THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

今年のハセツネ(第26回日本山岳耐久レース)はもっとキツかった。

f:id:runavant:20181008104113j:plain

通称ハセツネ、日本山岳耐久レース。リタイアでした。

今年で4回目の出場。通算10回完走すると得られるアドベンチャーグリーンを目指しているのですが、途中で水切れになり断念しました。

本来、ヒマラヤなどの登山者訓練レースと位置づけられているハセツネは、通常のトレイルランのレースと異なり71.5キロの行程で水のみの補給が一カ所という実質エイドレスのレースである事が特徴です。

体調と天候に応じた装備やペース配分が問われる中々奥が深いレースです。また来年チャレンジします。

 

(独り言)

これまで毎年ブログに書いてきた三大レースの一つなので、結果に拘わらず書くことにしましたが全く筆が進みません。文章にすると、なんとも言えない忸怩たる思いが募ります。

天候と体調の影響でいつもより発汗量が多く、序盤からペースを大きく落としてほぼ徒歩ペースで進んだにも拘わらず例年通りより500ml多めに持った水は減る一方。22.6キロ地点の第一関門ですでに残り500ml。ここで既に水切れは見えていたのですが発汗を抑える気温の低下を期待して進んだものの、三頭山への急登を前にした西原峠前でほぼ残りを使い切りました。

急登を越えた次のエイドまでおおよそ3時間、毎年汗だくになるエリアです。水の消費状況を鑑みると結論は明白にもかかわらず、西原峠前の見晴らしの良いベンチにヘッドランプを消して腰掛け、リタイアの是非を長考していました。

今年は名物の夜の霧も出ず、見晴台からの星ゾラがやたら美しく、そういえば四年前のSTYでリタイアを決めた時も、星がきれいだったなぁとなにか理由を探していました。

私がアドベンチャーグリーンを目指す目的は、ハセツネを走りきれる心身の健康状態を60歳を過ぎた頃でも維持出来るようにしたいというものですが、早々に洗礼を受けてしまいました。

健康を促すためのハセツネです。破壊行為としないためのリタイアとは言え、今回の結果は日々の健康管理の結果です。とても真摯に受け止めざる得ません。自分の体力や健康状態をしっかりと確認し、日常の健康管理も見直そうと思います。

一方で、ハセツネのサポーター、マーシャルの方々のありがたさを今回は一層強く実感しました。第一関門でその先まで行く事を決めたのはサポーターの方々の熱い応援です。まだ可能性があるならここで止める訳にはいかない、そんな気力をもらいました。

台風などの影響でコースがかなり荒れていたこともあり、途中負傷する方もいましたが、いつでもマーシャルの方々がすぐに駆けつけ迅速な対応をされていました。

リタイア者の収容も極めて円滑で、下山の方法、搬送等これまでのリタイアレースの中も最高のサポートでした。

厳しいレースですが、相当な安全対策がなされています。本当に感謝です。

また、今回はチーム参加でしたのでチームメンバーにも迷惑をかけました。応援に駆けつけてくれたメンバーもいたのですが、その思いにも応えられませんでした。本当に申し訳ない気持ちで一杯です。

この気持ちを忘れないように、ブログに刻んでおこうと思います。

f:id:runavant:20181008104228j:plain

この会社のかたち、変容する企業のあり方

f:id:runavant:20180922124647j:plain

2018年9月19日は株式会社アバントの22期株主総会でした。今年は会場を竹橋のKKRホテル東京(写真は控え室から)に移しての開催です。沢山の株主の方々にお集まり頂き、質疑応答では多数のご質問、激励を頂戴致しました。

後からふり返って、少し触れておけば良かったと思うことがありますので今回はその話題にします。

アバントグループは今期新たな中期目標を定めました。この中期目標は「会社」というもののかたちが社会においてどの様に変わって行くのか、そんな事も想像して長期的なビジョンを描きつつ策定しました。

まだ見ぬ未来を想像することは簡単ではありません。しかし、事業活動が場当たり的にならぬよう、方向性は自分達なりにしっかり抑えておく必要があります。

私達が見ている主なトレンドは次のようなものです。

 

