THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

「THE GOOD LIFE」を読んで、感じた違和感について考えてみた

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「THE GOOD LIFE」(ロバート・ウォールディンガー、マーク・シュルツ)を読んだ。ハーバード成人発達研究の80年以上の追跡調査によって明らかになった「幸せ」の要素と、それを磨く処方箋である。

科学的アプローチで人間の幸せを探求するための膨大な調査情報やフレームワークは示唆に富む。しかし、読み進めるほど違和感を感じるようになった。

さて、違和感のもとはなんだろう?

「幸せ」は、良好な人間関係に大きく影響を受ける。そして、良好な人間関係は「注意」と「気配り」の継続によるつくられるという考え方には異論はない。しかし、本書の登場人物である被験者の発言に対する共感が時々バグるのである。

違和感の一部は、調査サンプルが米国の白人中心であることかもしれない。本書では、それを様々な人種や地域の調査結果も取り込み、普遍的なものとして話を展開しているが、どこまでも米国東部のローカルな価値観がにじみ出ている。

それゆえに、私のような外国人は違和感を覚えるのだろう。

日本には「郷学」という考え方がある。それぞれの郷土、地域には有名でなくとも素晴らしい生き方をした人々がたくさんいる。そういった人から学ぶことは、日々の生活を豊かにする。そんな学問である。

この研究は、米国東部の郷学である。その前提で読めばそもそも違和感を感じなかっただろう。たくさんの被験者の言葉にあふれた本書を読むと、実際にその土地に暮らしたようなカルチャー・ショックが体験ができるのだ。

急速に進んだグローバル化が踊り場に達し、多極化が進む世情を見ると、科学的アプローチを根拠にすることで、社会の複雑性を単純化しようとする米国発のグローバルスタンダード的発想の限界と、本書から感じた違和感は同根のように思えてきた。

 

記憶に残る一冊になった。

第6回、烏帽子岳登山競争

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昨年に続き、二度目の烏帽子岳登山競争に参加した。山頂をゴールとする7.5キロ、+1200メートル、今年は85名が出走という小規模なファンラン大会かと思いきや、かなりのガチレースである。

出走後1分で最後尾グループとなり、15分後にはその最後尾グループにも置いて行かれた。後ろにだれも見えなかったので、スイーパー(最後尾でフォローしてくれるスタッフ)のお世話になることを覚悟した。

時間制限が3時間と余裕があるのでほとんど登山ペースになっていたが、早々に下山してくるランナーから「がんばれ~」と声を掛けられると少しペースが回復し、昨年よりタイムを落としつつも無事完走できた。

紅葉真っただ中のトレイルを満喫できる、好きなレースの一つである。

「心の中のブラインド・スポット」を読んで自分の盲点を考えてみた

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「心の中のブラインド・スポット」(M・R・バナージ+A・G・グリーンワルド)を読んだ。

冒頭、網膜の盲点を実際に体感させることから始まる。格子状の図のある部分が黒丸で塗りつぶされているのだが、そこにうまく盲点を合わせると黒丸が格子になるのである。

 

私は、本を読むときに作者から新たな知識、視座やインスピレーションを得ることをどこかで期待している。よって、「イイタイコト」を文章に探しながら読む。「ああ、これだな」と一文を特定することが多い。

しかし、本書は人が自覚している自分と無意識の自分にはかなり乖離があることを様々な例やテストを通して教え込んでいくもので「一文」が見当たらない。その本のあり方そのものが「イイタイコト」になっている面白いタイプの本だった。

人間の脳が盲点を補正するという能力は、未知のことをすでに知っている知識を使って物語にする能力につながる。そして、共通の物語を信じる集団は、それ以外の集団と別のものと区別する。そんな、妄想とステレオタイプなラベリングが社会でどれほど影響力を持っているかを自覚する機会となる。

個人的には、人間の「思い込む力」は社会発展の原動力であると考えているので、そういった社会の在り方を否定するものではない。しかし、わずかな情報で盲点を埋めるような早合点をして、間違った判断をしてしまったことも数えきれない。

「森川さんは人を見る目が無い」といわれるような判断をした時は、たいてい相手に対する期待に「早合点」を起こしている。むしろ、「わからない」という前提で判断をしたほうがよい関係をつくれる。

普段の生活においては便利な機能であるが、特に「人」にかかわる判断においては盲点を性別や年齢、人種、学歴、職歴など何かで埋めてはいないか、それは頼ってもいい属性なのかを意識的に確認すべきなのだろう。それでも、ある程度時間をかけて相互に培った信頼関係に優るものはない。

