THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

健康第一!

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三連休、ブログを三度書き直しています。いずれもテーマはCOVID-19、新型コロナに関する話題です。現状の認識や、このような非常時における心構えなど過去の経験も踏まえ書いてみましたがしっくりきません。すべての原稿を没にしました。

それはさておき、今日も先週に続き、僅かに開催されている小さなハーフマラソンに参加して来ました。さすがに二連チャンはコンディション的に厳しく、今日はゆるめに流しましたが先週パーソナルベストが出ました。

話題のNIKEのカーボンプレート入りシューズを使ってみたので、シューズの効果かもしれません。とは言え、ベストはベスト、嬉しいものです。レギュレーションの範囲で道具を上手に使って行く事も楽しみの一つです。

写真は先週のマラソン会場からです。表情豊かな雲が出ていたのでモノクロにしてアメリカの写真家、サミュエル・ゴッチョへのオマージュにしました。

さて、先が見通せない状況は続きますが、健やかな精神を大切にして、本来の目標に向けて最善を尽くして参りましょう。

健康第一です!

経験知を活かせる組織のレジリエンスは高い

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寺田寅彦の「天災と国防」をパラパラとめくり、先人が残した教訓がありながら、自分事としてそれらを活かし様々な事態に備える事の難しさを感じています。

活きた教訓は、事に直面した当事者が残したものが大半です。それ故に価値があります。当社にも厳しい経験を経て生まれた教訓がいくつか存在しています。

 「三志向」と呼んでいるものもその一つです。「お客様志向」「高収益志向」「一芸志向」をまとめたものです。自分が貢献する対象が明確か、その貢献方法は最善のものか、その領域で卓越する事が出来るかを問います。自分たちの事業が実需に即し、役立つものかを点検するためにあります。

事業が順調である事で無意識の驕りが生じてお客様への貢献価値が低下した結果、業績が低迷するという事態に陥った経験から生まれた教訓です。こういった痛い経験を伴った教訓も目に見えない社会や組織の財産であると思います。

 経験知を生かせる組織のレジリエンスは高い。世代を超えて経験という知的資産を活かせる組織として行くことを強く重視しています。

「昭和7年の頃志布志町と築港附近」と祖父の無言のメッセージ

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写真は「昭和7年の頃志布志町と築港附近」約88年前に祖父が撮影したものです。写っているのは帝国連合艦隊。左から空母龍驤(りゅうじょう)、二番目の空母加賀は一段全通式に改装される前の三段式です。後方中央から金剛型や伊勢型戦艦が三隻、続いて艦橋の中程が大きく後ろに突き出した戦艦扶桑が写っています。

鹿児島に住んでいた母方の祖父とは生前一度しか会ったことがありません。その時に「何か欲しいものはないか」と尋ねられ、「戦艦のプラモデルが欲しい」と答えました。小学生だった自分では買うことが出来ない大きな戦艦大和のプラモデルを想像して言いました。その時の祖父の少し困惑した表情をぼんやりと覚えています。

それから一月ほど経って祖父から小包が届きました。鹿児島名物の軽羹(かるかん)やらボンタンアメと一緒に戦国時代の軍船のプラモデルが入っていました。戦艦大和が届くことを期待していた私はひどく落胆したことを覚えています。

今、あらためて祖父が残した資料を見ると、戦時中特設鉄道隊としてビルマに派遣され、映画「戦場にかける橋」の舞台となった泰緬鉄道の建設、そしてインパール作戦の後方輸送確保のための橋梁復旧工事などに当たっていたようです。

祖父から戦争の話は一切聞いたことはありません。しかし、生ものを一切口にしないなど戦争中の体験を引きずった独特の生活スタイルは記憶に残っています。そんな祖父の戦争に対する言葉に出来ない思いが、戦国時代の軍船という形で表れたのだと言うことがようやくわかりました。

わずか十余年足らずでここに写る全ての艦艇が多くの人命と共に消え去る事など撮影時には想像だに出来なかったのだろうと思います。

しばらく行方不明になっていた写真との再会でしたが、以前にも増して雄弁に祖父の無言のメッセージを伝えてきました。

Unconscious Bias 無意識の思い込み

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先日参加したダイバーシティ研修の中で「Unconscious Bias」に関するディスカッションテーマがありました。目に見えない違い(区別や差別)の具体例を聞きながら、普段それを意識しているかと自問すると、怪しいものばかりでした。

