もちろん流派は人それぞれ。それでも今回のポジションは本当にすごかった。

ちなみに、オペラはできるだけ前の席がよい。これはまた別の師匠から教えていただいたことです。いろんな座席を試してみましたがこちらも納得です。

今回は音楽がらみで好きな映画をあと二つほどご紹介いたします。

movies.yahoo.co.jp

この映画がきっかけでラフマニノフを聴くようになりました。

movies.yahoo.co.jp

この映画の中心をなすチャイコフスキーのバイオリン協奏曲が私はクラシックで一番好きです。この曲をアレンジして使った映画、ライトスタッフが好きだということもありますが。

上記三作、見るたびに泣きます。こういった映画を見るのは、一人気兼ねなく泣ける場所がいいですね。

支える側もすごい! 第24回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)

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ハセツネCUP!今年も参加してきました。

やっぱり今年もハセツネが一番印象に残るレースでした。

blog.runavant.com

そこで今回は71.5km、16時間56分のレースを4分20秒の動画にしました。

ビデオの撮影ポイント

撮影ポイントはスタートからゴールまでの17ポイントです。スタッフの方々から必ず声をかけていただきました。撮影しなかったところでも大会スタッフの誘導サポートがありました。選手の中には約40名のマーシャルと呼ばれるレース中に負傷した選手の救護やレース運営の支援を行うサポートランナーもいます。寒空の下、夜を徹した沢山のサポートにただただ感謝です。

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冒頭の写真は⑯日の出山からの夜景です。

それでは4分20秒でハセツネCUP!

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TEAM AVANT

今回アバントグループからの参加は4名、40代が2名、50代が2名です。全員無事完走しました。レース直後は来年のことは考えたくないという雰囲気でしたが、二、三日経つとまた来年も出ましょうということに。これこそハセツネマジック。

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ありがとうございました!

動画を編集していて、大会スタッフの方々をはじめたくさんのサポートにものすごく支えられ守られていることを改めて実感しました。支える側もすごいレースです。スタッフや関係者の方々に心から感謝です。ほんとうに素晴らしい体験機会をありがとうございました。

大人の遠足? もうすぐ第24回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)

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三大ランニング祭りの大トリ、ハセツネ

来週10月9日から10日にかけ、第24回日本山岳耐久レース、通称ハセツネCUPが開催されます。場所は東京の奥多摩山域、あきる野市五日市中学校からスタートし奥多摩湖の近くまでをぐるっと取り巻く奥多摩の山々の登山道71.5キロ累積標高4832メートルを24時間以内に走破するというものです。

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(赤い部分です。東京の西にはいい山があります)

個人的には2月の東京マラソン、7月の富士登山競走、そして10月のハセツネがランニングの三大イベントです。首都を走る東京マラソン、富士山をひたすら登る富士登山競走、そして奥多摩の山々を夜を徹して走破するハセツネとそれぞれ個性的かつ魅力的なレースです。

なかでもハセツネは24時間以内という長時間レースであることだけでなく、ナイトランが中心になること、エイドステーションも1カ所で水の補給のみということから他のレースと比べて断然装備の重要性が高まります。

装備の準備が楽しい

走力のある選手だとレース時間が短くなるので装備も軽くてすみます。逆にそうでないと気象条件や万が一の備えなど物量が増加し、一層タイムも遅くなるということなります。

走るということにおいて、軽いことは絶対的に有利です。しかし、ハセツネ用の装備では水だけでも2キロ以上です。必要なものを詰めていくと簡単に5キロを超えてしまいます。富士登山競走の場合は装備らしい装備はほとんど不要なので自体重を落とすことに注力しますが、ハセツネでは装備のほうに注力というか楽しみを見いだしています。

装備品のリストをつくり、昨年の利用状況を参考に必要な入れ替えを行います。新たに調達したものは練習レースで使用して本番利用するかどうかを判断します。そうやってひとつ一つ準備していくのは、まるで遠足の準備です。

なお、レースで設定されている24時間という制限時間は、少し速いペースで歩き続ければ走破できる時間設定なので参加者もそれぞれの楽しみ方を堪能しています。昨年36キロ地点の三頭山山頂付近で小休止の合間に携帯用コンロでラーメンを作っている人を見かけたときは、「おっ、いいな!」と思ってしまいました。