1.会社の社会性の重要性が高まる。

2.上場企業の金融経済に対する役割がより強くなる。

3.人を創り、社会に残すという役割も強くなる。

 注:各論については別途機会を見て補足します。

 

上記トレンドを前提に、世界に通用する組織への進化を目指す「BE GLOBAL 2023」という中期目標に向けたアクションを開始しました。主な活動方針は次の通りです。

 

A.貢献すべきお客様をグループで統一し、信用を最大化する。

B.ノウハウや経験をソフトウェアを中心に徹底的に蓄積する。

C.上記の活動で創出した機会、時間、事業資産を人の育成に可能な限り振り向ける。

上記を通して、企業価値の最大化を目指すというものです。

 

先日アバントのグループ公認部活動であるバスケ部の試合の応援に行ってきました。強力なパッションを持つリーダーのもと、有志メンバーが組織の垣根を越えて繋がり、活動している姿は感動ものです。

「会社」というものが、稼ぐ手段に留まるのであればこの様な活動はあまり意味は無いのかも知れません。しかし、人をつくり社会に残すための会社という事になると、仕事以外の繋がりや活動も重要になります。

グループの部活動は、ビジネスインテリジェンス事業を担うジール社から生まれました。現在では他の事業会社へと伝播し、アクティビティ(旅行やボランティア)、ダーツ、バスケ、フットサル、野球、ランニング、山登り、Protein & Training(筋トレ:一番人気らしいです)、自転車、バトミントン、外にも予備軍があるようです。

グループ三社以上のメンバーで構成されていることが条件となっているグループ公認部活動は現時点ではバスケ部だけですが、こういった活動も活発になるよう環境を整えて行こうと考えています。

f:id:runavant:20180922124708j:plain

 会社は「公器」である。創業以来の理念の一つですが、ようやくその実現に向けた活動が少しずつ始まりました。

何を言っているかわからないCEOを意訳するCFO

f:id:runavant:20180907143922j:plain

先日、スタートアップやインキュベーターが集まるイベントに顔を出してきました。すでにIPOを果たしている企業経営者が講師となって、沢山の起業家と自分の経験や考え方を共有するような場です。

当初一つだった会場が、途中から部屋を分割してCEOセッションとCFOセッションに分かれました。私は講師ではなかったので興味があったCFOセッションに参加しました。

錚々たるベンチャー企業のCFOの方々がパネリストでしたが、隣のCEOセッションと比べて参加者が圧倒的に少ないことに「まぁそうだろう」と納得しつつも、思わず「もったいないなぁ」と呟いてしまいました。

起業において(プロジェクトも同様です)絵に描いた餅を食べられるようにする最重要要素はチーム(=実行力)つくりです。そのチームつくりの点において一般的な聴講の場であると、現在CEOの方々が他のCEOの話を聞いたとしても背中を押されはすれども飛躍はないでしょう。そもそもCEOをやっている時点で同じ人種です。一方で、成功した企業のCFOの話を聞けば、どの様な人と仕事をすれば良いか、ヒントを得られます。そんな思いからの「もったいない」でした。

それはさておき、肝心のセッションですが。CFOの役割についてディスカッションする中でCFOの方々が異口同音に話されていたのは、「ベンチャーのCEOの話って、何言っているかわからない、でもやたらと熱い!そして、何年たっても、同じ事を言ってるんですよぉ」ということでした。思わず自省して苦笑い。

本人は懸命にわかりやすい説明を心がけているつもりでも、言いたい事がてんこ盛りで言語がついて行かず、手足が動き始めて気がつくと周囲が???な状況になるのは数えきれず、説明下手の自分に自己嫌悪しつつ悶々とする日々は日常の風景です。

CFOの方々の話はこう続きます。「その何言っているのかわからないものを翻訳して可視化するのもCFOの重要な役割なんです。特にベンチャーの場合は」。

正鵠を射るコメントに心の中で「よっ、播磨屋!」状態です。CFOに限りませんが、確かに自分が言いたい事を他のメンバーが翻訳して話しが出来るようになると急激に戦略の実行力が高まるという現象はこれまでも幾度となく経験して来ました。