自動車の運転のように、運転に慣れるとかなりの動作は無意識に行われるようになります。その結果運転のストレスは減るのですが行き過ぎると思わぬ事故につながります。

普段の生活においても、かなりの思考や動作が無意識に行われています。慌ただしい日々を乗り越えていくために考える事や行動する事を絞り、無意識の前提条件、つまり思い込みを不安定な積み木のように積み上げています。

危ないなぁ、そんな思いを持った時にある言葉が浮かんで来ました。

「明歴々露堂々」(めいれきれきろどうどう)、十数年前、あれこれ悩む事に明け暮れていた頃、人から頂いた言葉です。

「真理は奥深いところに隠れていて誰もが簡単に見られるものではないと考えられがちであるが、実際は全くあからさまであり、隠すところなど微塵もない。それが見えないとすれば、見ようとしないだけか、眼が曇っているに過ぎない。」(茶席の禅語大辞典、淡交社、P639)

当時は悩まずとも成るようになる。そんな程度の理解でしたが、今になってこれかと感じました。

思い込みに気づき、見ることを大切にした先にどのような未来があるのだろうか、そんな好奇心が刺激されました。

テクノロジーの進歩によって進化した絵画表現

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写真はアンリ・マティスの「待つ」。東京国立近代美術館で現在開催されている「窓展」(2020年2月2日まで)で展示されているものです。

 

さて、このマティスの絵、「どこか変なところはありませんか?」

 

とは、「窓展」のギャラリートークでお話いただいたキュレーター、蔵屋さんからの問いかけです。

14世紀のルネサンス期以降、絵画は「一点透視遠近法」という三次元表現を磨き込んできたそうです。学生の頃絵画と写真を少しだけかじっていた私は、当時写真より美しい風景画としてターナーの作品が好きでしたが、一点透視図法による写真的な絵を正解と捉えていたからかもしれません。

余談ですが、マティスの「待つ」は1921〜1922年の作品。スナップショットの普及に貢献したカメラ、ライカの登場直前ですがすでに写真は普及期に入っていた時代です。なんとなく、iPhoneとライカはイメージ的にかぶります。

 

さて、その後の蔵屋さんのトークによると、マティスは写真の登場によって絵画表現の自由を得たとのこと。正確な三次元表現なら写真でいいじゃん、表現したいように描けるのが絵だ。という事だそうです。「待つ」。確かに写実性という点では引っかかるところがありますが、それらは何かを「待つ」人と情景の印象を強くし想像力をかき立てます。

「そうか、現代抽象表現のビッグバンは写真というテクノロジーの進歩によって引き起こされたのか」と、ピカソからバスキアまで近現代の絵画表現のあり方を唐突に感じていたモヤモヤが晴れた瞬間でした。

 

AIだBIだと情報技術の進歩著しい現在ですが、知識、画像、動画、音声、さまざまな情報を簡単に共有できるテクノロジーの普及は、これまで見向きもされなかった表現に新たな価値を吹き込む価値創造のビッグバンの始まりかもしれません。

私たち人間の感受性や表現の進化を夢想するインスピレーションあふれる企画展のギャラリートークでした。

バランス、バランス、とは言ってみたものの

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経営はバランスだ、食事はバランスが大切、ワークライフバランスだ、などなど、普段から「バランス」と言う言葉を頻繁に使っていますが、果たしてそのバランスとやらをちゃんと理解しているのだろうか。ふと我に返ることがあります。

辞書(大辞林第四版:三省堂)によると、「バランス 〖Balance〗釣り合い。均衡。」

なるほど。では「つりあい」〖釣り合い〗は?と引いてみると、「①釣り合うこと。均衡。調和。バランス。②力学で、一つの物体に働くすべての力の合力がゼロとなって、重心の動きが変わらない状態。動いている力が二つのとき、力の大きさは等しく互いに逆向きである。平衡。」とあります。

「均衡」は「いくつかの物事の間に力や重たさの釣り合いがとれていること。平衡。バランス。」バランスという言葉のイメージ通りですが、その釣り合いとやらが一体何を指すのかいまいちわかりません。

そこで、釣り合いと均衡の両方にあった「平衡」を引いてみると、「①物事の釣り合いがとれていること。また、その状態。②力学的に釣り合っている状態。力学的平衡。③系の全エネルギーが変化しない状態。熱平衡。様々な系について、状態が変化しない場合に相平衡・化学平衡・放射平衡などが定義されるが、いずれも熱平衡の特殊な場合である。」です。

平衡の③にヒントがありそうです。そこで「系」を引いてみると、「①ある関係のもとにつながった統一体。体系。②[corollary]一つの定理から派生形に導かれる命題。③地質時代区分の「紀」の期間に形成された地層・岩体。④[system]物理・科学・生物などの分野で、一定の相互作用や相互関連のもとにある、もしくはあると想定されるものから成る全体。力学系、生態系、神経系、開放系など。