そんなことを考えさせられる一冊である。

経営者として体験した認知の壁とその原動力

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企業価値を意識した経営というものを考えていて、なぜ私たち日本人にとってそれが難しいのだろうかと自分の経験を振り返っていた。MBAのような経営者教育が一般化してないこともあるが、欧米の価値観を理解しないと簡単には越えられない、いくつもの「認知」の壁があったことに気が付いた。

個人的にも、人が世の中をどのようにとらえるかというテーマを若いころから追いかけてきた。10代のころの自分がとても独善的で、妄想的に世の中をとらえてしまったことで起こしたいろんな失敗経験がトラウマになっているからだろう。いわゆる中二病のトラウマである。

社会人になっても程度の差はあれ、経営者としての中二病を克服するために超えてきた壁をいくつか挙げてみた。

 

・資金繰り恐怖の壁

・事業成長と経営を担う人の成長ギャップの壁→多くの成長企業がここで悩んでいる。

・リスク認識への壁

・高収益に対する心理的抵抗感の壁

・成長投資への財務的幻想の壁

・グローバル経済と日本経済の変化ギャップ認識への壁

・会社を商品として経営することへの壁→ここを日本企業経営の課題と感じている。

 

それぞれ、書きだすと長くなるので別の機会とするが、知識として知っていることと、行動そのものが変わる腹落ちした理解は全く別物である。

私はかなり頑固なほうらしく、人の言うことを聞かないといわれることも少なくない。ゆえに、それなりの心理的痛みを伴う経験を経ないと本当の意味での認知ができないらしい。めんどくさい性格であり、かつ要領もよくない。

しかし、その背景は「本当のところ」を五感を通して理解することに人間成長の楽しさを感じているからのように思う。ようは、人間は自分の好きなことしかできないのである。

若いころ、なにをやっても続かなかった自分が、この「経営」についてはいまだに続けられており、かつ楽しいと感じられるようになったのはひとえに継続できていることにある。おそらく、経営が自分の好きなことと根っこの部分で一致したからなのだろう。

継続は力である。しかし、継続するためには、自分の好きをしっかり見つめることが欠かせない。そんな風に思う。

 

 

多様な機関投資家との創造的対話は役に立つ

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先月末に株主総会を終え、欧州の機関投資家向けのIRツアーに出かけていた。

「世界に通用するソフトウエア会社をつくる」というビジョンを掲げた自社の成長戦略を磨くために、数年前から海外の機関投資家回りをするようになった。株主だけでなく、潜在的投資家も対象にしている。

はじめは、海外の機関投資家の考え方を学ぼうという程度の関心であったが、回を重ねるにつれ、その対話が事業戦略を磨く優良な機会となることに気づいた。

もちろん相手は様々である。いわゆるファンドマネージャーが中心だが、成功したファンドのファウンダーと対話できることもある。それぞれ、異なる投資方針、評価尺度を持っていて面白い。

投資哲学とこちらの経営哲学が一致すると、長期の価値創造について目が覚めるような対話になることもある。

今回の訪欧は当社としては大規模な成長投資方針を含む新たな中期戦略を発表したばかりということもあり、その意義はいつも以上に高かった。中でも、今回多くの投資家がM&Aに対する具体的な説明を求めてきたことは印象深い。

日本企業のM&A力をかなり慎重にみているようだ。相応の経営力が必要で、本業以外にかなりの経営的負担のかかる活動だからだろう。もちろん、ロジカルにリスクや回収可能性が説明できれば問題ない。

M&Aも長期的な事業成長の手段の一つであるが、売上や利益といった財務的成果を出すだけでなく、長期にわたる成長発展をイメージして必要なアクションを行うことは経験的にもなかなか簡単ではない。

しかし、多様な機関投資家、とりわけ長期投資の投資家との対話は、社内では看過してしまうような部分も言語化され、戦略実行のリアリティが高まる。つまり、長期成長戦略のための行動とアウトプットが明確になる。

異なる考え方、視点を持つ人が創造的に対話することで、シュンペーターの言う「新結合」、イノベーション力を高めようというダイバーシティの意義にも通じるが、しっかりとビジョンをもった経営戦略を実行しようと思うほど、多様な投資家との対話は役に立つ。

アダム・スミスと自他一如

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18時間かけてやってきたエディンバラ、滞在時間は17時間。初めての街、朝ラン中にアダム・スミスの銅像に遭遇。富国論、「神の見えざる手」だ。

 

自由な市場で、個人がそれぞれの利益のためにビジネスを追求すると、社会が豊かになる。そんなところだろうか。

 

東洋風に解釈すると自他一如である。この思想の本質は、長期の視点で自己の利を考えること。自ずと、他者や社会の役に立つことを考え行動出来るようになる。

 

短期的な利に振り回されず、長期で豊かな生き方を追求すること。ここでの投資家にも、そんな考え方を感じる人が少なくない。