特にCFOという立場、つまり財務的視点で戦略の妥当性を検証し、その実行を補助する役割は、一種のインタープリターと言えます。しかも、構想や思いを戦略に「意訳」できるCFOの存在はチームの成果に大きな影響を与えます。

海外に行って片言の言語で会話するより、一流の通訳の力を借りて会話するほうが圧倒的に仕事の品質があがるように、なにを言っているかわからないとよく人から言われる覚えのある人は、CEOとしての研鑽もさることながら、そんなCFOとの出会いに力を入れた方が事業の成功確率は上がるでしょう。

いやぁ、CFOの存在って本当に超重要です。

理想的なパフォーマンスを出すための要素、マインド・ソウル・ボディ・エモーション

f:id:runavant:20180826162559j:plain

富士登山競走から一月、久しぶりに一ヶ月近くオフシーズンと決め込んでほとんど走らず身体を休めています。未完走の再挑戦レースであるロングトレイルのSTYとバーティカルレースの富士登山競走とかなり難易度の高いレースにもかかわらずそれぞれ4月末7月末と少々詰め込みすぎました。4月末のSTYは再挑戦に成功したものの富士登山競走はリタイア、以来少々バーンアウト気味になっていたので来年の富士登山競争に向けてまずは身体をリセットです。

その間、来年に向けたトレーニング方針のようなものをつらつらと考えているのですが、今年の登山競走向けのトレーニング中に面白い事に気付いたので、それを活かしてトレーニング内容を修正しようと思っています。

きっかけは6月末頃の本番コースを使った練習での体験です。その日は本番コースの2/3程度を走る予定でした。体調が悪いという自覚は無くタイムはともかく0合目から7合目往復をやりきれないとは少しも想定していませんでした。走り始めも登山道が始まる馬返しまでのロードは苦しいながらも普段通りに走れていました。

異変を感じたのは1合目あたりです。急に朦朧としてきました。普段は6合目あたりから空気の薄さを感じ身体のパフォーマンスが落ちるところがいきなり1合目からフラフラです。ペースを大きく落とすと少し回復してくるので高度順応出来ずに酸欠になっているような症状でした。

とにかく身体が動かないので仕方が無いと割り切り、かなりペースを落としなんとか五合目まで行って戻ることにしました。下りは打って変わって元気です。すれ違うランナーや登山者に明るく挨拶しながら快適に下ってきました。

あれはいったい何だったのだろう?なんとなくモヤモヤしていたのでその後いろいろ調べてみるとどうやら自律神経失調症の症状に近いことがわかりました。ネットで簡単な問診票による診断が出来るのでやってみると「すぐに専門家に相談!」なんて結果が出ました。ありゃー、弱ったねぇ。。

普段から「森川さんは過緊張なんですよ」と医療系の方に指摘されても、「ははっ、そんなものは走って負荷をかければ解消できますよ」と笑い飛ばしていたのですが、こうなるとさすがに無視出来ません。

全体的な慢性疲労が原因だろうと、マウンテンアスリートの知人Rogerにリカバリー方法について相談してみたところ興味深いアドバイスが帰ってきました。「レースを点で考えるな、仕事や普段の生活も含めた総合的なサイクルの中でポジショニングしていけ」ということが大きな枠組みなのですが、その中でパフォーマンスのキーエレメントをマインド、ソウル、ボディ、エモーションに分解してそれぞれのコンディションに言及していた部分に「んっ?」と思わず声を出し反応してしまいました。

私自身は健康状態を心身の二つ、言い換えるとメンタルとボディの二つで認知してきました。しかし、ボディの疲労がなかなか回復しないことからボディの疲労を筋疲労、脳疲労、内臓疲労の三つに分解して疲労の特性に合わせた休養の取り方を工夫するようにしています。しかし、この発想はリカバリーにフォーカスして生じたもので現状の把握と対処にはある程度有効なのですが予防的・予測的にコンディションを整えることには不向きです。

一方でRogerのアプローチは抽象概念であるメンタル側を、マインドやソウルやエモーションに分解することでマインド側の健康管理を強化することができるものです。メンタルの健康状態はボディの健康状態にとって先行的なものですので、生き物である私たちの健康が最終的にはボディに集約されることを考えると、むしろこちらのほうにより力を入れて健康状態を認知するほうが良さそうだと、そのように受け止めました。

これまでは結果指標であるボディに重きを置き、先行指標であるメンタルとの指標比率を3:1としていたところを、3:3にするというものですからかなりの大改訂です。ただ、来年のチャレンジに向けてこの気づきには強い興味を覚えています。

さて、ここで問題です。メンタルの分解要素であるマインドとソウルとエモーションとはどのようなものでしょうか?

