THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

リアルとバーチャルのバランスが急激に変化する社会

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今年も恒例の富士登山競走まであと二週間を切りました。昨年と比べると調整は遅れていますが、今年は無理せず疲労を蓄積させないように疲れているときはロードバイクに乗っています。

先日もアクティブリカバリーのためにバイクで大井埠頭に向かったのですが、土曜日だったこともあり夥しい量のトラックが列をなし、とても自転車が走れる状況では無かったので早々に退散せねばとあたふたしていると巨大な重機がものすごい勢いで高く積み上げられたコンテナを移動しているシーンに出くわしました。

 あまりのすご技とそのスピードに惹きつけられしばし社会見学。リアルな物流システムのすごさに感動しながら、リアルとバーチャルのバランスが急激に変化してるんだよなぁと思いふけってしまいました。

 

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昨年の自分のメモを引用します。 

経済には実体経済と金融経済がある。前者は消費を伴うが後者は伴わない。その消費を伴わない経済のインパクトが大きくなっていることが企業経営の大きな課題となっている。正確な数字はわからないが、1980年は1.1倍、1990年に2倍、2000年に3倍、現在は10倍以上、50倍以上のギャップが生じていると指摘しているものもある。いずれにせよ、この10年で実体経済との乖離が加速していることは間違いない。

 

金融経済とは仮想的な価値の塊です。経済と言っても等価交換ではなく、金利の大小で機能している点が実体経済と根本的に異なります。しかし、マネーというもので両方の経済はつながっています。そんな両方の経済世界のバランスが大きく崩れ、しかも仮想価値ばかりがインフレーションしている先にどのような未来があるのだろうかと考えると混沌としてきます。

一つ明らかなのは価値革新も加速していることです。等価交換の社会的な認識を変えていくことです。価値革新は歴史からいくらでも事例を発見できます。戦国時代の茶の湯もその一つです。茶碗一つが一国に値するなどと言われたのは国を持つ人間が単なる土の塊に一国並の信用を与えることで等価交換の対象範囲を革新したということです。そのような価値革新の大衆化が加速しています。

個人のフリマ市場も価値革新です。これまで個人では流通が困難であった中古品を簡単に再商品化することで価値を再生しています。会社のM&A市場も価値革新を促しています。私はかつて企業価値は解散価値以外の何物でも無いと考えていました。ゆえに、現在でも時価総額とは経営者がコミットした将来キャッシュフローと解散価値の合計と考えています。

しかし、M&A市場によって将来キャッシュフローを既存の事業活動から得るだけではなく事業の商品化により信用創造を加速することも出来ます。これも価値革新の一つです。

このような価値革新は随所で発生していますが、これにより心配なのが金融経済の加速的膨張のギャップは誰が埋めるのかという点です。

金融経済は信用の総量です。信用とは誰かが誰かに約束した交換価値です。ゆえに、ギャップが生じていても誰がそれを埋めるのか、もしくは信用が破綻した場合誰が責任を負うのかが明確であれば不確実性はあっても不透明感はありません。いわゆるとれるリスクになります。

企業価値は膨張していても大抵その信用保証の責任者やステークホルダーが見えます。M&Aでオーナーチェンジが生じても、買収側にそのギャップを埋める責任が移転するだけです。しかし、金融経済全体になるとその構成要素が複雑すぎて何処にどのようなリスクがあるのか今の私にはイメージがつきません。漠然とした不安は情報を得れば得るほどに募るばかりです。

そんな中、たまたま眺めていた情報誌にあった一節を思わずメモしました。

「未来に対する最上の準備は、現在をしっかり見つめること。やるべき義務を果たすことである」―― ジョージ・マクドナルド(小説家)

遙かなる古よりいろんな人が様々な言葉で同じ事を言い換えています。確かに変化が止まらぬ現実への対応方法の基本であると思います。しかし、現在をしっかり見つめる手段は飛躍的に進歩しています。現在の金融膨張の背景に技術革新があるように、このような私たちの不安を解決するためにも情報技術を活かすことが出来るでしょう。

現在を見つめる力を高めるために情報技術をもっと活用しようと取り組んでいます。

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