THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

Unconscious Bias 無意識の思い込み

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先日参加したダイバーシティ研修の中で「Unconscious Bias」に関するディスカッションテーマがありました。目に見えない違い(区別や差別)の具体例を聞きながら、普段それを意識しているかと自問すると、怪しいものばかりでした。

自動車の運転のように、運転に慣れるとかなりの動作は無意識に行われるようになります。その結果運転のストレスは減るのですが行き過ぎると思わぬ事故につながります。

普段の生活においても、かなりの思考や動作が無意識に行われています。慌ただしい日々を乗り越えていくために考える事や行動する事を絞り、無意識の前提条件、つまり思い込みを不安定な積み木のように積み上げています。

危ないなぁ、そんな思いを持った時にある言葉が浮かんで来ました。

「明歴々露堂々」(めいれきれきろどうどう)、十数年前、あれこれ悩む事に明け暮れていた頃、人から頂いた言葉です。

「真理は奥深いところに隠れていて誰もが簡単に見られるものではないと考えられがちであるが、実際は全くあからさまであり、隠すところなど微塵もない。それが見えないとすれば、見ようとしないだけか、眼が曇っているに過ぎない。」(茶席の禅語大辞典、淡交社、P639)

当時は悩まずとも成るようになる。そんな程度の理解でしたが、今になってこれかと感じました。

思い込みに気づき、見ることを大切にした先にどのような未来があるのだろうか、そんな好奇心が刺激されました。

テクノロジーの進歩によって進化した絵画表現

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写真はアンリ・マティスの「待つ」。東京国立近代美術館で現在開催されている「窓展」(2020年2月2日まで)で展示されているものです。

 

さて、このマティスの絵、「どこか変なところはありませんか?」

 

とは、「窓展」のギャラリートークでお話いただいたキュレーター、蔵屋さんからの問いかけです。

14世紀のルネサンス期以降、絵画は「一点透視遠近法」という三次元表現を磨き込んできたそうです。学生の頃絵画と写真を少しだけかじっていた私は、当時写真より美しい風景画としてターナーの作品が好きでしたが、一点透視図法による写真的な絵を正解と捉えていたからかもしれません。

余談ですが、マティスの「待つ」は1921〜1922年の作品。スナップショットの普及に貢献したカメラ、ライカの登場直前ですがすでに写真は普及期に入っていた時代です。なんとなく、iPhoneとライカはイメージ的にかぶります。

 

さて、その後の蔵屋さんのトークによると、マティスは写真の登場によって絵画表現の自由を得たとのこと。正確な三次元表現なら写真でいいじゃん、表現したいように描けるのが絵だ。という事だそうです。「待つ」。確かに写実性という点では引っかかるところがありますが、それらは何かを「待つ」人と情景の印象を強くし想像力をかき立てます。

「そうか、現代抽象表現のビッグバンは写真というテクノロジーの進歩によって引き起こされたのか」と、ピカソからバスキアまで近現代の絵画表現のあり方を唐突に感じていたモヤモヤが晴れた瞬間でした。

 

AIだBIだと情報技術の進歩著しい現在ですが、知識、画像、動画、音声、さまざまな情報を簡単に共有できるテクノロジーの普及は、これまで見向きもされなかった表現に新たな価値を吹き込む価値創造のビッグバンの始まりかもしれません。

私たち人間の感受性や表現の進化を夢想するインスピレーションあふれる企画展のギャラリートークでした。

バランス、バランス、とは言ってみたものの

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経営はバランスだ、食事はバランスが大切、ワークライフバランスだ、などなど、普段から「バランス」と言う言葉を頻繁に使っていますが、果たしてそのバランスとやらをちゃんと理解しているのだろうか。ふと我に返ることがあります。

辞書(大辞林第四版:三省堂)によると、「バランス 〖Balance〗釣り合い。均衡。」

なるほど。では「つりあい」〖釣り合い〗は?と引いてみると、「①釣り合うこと。均衡。調和。バランス。②力学で、一つの物体に働くすべての力の合力がゼロとなって、重心の動きが変わらない状態。動いている力が二つのとき、力の大きさは等しく互いに逆向きである。平衡。」とあります。