エモーションは普段使いの言葉なので比較的簡単ですが、マインドとソウルという概念が私にはなかなかピンと来ませんでした。どうやら、マインドとは決意のようなもののようです。どうしても達成したい目標や使命感のようなものから生じるものととりあえず整理しました。そしてソウルですが、こちらは信念、生き方のようなものです。宗教を持っていればその教義であり、磨き続けなければ光らない魂です。このソウル、考えれば考えるほど、感じれば感じるほどもっとも重要な要素であるように思えてきます。

 

(余話)

ランの話として書いていますが、実は会社経営は一足先に同じような転換を図っています。計測して改善することに役立つ会計だけではなく、未来の価値を創るファイナンスの発想のを取り入れることはグローバルに通用する企業を創るために欠かせない事を痛感しているからです。

実体の延長線上にある会計(ここで言う会計はキャッシュフローも含んでいます)とは異なり、ファイナンスとは将来価値の創造手段です。お互いに同じような数値を使うのでなんとなく同じ世界の話のように捉えてしまうかもしれませんが全く異なるものです。

特に現在の経済環境はファイナンスに偏重して来ているので実体を表すという意味での会計を軽視してファイナンスが暴走する傾向が強まっています。しかし、抽象的な経済の話は個人にはなかなかリアリティをもって感じる事ができないのでついついそのリスクに気がつかないで過ごしてしまうものです。

ファイナンスは重要である。しかし、実体がなかなかつかめない。そんな違和感というか、漠然とした恐怖感を補うためにどうしたらリアリティを感じる事ができるのかと過去数年いろいろと試行錯誤をしてきました。

そんな取り組みをしてきたこともあり、イギリス人である今回のROGERの話はファイナンスという技術を生み出したアングロサクソン的思考を理解するための一つのわかりやすいメタファーとして自分の中に入ってきました。どの辺がファイナンスと会計の関係かと言えば、未来の価値を創造するファイナンスがメンタルです。一方で会計で計測する実体がボディです。

もし、より高いパフォーマンスを目指すのであればファイナンスをもっと重視する必要があるが、実体経済の健康と統合していかないとどれほど大きな企業価値を一時的に生み出そうとも早晩破綻するということです。

ファイナンスを未来の価値創造の手段として使うが、それは実体経済として結実させるためにあるということはしっかり魂のレベルで磨き込んでおきたいと思います。

パッションの形、ヒストリカルビルディング

f:id:runavant:20180812140536j:plain

NYです。常に新たな建造物が建設されている街ですが、ヒストリカルビルディング(Histrical Building)にもあふれています。

f:id:runavant:20180812132130j:plain

新築の超高層ビルもあちこちで開発されていますが、ヒストリカルビルディングと共存するために細長いペンシルビルが増えています。

f:id:runavant:20180812141135j:plain

場所によってはPre warと呼ばれる第二次世界大戦前の建物群だけを切り取ることが出来ます。映画Bagdad Cafeで出てくるような給水塔の群れが印象的です。同じ写真を三色三枚にしてみました。

f:id:runavant:20180812132247j:plain

1950年代風?

f:id:runavant:20180812140704j:plain

1920年代風??、というところでしょうか。白黒とセピアでも印象がかなり違い、色を変えるだけでタイムトラベル出来てしまいます。

 

(独り言)

ヒストリカルビルディングには無条件に私たちの感性に訴えかけてくる何かが備わっているように思います。

デザイナーだけでなくそれを作り上げたたくさんの人の思いやパッションのようなものかもしれません。眺めていると、まず感性に働きかけてくる何かがあって、次にその感性を刺激する材料として知識を補強すると、「ほー、すごいなぁ」と感動が深まります。

