THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

一身独立して一社独立す

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 「協力は仰げど、依存せず」会社を起業したころ大切にしていた行動指針の一つだ。事業の立ち上げは、人の力を借りなければどうにもならないことばかりだが、依存するようなカタチであっては早晩破綻する。よって、力を借りるときほど、自立化のイメージを重視した。イメージできないことは実現しない。

 依存心は自然である。家族や親に対する依存心、仲間や組織に対する依存心、国や自治体に対する依存心。それは否定するものではなく、自然なものである。しかし、健全な依存関係は、それぞれの健全な自立があって成り立つ。親が自立できなければ、子は親に依存できない。いずれ親が子に依存しなければならない時、子が自立できていないと依存できない。会社や国と個人の関係も同様だ。それゆえ、私たちは、自立という力を磨いている。

 いや、なんでこんなややこしい話を書いているかと言えば、個人の自立を磨く環境の一つである自由経済社会がちょっとヤバいんじゃないかという不安とあわせて、自分の経営でも、自立を促す環境つくりが未熟であると認識しているからである。

 特に政治信条というものはないのだが、個人的に望ましいと思っている社会のありかたとして、古典的なリベラルに通じる考え方を持っている。リベラルと言うと、国や政党によって、その在り方が違うので誤解されやすいが、政治信条としてのリベラルとは相いれないことも多い。企業家資本主義、とでも言ったところだろうか。

 人間一人ひとりの可能性を信じ、依存よりも自立を大切にし、その実践の場である自由経済を健全に発展させる。といったことが骨格だ。

 いやなに、こんなものは勝手に湧き出てくるものではない。身近な人や読んだ本などの影響が折り重なって出来上がっている。パッと思いつくところでは、司馬遼太郎、養老孟子、水木しげる。いずれも、先の戦争で国家思想が一夜にしてがらっと変わった体験をしている人たちだ。

 書いている内容は様々だが、私には、「世の中に絶対善はない」というあたりまえのことが、普段の教育や生活を通して簡単に見えなくなってしまう危険性に警鐘を鳴らし続けているものとして読みふけった。

 そこから読み取ったのは、お互いに協力しあい、依存しないと生きていけない社会であるからこそ、一人ひとりが自立を大切にして自らを整えていかないかぎり、国家も危ういというものである。それは、会社も同様、「一身独立して一社独立す」だ。今一度、創業の原点に立ち戻り、一身独立が生まれやすい事業つくりを進めていこうと考えている。

MAKE TOMORROW!

無駄の先にある引き算の美学

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 東京マラソンから一週間、ようやく普通に走れるところまで回復した。以前、富士山マラソンのゴール後、若い女子たちがハイテンションで、マラソンは全治一週間と話していたことが印象に残っているが、その通りだ。

 今回のテーマ、というと大げさだが、気にしていたのは今後につながるランとの向き合い方であった。私にとって走ることは、心身の健康管理に尽きる。決して強くない身体と心をそこそこ使える状態にするために走っている。学生時代に運動習慣はなかったが、精神的に追い込まれると何故か走って解消していた。経験的に、走ればなんとかなる。そんな思い込みが根っこにある。それだけに、出来るだけ長く、走るという行為を続けられるようにしたいというものだ。

 健康をつくる方法は、かなり個人差がある。他人にとってのベストプラクティスを自分に適用してみてもうまく行かない。面白いことに、年を重ねるほど、そのギャップは広がっていると感じる。おそらく、普段の生活パターン、食事内容、運動習慣、仕事の負荷、さまざまな要因に対する心身の反応などの積み重ねで個体差は収束するのではなく、広がるのだろう。スタート地点が同じでも、微妙に向かう方向や速度が違っていると、距離を踏むにつれお互いの距離がどんどん離れていくようなものである。

 そこで、自分に合った習慣としての走り方を探索するために、今回の東京マラソンまでの三か月、走ること以外の食事や睡眠、筋トレなどを試行錯誤してみた。評価は「毎日走る」時の体感を中心に据えた。タイムや心拍数、HRVなどデバイスによる指標は参考として、あくまで体感を中心にした。その結果、いくつか面白い事実が浮かび上がって来た。中でも、リカバリーや体調管理に効くと信じてきたサプリはとらないほうが、かえって良好な朝ランにつながったのは目から鱗が落ちた。

 疲れてくると、ついつい過剰に様々なサプリを取るようにしていたのだが、それが逆に交感神経を活発にしてリカバリーを阻害していたようなのだ。積極的に摂取するよりも、逆に減らすほうが今の私には効くということだ。こんなことにも、「一事を増やすは、一事を減らすに如かず」という引き算の美学が効いてくる。モノも情報も過剰にあふれる時代ゆえ、本当の自分にとって価値のあるものを絞り込む技術は極めて重要である。

 とは言え、引き算の美学は建設的な無駄を経たうえではじめて効いてくる。若い人には、タイパ・コスパなど気にせず、年をとってからでは出来ない大いなる無駄や無理を体験してほしい。無駄や無理が出来るのは若さの特権なのだから。

 MAKE TOMORROW

東京マラソン2026

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 今日は、東京マラソンを走って来た。

 

 当社には、富士登山競走部という(謎の)部活が存在している。私が勝手に神事と位置付けている富士登山競走を中心に、トレランやロードをやる人たちがゆるく集まって、それぞれの嗜好で、人間の可能性に挑戦しようという集団だ。富士登山競走という、その筋のオタク心を要するイベントが中心にあることから、まったく人気がない。それでも、はまる人はハマる。(あっ、自分か。)