「均衡」は「いくつかの物事の間に力や重たさの釣り合いがとれていること。平衡。バランス。」バランスという言葉のイメージ通りですが、その釣り合いとやらが一体何を指すのかいまいちわかりません。

そこで、釣り合いと均衡の両方にあった「平衡」を引いてみると、「①物事の釣り合いがとれていること。また、その状態。②力学的に釣り合っている状態。力学的平衡。③系の全エネルギーが変化しない状態。熱平衡。様々な系について、状態が変化しない場合に相平衡・化学平衡・放射平衡などが定義されるが、いずれも熱平衡の特殊な場合である。」です。

平衡の③にヒントがありそうです。そこで「系」を引いてみると、「①ある関係のもとにつながった統一体。体系。②[corollary]一つの定理から派生形に導かれる命題。③地質時代区分の「紀」の期間に形成された地層・岩体。④[system]物理・科学・生物などの分野で、一定の相互作用や相互関連のもとにある、もしくはあると想定されるものから成る全体。力学系、生態系、神経系、開放系など。

ここで、「バランス」を取るとは何らかの「系」、つまりシステムの状態が変わらないようにする事であるとイメージがついてきます。言い換えると、なんらかの「システム」のどのような状態がバランスのとれた状態であるかを知らない限り、本当のバランスは取れないと言うことです。

経営のバランスは事業を継続するためのバランスであり、食事や運動のバランスは身体というシステムを維持するためのバランスです。しかし、企業の不祥事から暴飲暴食や運動のやり過ぎなど、現実の様々な活動がバランスを欠いてしまうのはなぜでしょう。恐らく、システムの捉え方が小さすぎるためでしょう。

経営におけるバランスを、会社ではなく社会というシステムの中で考えるとESGやSDGsなどに促されずとも自ずと社会の持続を全体とした思考や行動が生まれます。食事や運動のバランスについても、個人の心身の健康というだけではなく、自分を家族やコミュニティなど自身が関わる「システム」の一部として考えるとそのバランスの取り方も変わるでしょう。

「系」・「システム」という視点を持つことで、本当のバランスが見えてくる。様々なバランス感覚を求められる時代であるからこそ、重要な視点であると感じています。

今年の三冊、やっぱり紙の本はいい。(メガネ万歳2019)

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今年は紙の本に回帰しました。

今読みたい一冊を鞄に入れ、移動時間などでパラパラとめくりながら思いにふけったり、本に書き込みしたり。やはり愉しみとしての「読書」は紙に限ります。

紙で読んだ書籍の中で今年印象に残った三冊をご紹介します。

 

1.「神は詳細に宿る」養老孟司

養老先生の最新刊。

最初に読んだ養老本が「唯脳論」、独特の養老節に魅了され、その時以来の養老ファンです。

本書はこの「唯脳論」から30年の節目で、養老節のエッセンスを語り直したものです。思考に強い影響を受けた一人である事を再認識しました。

「生きそびれないようにすること」の一節、台湾で昆虫採集をして大はしゃぎしている中老年先生達の話では思わずニヤリ。ウルマンの青春の詩とも通じる精神の若さと人生の愉しみ方に大賛同です。

「神は細部(詳細)に宿る」と言う有名な言葉好きにはたまりません。

心のメンテナンスに効いた一冊です。

 

2.「大読書日記」鹿島茂

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新聞の書評を切っ掛けに読み始めた本です。

中身は「書評」!!

何事にもその筋のプロという存在がいますが、まさに本のプロ。いいえ、尊敬を込めてオタクという表現の方がシックリくる程の迫力です。

日常では決して触れる事の無い世界の一端に次々と触れることが出来ます。ネットサーフィンならぬ、ブックサーフィンです。本書で触れている書籍を何冊も購入してしまいましたがほぼ積読、本棚の肥やしになっています。

今年の5月から読み始め、いまだ読了していませんが寝る前の愉しみになりました。

 

3.「金融に未来はあるか」ジョン・ケイ

今年も身近なフロンティアとして、ファイナンス世界についてリアル、バーチャルともに探検を進めました。間接的な探索手段の一つである本の中で最も読み応えがあったものが「金融に未来はあるか」です。