ここで、「バランス」を取るとは何らかの「系」、つまりシステムの状態が変わらないようにする事であるとイメージがついてきます。言い換えると、なんらかの「システム」のどのような状態がバランスのとれた状態であるかを知らない限り、本当のバランスは取れないと言うことです。

経営のバランスは事業を継続するためのバランスであり、食事や運動のバランスは身体というシステムを維持するためのバランスです。しかし、企業の不祥事から暴飲暴食や運動のやり過ぎなど、現実の様々な活動がバランスを欠いてしまうのはなぜでしょう。恐らく、システムの捉え方が小さすぎるためでしょう。

経営におけるバランスを、会社ではなく社会というシステムの中で考えるとESGやSDGsなどに促されずとも自ずと社会の持続を全体とした思考や行動が生まれます。食事や運動のバランスについても、個人の心身の健康というだけではなく、自分を家族やコミュニティなど自身が関わる「システム」の一部として考えるとそのバランスの取り方も変わるでしょう。

「系」・「システム」という視点を持つことで、本当のバランスが見えてくる。様々なバランス感覚を求められる時代であるからこそ、重要な視点であると感じています。

今年の三冊、やっぱり紙の本はいい。(メガネ万歳2019)

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今年は紙の本に回帰しました。

今読みたい一冊を鞄に入れ、移動時間などでパラパラとめくりながら思いにふけったり、本に書き込みしたり。やはり愉しみとしての「読書」は紙に限ります。

紙で読んだ書籍の中で今年印象に残った三冊をご紹介します。

 

1.「神は詳細に宿る」養老孟司

養老先生の最新刊。

最初に読んだ養老本が「唯脳論」、独特の養老節に魅了され、その時以来の養老ファンです。

本書はこの「唯脳論」から30年の節目で、養老節のエッセンスを語り直したものです。思考に強い影響を受けた一人である事を再認識しました。

「生きそびれないようにすること」の一節、台湾で昆虫採集をして大はしゃぎしている中老年先生達の話では思わずニヤリ。ウルマンの青春の詩とも通じる精神の若さと人生の愉しみ方に大賛同です。

「神は細部(詳細)に宿る」と言う有名な言葉好きにはたまりません。

心のメンテナンスに効いた一冊です。

 

2.「大読書日記」鹿島茂

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新聞の書評を切っ掛けに読み始めた本です。

中身は「書評」!!

何事にもその筋のプロという存在がいますが、まさに本のプロ。いいえ、尊敬を込めてオタクという表現の方がシックリくる程の迫力です。

日常では決して触れる事の無い世界の一端に次々と触れることが出来ます。ネットサーフィンならぬ、ブックサーフィンです。本書で触れている書籍を何冊も購入してしまいましたがほぼ積読、本棚の肥やしになっています。

今年の5月から読み始め、いまだ読了していませんが寝る前の愉しみになりました。

 

3.「金融に未来はあるか」ジョン・ケイ

今年も身近なフロンティアとして、ファイナンス世界についてリアル、バーチャルともに探検を進めました。間接的な探索手段の一つである本の中で最も読み応えがあったものが「金融に未来はあるか」です。

原題の「Other People's Money」という金融における基本姿勢を軸としつつも、様々な考察がちりばめられており、パラグラフ単位で思考に刺激を突っ込んで来ます。

逆選抜とモラルハザードの節にある「イングランドにおける変死や事故死のリスクは13世紀からほぼ一定である。」という話は、現代社会における安全対策の根本思想に一石を投じます。

共同体組織(ゲマインシャフト)と機能性組織(ゲゼルシャフト)、それぞれから生じた異なるファイナンス哲学の話は、金融業界だけでなくこれからの会社のあり方を考えるヒントになります。

つながり過ぎて複雑になりすぎた社会は、さらなる機能の細分化と短期的思考のベースとなる流動性の向上を加速します。それだけに、すべての機能性組織は共同体組織としての意識、つまり「時間軸」を持った社会最適化のための道徳の徹底が欠かせません。

「資本効率の向上」の一点突破で経済の活性化を目指す日本のコーポレートガバナンス改革、資本効率の重要性自体に異論はないのですが、一点突破故の危うさを感じています。その危うさの背景と今後の方向性を考える一助となりました。

 

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本はかさばる、持ち運びだけでは無く保存にも場所を取る。それでも、じっくり紙の本を読む事は愉しい。結局、この「愉しい」というスタイルが全てなのかもしれません。