主要装備品の改善状況

日中の3時間から5時間程度のトレランでアパレル以外で必要な装備といえば以下が三点セットです。

・シューズ

・バックパック

・ハイドレーションシステム(水筒などの水分を携帯する道具)

天候が比較的安定してエイドステーションが充実していれば、エネルギー補給用のジェルや水分もほとんど必要ありません。バックパックも状況によってはなくても走れます。ところがハセツネの場合は基本的に補給も水も必要なものはすべて自分でしょっていく必要があります。ハセツネ用として必要になる装備品は次のようなものです。

・ヘッドライト:夕方から朝まで12時間以上はライトがないと走れない

・ストック:22.66km地点の第一関門、浅間峠より使用可能となる

・防寒具:天候により放射冷却があり、かなり冷え込む可能性がある

・食料:食欲は走行中に低下する、自分にあった食材の選択や摂取順番がカギ

・水分:不足すると一発でリタイヤリスクが高まる

・簡易サバイバルセット:転ぶこともある、眠さに負けることもある

個人的には上記以外に「塩」も必携です。汗を大量にかきながら意識がもうろうとして来たときの効果はてきめんです。

昨年の装備でもいけるのですが、実戦で改善の必要を感じた三つについて装備変更を行うことにしました。

1.まずハイドレーションシステムの構成を変更

人にもよりますが、2Lがひとつの目安です。かつて背中に水嚢を背負ってチューブで補給するタイプのハイドレーションを使っていたために残量がわからず、炎天下の中残り10キロ以上残して水を使い果たして走れなくなったことがあります。それ以来、残量のわかるボトルタイプを使っています。通常使用しているのは500ml程度の容量のボトルですが、それを二本持っても1Lにしかなりません。

そこで昨年は750mlを2本差しにして、バックパックに予備として500mlを入れていました。ところが、これが走るとかなりじゃまになります。しかも暗闇の中で転んだ際に1本どこかに落としてしまいました。関門を過ぎてから気がついたので戻るわけにも行かず少々焦りました。

そこで今年は水嚢タイプのハイドレーション2Lを復活させることにしました。水嚢に1.5L程度入れこちらをメインとして身体にフィットするタイプのフロント500ml×2のボトルを補助とします。これにより走行が安定し、かつ水筒ロスのリスクも分散させられます。

2.ライトを霧にも対応できるように構成変更

昨年はPetzlのNAOというかなり明るいヘッドランプをメインに、予備として手持のGEN325を持って行きました。光量は十分だったのですが、夜中、雨が降ったり霧が出たりという状況では光が霧に反射してほとんどなにも見えないような状況にしばしば陥りました。

試走してなんとなく道を覚えていたことや、前後にも人がいたことでなんとかしのぎましたがかなり気をつかいながらの走行でした。そこで今年は濃霧にも強いタイプのUltraspireのLumen600という腰ベルトと一体になったライトを調達しました。

先週土曜日に参加した、南高尾城山陣馬サンセットトレイルレースで日没後の雨の中で試したところ効果は絶大。腰の位置からの照射と少し黄色がかった光色により多少の霧であれば問題ありません。手持ち用のGEN325と入れ替え、今年はNAOとLumen600のコンビでナイトランを楽しみます。

3.ストックを軽量化

ストックを使えるトレイルレースは限られているのですが、ハセツネでは途中から使用することができます。私も普段はストックを使えるレースでも使用しないで走っているのですが、ハセツネはさすがに長いので昨年のレースで初使用しました。

やはりクワトロ(四駆)、登りも下りも平地でさえ四駆は強い。後半ストックを使用していない人とのペース感がだいぶ違うことに驚きました。しかし、ストックに頼りすぎました。50キロを過ぎたあたり、大岳山の手前あたりで一本、ポキッと折ってしまいました。

カーボン製で強度もあるものでしたが、岩の割れ目に刺さったものを無理矢理引っ張り上げたためさすがに耐えられなかったようです。幸い難所は越えていたのでその後の行程への影響はあまりありませんでした。ただし、なおせるものではないので新たに調達する必要が生じました。