時間が無いときは知識から入るほうが効率的ですが、私の場合はじめに知識を入れて見てしまうと感性センサーは鈍くなり感動も小さくなります。博物館や美術館も同様です。面白いものです。

感性と言うものは言語化が難しい(「うぉー」とか「ーん」とかは言語ではない)こともあり、言語化が重要なビジネスにどっぷりつかっていると知らずに感性が枯れてしまいます。だからこそまず感性に問う。そこからパッションが自然に湧き上がってくるのであれば次に進む。そんなアプローチに意味を感じます。

言語化されていない何かから感じる力は、情報にあふれる環境に在るほど重要性を増すように思います。さて、夏休み、感性を取り戻そう!

富士登山競走2018、完走持ち越し、また来年!

f:id:runavant:20180729084459j:plain

今年も恒例となった富士登山競走へ参加してきました。レース翌日の日経朝刊によると大会参加者総数は3658人、そのうち麓から山頂までの21キロのコース参加者は2354人で完走は1020人、完走率43%とのこと。完走率の低さもさることながら経済新聞に取り上げられていた事におもわずニヤリ。

今回の選手宣誓は山頂コース最高齢出場の方で78歳!!参加選手からは畏敬を込めた驚きとなぜか反省?が入り交じった声と拍手が湧き上がりました。

f:id:runavant:20180729084543j:plain

アバントグループの山頂コース挑戦メンバーは五人、写真中央のエース古野さんは無事かつ余裕をもって完走!さすがです。その両脇2名は八合目関門で敗退、一番端の2名は五合目関門敗退でした。ちなみに、私を含め3人は50代です。

f:id:runavant:20180729084607j:plain

写真は五合目関門を遠くから見たところ、今回はここでリタイアになったので後からスタートした五合目コース参加メンバーの応援に回りました。

f:id:runavant:20180729084628j:plain

五合目コース参加者は無事全員完走!100%です。若手20代2名が山頂挑戦権獲得の制限時間2時間20分を余裕で切って新たに権利を確保しました。来年の山頂組は平均年齢が若返りそうで楽しみです。

f:id:runavant:20180729084656j:plain

今年こそ完走と昨年は意気込んでいたのすが、また来年に持ち越しです。この辺で止めておくかというオプションはありませんね。さすがに78歳の方の選手宣誓を聞いてそんな気持ちは軽く吹き飛んでしまいました。

 

(独り言)

参加を続けるにつれ、いまでは富士登山競走が一年の健康管理の糧になりました。相応の準備を継続的に行う必要があること、そして完走したいという思いが年々積み重なることで退屈なルーティンを継続するモチベーションになり、結果的に日常の健康管理に多大な影響を及ぼしています。

レース後は翌年に向けた対策を簡単にまとめるのですが、毎年新たな気づきが得られるのも面白いところです。この数年は負荷のかけ方を大きく変えてきました。レースはロングトレイルを減らしショート中心にする、筋トレはアウターマッスル中心からインナーマッスル中心にする。ランニングばかりで無くロードバイクなどクロストレーニングを取り入れる。などです。

また、世界有数(世界一?)のバーティカルレース(登山レース)では重量の影響も大きいので体重に対する意識も強くなりました。その結果食事に対する関心が強くなり、食と体調の関係を意識するようになりました。アスリートのように厳密な管理はしませんが、いつも内蔵不調を感じていた若い頃より改善されているようです。

余談ですが、コンディションに対する関心は仕事の仕方にも影響を与えています。昔は体調を崩しながら働きベストコンディションとは無縁の日々でしたが、最近はコンディションを整えることを重視するようになりました。

最近のアスリートのトレーニングを見ても、基礎能力を高めるだけでなく心身の健康状態を高次元に保つことが従来以上に重視されているようです。そんなコンディショニングにおいてこの年齢になって強く感じるのは、やらない事を決めることの重要性です。やらない事を決めないと時間が捻出できずやるべき事が出来ないからです。