原題の「Other People's Money」という金融における基本姿勢を軸としつつも、様々な考察がちりばめられており、パラグラフ単位で思考に刺激を突っ込んで来ます。

逆選抜とモラルハザードの節にある「イングランドにおける変死や事故死のリスクは13世紀からほぼ一定である。」という話は、現代社会における安全対策の根本思想に一石を投じます。

共同体組織(ゲマインシャフト)と機能性組織(ゲゼルシャフト)、それぞれから生じた異なるファイナンス哲学の話は、金融業界だけでなくこれからの会社のあり方を考えるヒントになります。

つながり過ぎて複雑になりすぎた社会は、さらなる機能の細分化と短期的思考のベースとなる流動性の向上を加速します。それだけに、すべての機能性組織は共同体組織としての意識、つまり「時間軸」を持った社会最適化のための道徳の徹底が欠かせません。

「資本効率の向上」の一点突破で経済の活性化を目指す日本のコーポレートガバナンス改革、資本効率の重要性自体に異論はないのですが、一点突破故の危うさを感じています。その危うさの背景と今後の方向性を考える一助となりました。

 

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本はかさばる、持ち運びだけでは無く保存にも場所を取る。それでも、じっくり紙の本を読む事は愉しい。結局、この「愉しい」というスタイルが全てなのかもしれません。

そうだ 本屋、行こう。

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・本屋とアマゾン

かつて大型書店通いは大量かつ広範な情報との接点でした。休日になるといくつかの気に入った書店に出向き、特にテーマを決めずに最上階から体系化された本棚を流し、その時々の意識、無意識との接点を探していました。

接点が見つかる度にしばらく立ち読みし、気に入ったものを数冊まとめ買いをして帰ります。大筋は立ち読みで済ませているので熟読するためのストックとして持ち帰ります。そういった本は寝室に並べ、休日や就寝前にランダムに読んでいました。

そんな習慣は、老眼とアマゾンの影響で激変し、この数年は殆ど書店に出向くこともなくなりました。

 

・本に書いていない情報

一方で、本よりも異なる世界の人との直接の接点を広げるようにしてきました。直接の会話や体験を通した学習機会では、相手のプロファイル、発言の背景、集まった集団の反応など五感をフル活用した議事録には残らない非言語的情報を咀嚼して自分なりの解釈へと昇華していきます。

このようなプロセスは最低でも小一時間、場合によっては数日、数ヶ月かかる事もあります。そこから得られた新たな知見は本からは得られない貴重な情報となる場合が多いです。

異世界ゆえ、事後に補完的な情報が得られるほど昇華の質も良くなるのでインターネットは大変便利なツールです。併せて他者とのブレストやディスカッションといったインタラクティブな手法を取り入れる事はより有効です。

このような方法は、嘗ての本屋との接し方と近いものがあります。五感を通して多様なジャンルの本とブレストのように接する。想像力は必要ですが、沢山の人と擬似的な対話が出来ます。

 

・行動に火をつける刺激と適切な行動とするための情報

本来、情報という刺激を取り入れる目的は、人間が本来持っているパッション、つまり何かをやりたいという本能に方向付けを与え行動に火をつける事と、一度動き始めた行動を適切な方向へとガイドする事にあります。

前者では、これまで自分の知らない新たな刺激、情報が有効です。後者は進んでいく方向に役立つモノゴトを深掘りするための情報が有効でしょう。いずれも自ら持つパッションを活かすための主体的な情報との関わり方です。

上記に加え、脳をリカバリーするための回復食的な情報も重要です。普段ストレスにさらされて未来について考える事に疲れているほど脳はコンフォートゾーンを求めます。脳の疲労も深刻な問題なので、その回復は重要です。瞑想や、好きな音楽を聞く事は有効です。ただし、情報との関わり方は主体的でないと危険です。

 

・ネットだけだと好奇心が萎える

本屋に話を戻します。

かつての総合書店通いは主体的な情報との接点として大変役立つものでした。書店という物理的な建物の中で、求めている本にたどり着くまでに沢山の寄り道が出来るからです。

それと比較すると効率的な販売活動と密接不可分の現在のネット情報は寄り道がしにくいと感じます。物理的な一覧性の低さにより、思いがけない新たな出会いは決して多くありません。