使用していたものはむしろ気に入っていたので同じものを調達するつもりでしたが、偶然軽量のものを発見したのでそちらにすることにしました。GuidettiのPlumeです。なんと一本85g!二本で170g。昨年つかったものも超軽量でしたが355g。その半分以下という軽さに驚愕です。

難点は折りたためないこと。そのため、使用可能となる場所までは槍をしょった狩人のような格好で進むことになります。木が密集しているところなどは扱いにくいところもありますがこの軽さは使用時間が長くなるほど効いてくるのではと期待しています。

走るためにはいらないけど重要な装備

走ることとは直接関係ないのですが、後からふり返る際にGPS機能のついたアクティビティトラッカーが欠かせません。このブログでも時々Garminで計測したデータをつかって心拍数や行程をビジュアライズしていますが、現在使用しているGPSウォッチでは計測精度を高めると20時間ギリギリです。昨年は予備のバッテリーを持って途中で充電しながら走っていました。これが結構面倒で代替案も検討したのですが、データはしっかりとりたいので今年もこれで行くことにします。

もう一つがカメラです。途中写真を撮りたくなることはあるのですが、立ち止まるとペースが乱れるのでなかなか難しいところです。またスマホでは操作性がいまいちで行動しながらだとよい写真が撮れません。アクションカムも検討しましたが、現時点では購入には至っていません。現場の画像が撮れるとよいのですがこちらは次回へ持ち越しです。

大人の遠足

さて、今年のハセツネには2700人を超えるランナーや登山家がエントリーしています。中でも40代がボリュームゾーンで1200人超です。50代が600人弱、60代が80名弱、70代も10名です。20回以上の完走記録を持つ方が17名、10回以上が250名です。

継続性が高いスポーツでもあるので今後50代、60代のランナーは増えるでしょう。80代のランナーが登場するのも近いと思います。

山を走り歩くというこのスポーツは見た目のキツさとは異なり年齢を重ねても楽しめるスポーツの一つです。

ただ、超高難度のレースに注目が集まり、面倒さとか苦しさとか心身両面の壁を簡単にイメージできるのでちょっとハードルが高いように見えるのかのしれません。

たしかに自分自身レースで走っているときは、必ず「なんでこんなことやっているんだ」と後悔の気持ちが沸いてくるフェーズがあります。必ずです。ところが、それでも走り続けていると次第にそんな気持ちが薄れ、身体のキツさが増してくるに従って、走れていることにただひたすら「ありがとう」と思える不思議な感覚が強くなります。

そして終わるとつらかったことさえ愉しい記憶になります。

これが至福なんですよね。大人の遠足たるゆえんです。

少しでも長く愉しめるよう、無理せず遠足に行ってまります。

メンタルに効くランニング負荷のかけ方

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今年のシルバーウィーク、天候がいまいちで残念ですね。今年は通常登山を含め富士山の頂上まで登っていないので、天気がよければ一本やっておきたかったのですが延期です。初冠雪まであとわずか、チャンスはあるかな。

週末のアクティビティ

こんな週末になるとなぜか思い出す20代の頃の情景があります。ある日曜日の朝、ぼんやりと天気予報を見ながら、「いい風が吹きそうだなぁ、ウィンド(サーフィン)に行くかいくまいか」そんなことを思っているシーンです。

当時は仕事もさることながら、仕事を終えてから酒をよく飲んでいたので土曜日はまず使い物になりませんでした。朝方飲んで帰ってきてそのまま玄関で寝ていたこともしばしばです。

それでも日曜日になると回復してきます。とはいえ、飲み過ぎと仕事の疲れが残る中、かさばるウィンドサーフィンの道具をもって遠方まで出かけて行くのはなかなか面倒です。それでも体感的にウィンドに行った翌週はメンタルが元気であること知っていたので、腰の重い自分を無視して出かけました。

朝、あれほど面倒に感じたにもかかわらず、海が近づいてくると心が高揚してきます。風をセイルに受け水面を滑走しているときにはなにもかも忘却の彼方です。そして、リフレッシュした状態で新しい一日を迎えます。

