「言語の本質~ことばはどう生まれ、進化したか~」(今井むつみ・秋田喜美)を読んだ。
中学生時代、カール・セーガンの「COSMOS」に夢中になった。宇宙というものを、歴史や化学、天文学、多様な角度から映像化した番組はビデオが擦り切れるまでなんども見た。ちょっとした宇宙の旅だった。
本書は認知科学者と言語学者による「言語」の旅である。この旅は「オノマトペ」から始まる。
「オノマトペ」、このフランス語の示す意味は擬音語である。しかし、日本語ではむしろ、擬態語や擬情語が多い。身体的に感じる感覚を表す言葉のことを指しているそうだ。いわゆる赤ちゃん言葉である。(本書に紹介されていたYouTube「ゆる言語ラジオが面白すぎてヤバかった)
youtu.be
人間が言語を学習する過程で、このオノマトペの存在が重要な役割を果たしているという。身体的な感覚と音感を結びつけていくことを繰り返すことで、言葉としての認知の土台をつくっていくらしい。
なるほど。私たちは普段、何の気なしに使い慣れている言葉をつかっている。学習を重ねて、いろんな言葉を覚え、経験を増やしていくほど身体的共感とはかけ離れた言葉を駆使している。
例えば、「日本のDXって、AIやBIを使ったSIなんだよね」というフレーズ。IT業界にいる人間であれば、これでなんとなく会話はできるが、実際に言いたいことが伝わっているかといえばかなり怪しい。ましてや、業界外の人にとってはただの怪文書だろう。
世の中には、こんな怪文書があふれている。それでも、想像力を膨らませて、こんなことかなと理解を試みて生きている。
本書では、こういった、未知なものをすでに得ている知識からつじつまを合わせて認知していく「アブダクション推論」が人類の特徴的な学習方法であると指摘していた。
幼児期の言語習得は、この推論をひたすら繰り返しているらしい。ただし、想像だけでは現実との折り合いは早晩破綻する。よって、体験を通して、推論の精度を向上していく。この力が人間の言語の発達、ひいては社会の発展のトリガーではないかとも言っている。
私は、人間は「思い込む力」としての「意志」がほかの生き物との決定的な違いであると考えている。これまで、この思い込む力がどこから生じているのかについては乱暴にDNAだろうと片づけていたが、本書を読んで言語の学習プロセスがかなり重要な役割を担っているのではないかと推論(笑)するようになった。
この数か月、対話型AIと会話を重ね続けるにつれ、「人間との決定的な違いは意志の有無だな。」と感じるようになった。今のところ、AIの意志を感じるようなリアクションに出会ったことがないからだ。しかし、対話型のAIはアブダクション推論と思えるような認知を示すことは少なくない。何かを質問した時に、的外れな答えを返してくることこそ推論の結果であり、その後の対話による補正活動が学習である。
もし、アブダクション推論が「意志」を生み出す要因だとすると、いずれAIも意志を持つかもしれない。「2001年宇宙の旅」に登場するAI、HAL9000は自らに課せられたミッションを果たす「意志」を持ったAIとして搭乗員である人間に反乱する様子が描かれているが、実際に対話型AIを使いながら「まぁ、現実にはそんなことにはならんだろうなぁ」と考えていたのだが。
本書を読むまでは。。。