自分の過去の関心事をベースに繰り返し提供されるニュース、書籍はむしろ好奇心を萎えさせる事もあります。一方で、経験・体験を重視しすぎると体力的な限界にぶち当たり、いわゆるオーバートレーニング状態になってしまいます。いずれも健全なパッションを維持するには十分ではありません。

さて、どうしたものだろう。ぼんやりと機上の窓からの風景を眺めて浮かんできたのが次の一言。

 

「そうだ 本屋、行こう!」

 

生きた経営情報とするために

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今年も師走。冬の便りも届き始めました。(写真は鳳凰三山)

 

今回はステークホルダーとの対話の意義についてです。

経営者にとって、”経営情報”は意志決定のためだけでは無く、様々なステークホルダー(利害関係者)とのコミュニケーションツール(言語)として使えないと無意味です。経営とは組織を通して成果をつくる活動であり、その成果は様々なステークホルダーと共有されるものだからです。

ゆえに、アカウンタビリティ(説明責任)は、一方的な説明ではなく、双方向の対話を前提としています。

”経営情報”をステークホルダーと会話するための「言語」と捉えると、会計情報はその語彙の一部です。株価やファイナンスに関する情報も同様です。会話するステークホルダーの幅を広げるほど語彙の幅が広がります。しかし、明治に西洋文化を取り込む中で生まれた沢山の新語が本当の日本語になるまでには相応の時間がかかったように、言葉の裏にある意味や意義を自分たちのものとするのは簡単ではありません。

・・・

ステークホルダーの一角である機関投資家との対話では、実際に使うかは別としても、ROEやROICと言った資本生産性に関する単語は重要です。いずれも十分に大衆化した単語ですが、振り返って自分にとって生きた言葉であるかと言えば怪しいものです。

機関投資家が資本生産性の視点から投資判断をしている事は理解していても、資本生産性指標を日常使い、つまりステークホルダー全体に対して意義のある事とするまでには至っていません。使い方を間違えると特定の利害に偏った経営を招きかねません。

そんな、暗記しただけの外国語のような言葉を生きたものとするには、ネイティブスピーカーとの対話を通して言葉のコンテキストを理解し、自分自身も日常で使っていく事が欠かせません。語学と一緒ですね。

ステークホルダーとの対話力を磨き続けることも経営者の重要な仕事である。会社内部から海外IRへと経験の幅を広げるにつれ、対話の意義と価値をそのように実感するようになりました。

 

さて、当ブログは今回で5年目に入ります。5年は続けるという事で始めたブログ、最終ラウンドもよろしくお願いします。

Prepare, Concentrate and Enjoy!

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負荷をかけた後のリカバリー時間が十分に確保出来ないので、最近はトレイルはショート、ロードはハーフと短めのレースに参加しています。そもそも健康第一を目的としたランニングですが、レースとなると練習を含めツイツイ追い込んでしまい、その後のリカバリーに苦労する事が絶えません。

そこで、距離は短く、回数は減らさないようにレースの組み立てを修正しました。これがかなり具合が良く、翌日以降に大きく疲れを残さず、ある程度の走力を維持が出来、かつ日常の活力も養えています。本来の目的に軌道修正出来ました。

加えて「ランを楽しむ」ように心のスタンスを変更しています。以前はレース中ギリギリで走る事が多く、楽しむ余裕など全くないランでした。ゴールは格別ですし、振り返るとまたやりたいと思うのですがレース中は苦行で追い込んでしまい、その後ダメージも大きいものでした。

楽しむ工夫を幾つかやってみたところ、一番効いたのは応援やスタッフの方々に声がけする事でした。自分の心拍数やペースばかりに集中するのではなく、周囲を見てこちらからも声をかける。そんな事で一気にレースが楽しくなりました。

ランニングに限った話ではありませんが、レースや重要な目標がある場合、そこに向けた適切な準備、そして行動への集中は当然の事ですが、それに加えてプロセスを楽しむ工夫や取組みを積極的に行う事で人生は豊かになる、そんな価値観が数十年を経て一回転して戻ってきました。

Prepare, Concentrate and Enjoy!