起業するまでは、毎週のように冬はスキー、それ以外のスリーシーズンはウィンド(サーフィン)やサーフィンに出かけていました。テニスもやっていました。いずれもあまり上手ではありませんでしたが、身体を動かすとメンタルが元気になるのでうまい下手はあまり関係ありませんでした。

起業してしばらくはそんな余裕もなくなりすべてやめましたが、仕事などでメンタルが疲れているときほど自然の中で身体を動かすことが効くという体験は忘れませんでした。

ゴルフをやめた理由

起業後いったんやめていたアクティビティはゴルフで復活しました。道具好きですのですぐにはまりました。

ゴルフ場の行き帰りのドライブ、緑に包まれ四季を感じられるコース、一緒にプレイする方々との会話などとにかく楽しいものです。スコアについても、練習やコースの読み、道具などさまざまな要素を組み合わせてつくることができるのでとにかくはまりました。

ところが、自分でコントロールできないほどの悩みにとらわれると一転してゴルフがストレスを増幅するようになりました。歩いている時間やドライブしているときも悩み続け、悩みのループに入ってしまうのです。ショットの瞬間も雑念が払えません。

メンタルのリフレッシュに効かない状況がしばらく続いて「これはゴルフをやっている場合じゃないな」とゴルフをやめました。

高速登山の効果

かわりに始めたのが登山です。芝を歩いても気が晴れないのは負荷が足らないからだ。かといってロードを走ると膝が痛くなる。では、ゆっくり長時間にわたり高負荷をかけられる山を登るのはどうだろう。そんなことを考え登り始めたらこれがあたりです。

まず、山に近づくとそれだけで心が高揚します。そして、登り初めて呼吸が一定のリズムを刻むようになってくるとそれまで頭の中に居座っていたさまざまな悩みが消えていきます。

消えると云うよりは、悩んでいる余裕がなくなるという状態です。呼吸に集中してペースをコントロールすることに集中しているうちに余計なことを一時的に考えられなくなります。ペースは一般の登山よりかなり早いものです。登山装備での高速弾丸登山です。これが重度のメンタル疲労からの回復に大いに役立ちました。

メンタルの不全から本当に回復するためには根本問題に向き合う必要があります。そのためにもことに当たるだけの体力気力が必要です。身体的健康からアプローチしてメンタルを養うことはとても意味のあることでした。

 そしてメンタルを健全に維持する手段としての登山がトレイルランへと変化し、現在も試行錯誤に続いています。

メンタルの状況に応じてかける負荷が異なる

ランニングの負荷の目安としてニコニコランというものがあります。走りながら問題なく会話ができる程度の負荷です。通常のメンタル疲労には、散歩を含めニコニコランまでの比較的軽い有酸素運動が効きます。通常の登山もこのあたりのペースが楽しいですね。(図:ブルーのラインとグリーンのエリア)

一方で、もう少し重度のメンタル疲労には、余計なことが考えられない程度の負荷の高い有酸素運動が効きます。ゼイゼイハァハァと呼吸が激しいながらも、ある程度の長時間走れるレベルの負荷です。(図:オレンジのラインとイエローのエリア)

これ以上負荷をかけると足腰を中心に筋肉疲労が急激にきつくなり長時間の行動に支障がでます。それだけでなく登山やランの後のリカバリーに時間がかかるようになり、身体が必要以上に疲れてしまい逆効果です。(図:赤のエリア)

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また、登山やトレイルランの特徴として負荷が常に変化するという点があります。自然のトレイルなので傾斜も歩きやすさも常に変化します。ペースを一定に保つことができない高負荷と低負荷を繰り返しやすい運動環境です。

インターバルトレーニングに近い状況です。比較的高負荷をかける場合はインターバル型が効果的です。負荷をかけてリカバリーすることを繰り返すことで、高負荷をかけている割には身体の負担が小さく、トレーニング効果も高くなります。その結果長時間走ることが可能になります。

また自然環境を走るということも重要です。ジムのトレッドミルではインターバルを選んでも1時間すら苦痛です。ところが自然の中であれば3、4時間も全く苦になりません。やはり、自然の中を走り歩くことが一番です。

メンタルの健全性を維持することは簡単ではありません。しかし、いろいろと試行錯誤してフィジカルからメンタルを健康にすることができるようになってきました。①自然の中を②状況に応じた必要な負荷をかけ、③走ったり歩いたりすること。これが現在の私にとってもっとも効く健康管理法であり、トレランを好んでいる理由です。

