今年も経営に関する話題はたくさんあったが、上場企業のPBR(Price Book-value Ratio:株価を簿価で割ったもの)1倍割れ問題とならんで「人的資本経営」も流行語大賞の候補だろう。
「人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上につなげる経営のあり方です」と経済産業省は定義している。
古くから経営における重要な事業資産は「ヒト・モノ・カネ+ジョウホウ」と言われている。ヒトが筆頭である。総論としては目新しさはない。問題は、そのヒトの価値を最大限に引き出すために何をするかということである。
何をするかのコアな要素の一つが、ダイバーシティである。多様性というものであるが、ヒトの価値を最大化するために欠かせない視座であり整備すべき環境ということで、議論や取り組みが盛んにおこなわれている。
しかし、個人的には今一つ腹落ちしていないのが本音である。海外ファンドのボードミーティングに参加して、そこでの女性比率の高さや、様々な国のメンバーを意図的に取り込んでいる状況に触れると、「なにかあるな」とは感じるのだが、本当の意味、つまり実際の経営戦略に落とし込めるレベルかといえばまだまだだ。
もともとリベラルな思考(自由と多様性を好む思考)を持って経営してきたつもりだが、日本の大企業を中心顧客として、連結会計やグループ経営、経営情報の活用ソリューションといったビジネスでダイバーシティの必要性を実感する機会がほとんどなかったという現実もある。取締役会のダイバーシティは進めてきたが、執行陣はほぼ日本の男子校状態と言っていい。
必然性がないことはついつい劣後してしまう。それでも対応しなければならない場合は、形式的になり、かかわる人の価値を棄損してしまう。
大なり小なり、そんな形式対応の失敗経験を経て、コーポレートガバナンス改革についてはその本質を追求し、取締役会のあり方や、企業価値のつくり方をしっかりと議論し、試行錯誤して本当に意味があると心から思えるように昇華して経営に活かすように取り組んでいる。
さて、ダイバーシティであるが、意外なところから身体的な腹落ち感を得ることができた。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜紗)を読んだことがきっかけである。2015年初版のロングセラーである。
エッセンスは序文に集約されている。著者は「自分とは異なる体を持った存在への想像力を啓発する」生物学に興味を持ち、生物学ではなく「美学」という「わかってるんだけど言葉にできないもの」を言語化する学問からそれにアプローチした。その結果、両者が「身体」でつながることを発見したという。
私たちは社会生活を行うために様々な分類を行っている。身体についても人間であれば「身体一般」として抽象的なグループ(人種、性別など)に分類している。しかし、本当は「身体一般」など実在しない。というのである。そして、著者の考える「新しい身体論」とは「身体一般の普遍性が覆い隠していた「違い」を取り出そうとするもの」だと言う。
走りながら「やばい!やばい!これだ!」と読んでいた。(本書流にいえば、耳で読んでいた)
ダイバーシティの議論では、組織を一般化し、ひとを抽象化して男女や外国人、職種やスキルなどのフレームをもってその比率や人数からアプローチすることが多いのだが、本質が見えずどうしても違和感がぬぐえなかった。フレームそのものがダイバーシティの本質を覆い隠してしまっていたのである。
当社はこれから本格的に人的資本経営を経営戦略に落とし込んでいくというフェーズであるが、このタイミングでこのような本に出逢えてよかった。
とはいえ、ようやく身体的に「わかった」ところにたどり着いた段階だ。具体的な言語化はこれからである。美学同様、経営戦略という言語化を進め、構造というものだけではできない、埋もれている「違い」を活かし一人ひとりがポテンシャルを出し切れるようなダイバーシティを実現できるように経営陣とも議論を深めていきたい。