来年の登山競走に向けた対策の一つは参加レースの取捨選択かなと考えています。

リアルとバーチャルのバランスが急激に変化する社会

f:id:runavant:20180715182944j:plain

今年も恒例の富士登山競走まであと二週間を切りました。昨年と比べると調整は遅れていますが、今年は無理せず疲労を蓄積させないように疲れているときはロードバイクに乗っています。

先日もアクティブリカバリーのためにバイクで大井埠頭に向かったのですが、土曜日だったこともあり夥しい量のトラックが列をなし、とても自転車が走れる状況では無かったので早々に退散せねばとあたふたしていると巨大な重機がものすごい勢いで高く積み上げられたコンテナを移動しているシーンに出くわしました。

 あまりのすご技とそのスピードに惹きつけられしばし社会見学。リアルな物流システムのすごさに感動しながら、リアルとバーチャルのバランスが急激に変化してるんだよなぁと思いふけってしまいました。

 

f:id:runavant:20180715183127j:plain

昨年の自分のメモを引用します。 

経済には実体経済と金融経済がある。前者は消費を伴うが後者は伴わない。その消費を伴わない経済のインパクトが大きくなっていることが企業経営の大きな課題となっている。正確な数字はわからないが、1980年は1.1倍、1990年に2倍、2000年に3倍、現在は10倍以上、50倍以上のギャップが生じていると指摘しているものもある。いずれにせよ、この10年で実体経済との乖離が加速していることは間違いない。

 

金融経済とは仮想的な価値の塊です。経済と言っても等価交換ではなく、金利の大小で機能している点が実体経済と根本的に異なります。しかし、マネーというもので両方の経済はつながっています。そんな両方の経済世界のバランスが大きく崩れ、しかも仮想価値ばかりがインフレーションしている先にどのような未来があるのだろうかと考えると混沌としてきます。

一つ明らかなのは価値革新も加速していることです。等価交換の社会的な認識を変えていくことです。価値革新は歴史からいくらでも事例を発見できます。戦国時代の茶の湯もその一つです。茶碗一つが一国に値するなどと言われたのは国を持つ人間が単なる土の塊に一国並の信用を与えることで等価交換の対象範囲を革新したということです。そのような価値革新の大衆化が加速しています。

個人のフリマ市場も価値革新です。これまで個人では流通が困難であった中古品を簡単に再商品化することで価値を再生しています。会社のM&A市場も価値革新を促しています。私はかつて企業価値は解散価値以外の何物でも無いと考えていました。ゆえに、現在でも時価総額とは経営者がコミットした将来キャッシュフローと解散価値の合計と考えています。

しかし、M&A市場によって将来キャッシュフローを既存の事業活動から得るだけではなく事業の商品化により信用創造を加速することも出来ます。これも価値革新の一つです。

このような価値革新は随所で発生していますが、これにより心配なのが金融経済の加速的膨張のギャップは誰が埋めるのかという点です。

金融経済は信用の総量です。信用とは誰かが誰かに約束した交換価値です。ゆえに、ギャップが生じていても誰がそれを埋めるのか、もしくは信用が破綻した場合誰が責任を負うのかが明確であれば不確実性はあっても不透明感はありません。いわゆるとれるリスクになります。

企業価値は膨張していても大抵その信用保証の責任者やステークホルダーが見えます。M&Aでオーナーチェンジが生じても、買収側にそのギャップを埋める責任が移転するだけです。しかし、金融経済全体になるとその構成要素が複雑すぎて何処にどのようなリスクがあるのか今の私にはイメージがつきません。漠然とした不安は情報を得れば得るほどに募るばかりです。

そんな中、たまたま眺めていた情報誌にあった一節を思わずメモしました。

「未来に対する最上の準備は、現在をしっかり見つめること。やるべき義務を果たすことである」―― ジョージ・マクドナルド(小説家)

遙かなる古よりいろんな人が様々な言葉で同じ事を言い換えています。確かに変化が止まらぬ現実への対応方法の基本であると思います。しかし、現在をしっかり見つめる手段は飛躍的に進歩しています。現在の金融膨張の背景に技術革新があるように、このような私たちの不安を解決するためにも情報技術を活かすことが出来るでしょう。

現在を見つめる力を高めるために情報技術をもっと活用しようと取り組んでいます。

f:id:runavant:20180715183026j:plain