何事も過ぎたるは及ばざるがごとしですが、ちょうどよいバランスを見つけて上手に負荷をかけられるようになりたいものです。さて、これから少し負荷をかけに行ってまいります。

 

 

 

 

禁スマ? なんとなく健康に悪い情報環境とこれからどのようにつきあっていけばよいのだろう

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本の虫というほどではなかったのですが、子供のころより本が大好きでした。時間があればカモジヤという地元の本屋に入りびたり、枕元はいつも何冊もの本に埋もれていました。そんなことが背景なのか、いつのまにか情報というものに漠然とした興味を持ちそれが高じて現在では経営に役立つ情報をつくるということをテーマに仕事をしています。

データ・インフォメーション・インサイト

情報はいくつかに分類することができます。その一つが「データ」と「インフォメーション」と「インサイト」の3分類です。

 データとは自然を含む世の中のあらゆる出来事の事実をなんらかの記号に置き換えたものです。たとえばグーグルマップで見る地図のもとになる座標や標高、店や施設などの位置や営業状況など現在の事実を示すものがデータです。

インフォメーションは目的に応じて異なるデータが結び付けられたものです。私たちが触れる情報のほとんどがこれにあたります。新聞、書籍、WEB検索の結果などほとんどがそうです。品川のうまい店ベスト10といったようなものからアマゾンの書評、企業の財務諸表もインフォメーションです。かつては人つくるものでしたが最近は人工知能的なものから人手を介さずにつくられるものも増えてきました。

インサイトは少し耳慣れない言葉かもしれません。海外のソフトウェア会社やコンサルティング会社が自社の製品やサービスの販売促進のために使いだした言葉ですので日本人にとっては今一つピンとこないところがあります。「洞察」と翻訳されることが多いですが、「知恵」というほうがよいでしょう。「今日のディナーで失敗しないための洞察」というよりは「今日のディナーで失敗しないための知恵」というほうがしっくりきます。なんらかの目的に役立つ情報というもので、インフォメーションに利用者の意志が結びついています。f:id:runavant:20160902155135p:plain

 リコメンド型情報がなんとなく健康に悪いような気がする

私たちはスマホやPCからインターネットを通して大量のインフォメーションとインサイトの両方を入手していると同時に大量のデータを供給しています。その結果気づかずに自分の興味の傾向に沿った情報が繰り返し供給されるようになりました。供給される情報は簡易的な人工知能によって届けられます。

休日の朝、「今日はすこしゆっくり起きるか」とベットでスマホを眺め始めるとグーグルからリコメンドされるニュースとも言えないような情報をついつい読み続けてしまいます。気が付くとあっという間に一時間たっていることも少なくありません。

そして、いつも思います。「なんかメンタルにわるいなぁ」と。

テレビの場合、一方的なものであるため興味が湧かなければチャンネルを変えたり見ることをやめたりすることが比較的簡単です。しかし、ネットからのプッシュ型情報の場合、興味のあるテーマを提示するので目新しいものがなくともついつい見てしまいます。固定化された刺激であるためにストレッチ不足の身体のように思考が固まり、それを心地悪く感じます。

スマホという便利なツールが悪いわけではないのですが、体調の悪い時のタバコや酒に対して思うように、そろそろスマホやめるか。そんなことを思います。

 

意志があればインサイトになる

経営情報にかかわる仕事をしていて、その目的である企業価値の最大化というものが人間の意志に大きく依存することを学んできました。

人間の精神活動には、知情意、つまり知性・感情・意志の三つの要素がありますが最後の意志が一番重要ということです。どう活かすかという意志があって卓越した知性も豊かな感情も活きるということです。

日常生活でも同様です。といっても簡単なものでかまいません。仕事でリーダーシップに悩めばそれに関するインサイトを人や本、セミナーなどから様々な手段で意志をもって集めます。ミーティングでも目的や問題意識をもって臨めばその場で得られるデータやインフォメーションはインサイトになります。どこか旅行へ行きたいと思ってググってインフォメーションに触れればすでにインサイトです。

自ら求めなくとも個人の興味にあった情報がどんどん供給される時代だからそこ、意志をもってインサイトとするような情報とのかかわり方が重要です。

 

タバコはマイナス要素が多すぎたので十数年前にやめましたが、酒はやめていません。スマホは使い方次第なので酒のようなものかな。適量は健康によし、過ぎたるはなんとか。酒でも未だにできていませんが、大人の飲み方ってやつを磨きたいものです。

 

デザインはデザイアに従うか?

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形を変えてきたAVANTカレンダー

お盆を過ぎたところですが、社内では来年のAVANTグループ卓上カレンダーの出荷に向けた写真の公募が始まっています。

かつてはすべて自前の写真で作成していましたが、公募制になった2013年版以来グループメンバーから公募されたものから12枚が選ばれ、1月から月替わりでデスクの上を飾るようになりました。

2017年版でバージョン17です。現在はそのフォーマットもほぼ定番化していますが、これまでに何度も写真に対する自信やパッションによって形を変えてきたものです。

 

初期には人工構造物があった

現在の写真は山岳風景中心です。写真の応募基準でも人工構造物は基本的にNGとなっています。しかし初期のバージョンでは人工構造物がメインとなることもありました。初版が2001年ですから、1999年から2000年の初秋にかけて撮った写真です。

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当時はフィルムカメラだったのでその場で撮ったものを確認できません。画像を加工することもできません。なかなかグッとくる画がとれずになかなか難しいものだと感じながら比較的身近で無難な素材を撮っていました。

写真が足らなくて小さくなって、実用中心へ

2004年版は時間的にも精神的にも余裕がない時期とかさなり必要な枚数の写真がとれませんでした。無理矢理選んでも二ヶ月で一枚が限界です。満足のいく出来の写真がほぼ皆無だったことからカレンダーそのものも小さくしてしまいました。

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そんな04版の評判はダメダメでした。写真もつまらないし使い勝手もいまいち。そんなフィードバックが多かったので翌年は思い切って実用中心にして写真はおまけとしました。

2006年版では一工夫して月齢も入れこれらはまずまずの評判でした。このころは写真の表現欲より卓上カレンダー本来の機能を優先しカレンダーとしての完成度を上げようとしていました。

デジカメの採用で写真の表現手段へ

2007年版で現在のフォーマットとほぼ同じになりました。実用カレンダーと写真カレンダー表裏一体型です。機材をデジタルに変更したことがきっかけです。

デジタルはなんといってもその場で写真が確認できます。デジカメを使うようになったとたんに写真の出来が変わりました。撮りながらどんどん自分のイメージに近づくことができるからです。好みの写真が撮れるようになると写真を撮ることがどんどん楽しくなってきます。そしてもっと好みの写真を撮りたいというパッションが強くなります。

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その結果、カレンダーのデザインを決めるときに自分が撮った写真を自信満々で見せたのでしょう。長いつきあいのデザイナーさんから写真を前面に出してみましょうと提案いただきました。私の表現欲を察していただいたのだと思います。

 表現手段としてのデザインへ

その後もたびたび表現したい写真に応じてカレンダーのフォーマットを変えていきました。 2011年版は縦の写真を使いたくて縦型にしました。ところがフレームが強度不足で次第に寝そべってしまうというリコール状態です。写真を気に入っていただけに残念でした。

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そこで2012年、13年は卓上カレンダーとは別に壁掛け版を限定版として作成してしまいました。気に入った作品が撮れるほど、表現欲はますばかりです。多くの人の目に触れる作品となることをイメージしながら素材を探し、撮影することが本当に楽しかったのです。

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こんな楽しみを独り占めしていてはもったいない。そんなことから2013年からは有志メンバー中心にカレンダーを作成するようにしました。まだ少数ですが、同じような感覚を共有できるメンバーも少しずつ増えています。

これまでも表現欲というデザイアに応じて変遷してきたデザインです。これからも、クリエイターが自分たちの表現手段として新たなフォーマットやテーマが生まれることを期待しています。

ようは、毎年最善のものをつくるんだというこだわりさえ引き継いでもらえればよいのです。表現手段はもっと自由にやってほしい!、そう願っています。もちろん、カレンダーにかかわらずすべての作品において!