 東京マラソンは、その富士登山競走に向けた基礎走力を養うためのマイルストンとして位置付けられている。(私のみか:笑)ということで、今年で10回目の東京マラソンだった。富士登山競走部から私を含め4名が参加。競走部部長をはじめ、富士登山競走部関係者(当人たちは、えっ?そうなの?と感じるかもしれないが、笑)が応援に来てくれた。とにかく、富士登山競走が中心にあるのである。

 レース後、早速、来年の話が出ていたが、すでに富士登山競走は山頂ではなく、五合目までのレースに切り替えている(いやいや、挑戦権を失っただけ)ので、フルマラソンで走力をつくる必要はあるのだろうか?という根本問題がある。とはいえ、東京マラソンである。やはり、レースとしてのオーラはすごい。もうやめる、と決めたとたんに深刻なロスが生じるのだろう。

 そのためにも、怪我せず、無理せず、無事に走り切れるように、心身は整え続けたいものである。スピードから、持続性に舵を切って、来年も参加できるようにしたい。

MAKE TOMORROW!

還暦

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 今日で還暦、である。

 先日、94歳になった父から「還暦おめでとう、60年で印象深い出来事はなにか?」と問われ、答えに窮した。即座に思いつくことが無いわけではないが、まだ人生を振り返るようなことは考えていなかった。

 むしろ、この一年、60代の使い方への準備で試行錯誤してきた。前しか見てないというほどでもないが、いろいろ悩みながらも、とりあえず前(AVANT!)を向いている。車と同様、新車のような信頼性や先端性はないが、いろいろとメンテナンスをすればそれなりに走る、面倒ではあるが、面白くもある。

 実家で還暦を家族に祝ってもらい、誰かから「あっという間だった?」と聞かれたが、そんなこともない。それなりに、長くもあり、短くもあり、である。短く感じるのは、これまでを忘却しているに過ぎない。

 以前、姪の結婚式で、父があいさつをした。冒頭、「私は、孫の~さんとは~年のおつきあいで」と姪の年齢を言ったのだが、そりゃそうだ、生まれた時からのお付き合いなんて、家族ぐらいしかいない。会場は爆笑だった。普段疎遠にしていても、いろいろあっても、話をするほど記憶は甦り、これまでが決して短くはなかったことを思い出させてくれる。

 とは言え、30歳で起業したことを考えれば、一つの節目には感じる。さて、人生の仕上げに入るか。そんなところである。仕上げといっても、5年か10年か、はたまた30年かかるのか、そもそも仕上がるのか、それは全くわからない。ここから先はあまり時間を区切る必要もなかろう。自然体で仕上げて行けばよい。そんな心境である。

MAKE TOMORROW!!

カッコイイカタチにやどる何か

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 今朝の朝ランで、突然洗足池に行きたくなった。春のような陽気を感じ、急に呼ばれた。洗足池近辺には15年ほど住んでいたのでなじみ深い。30代後半、体力勝負のような無茶な仕事の仕方に限界を感じ、ラジオ体操にしばらく参加していたこともある。勝海舟が終の棲家を構えた小さな景勝地である。

 走っていけばよいのだが、遠足気分もよかろうと久しぶりに池上線に乗った。どことなく愛らしい。どんな人が何を考えながら、こんなデザインを描いたのだろうと想像を膨らませてしまう。こういった人間がつくりだしたモノにも人それぞれの好みが生じるのが面白い。

 個人的にもなにかしら、カタチに対するフェチ(なにか特定のこだわり)があるらしいが正直よくわかっていない。子供のころ、机の角を見る角度で、グッとくるポイントを探っていた記憶もある。我ながら何をやっていたのだろうと思い出すと笑いが込み上げてくる。

 とはいえ、ヒントはある。乗り始めてから四半世紀近くになるポルシェ911カレラ4S(マニュアル)という車だ。最新のポルシェは最善のポルシェと言われているので、新型911を乗り継いでいくのだろうと考えていたのだが、すでに24年目に入ろうとしている。増車はしたが、911はこの一台だけだ。しかも、一般的には歴代ポルシェ911の中で最も人気がない996という型である。

 不人気の理由の一つがヘッドライトの形状と言われている。996型は911伝統の丸目ではなく、涙目型であることがダメらしい。ところが、そんな市場の声に応えるべく丸目になって登場した997型を始めて見たときは、「なんだ、カッコ悪くなったじゃないか」と全く惹かれなかった。 実際に試乗をしても、う~ん、買い替えるほどではないな。と見送った。

 996型は、当時ポルシェが陥っていた経営危機を乗り越える上で大きな役割を果たした。マニア向けの色が濃く、量産効果が小さく、不安定な経営に陥っていたところを、ユーザー層を拡大し、生産効率も高めた。技術的には、伝統の空冷式エンジンから水冷式へと大転換した。そんな、技術的にも非連続的な変化点で、伝統的な設計思想も引きずりながらデザインされたエポックメイキングな世代である。

 もちろん、996型も初期にはいろいろと問題があり、デザインも残念な点はあったのだが、完成度を上げてきた後期型のC4Sをカーグラフィックで見てドキッとしたことを覚えている。特に、斜め後ろからのカタチが個人的にはとても好きだ。今でも、ほれぼれと眺めてしまう。

 それに引き換え、997型はどこかハリボテ感があった。中身は大きく変化せず、上っ面を、技術的な必要性ではなく、市場ニーズの取り込みという点でゆがめてしまい、911の純度を下げてしまったように個人的には感じた。996型は、サイドミラーの格納が手動だ。日本車なら当たり前の機能がオプションにもないことを当時の講習会かなにかで、なぜ?と尋ねると、必要ない。とそっけない返答(オレは欲しいと思っていた)だったが、それが逆におもしろい!と感じた。

 997型になると、ヘッドライトは丸目に戻され、サイドミラーの格納も自動になった。「必要ない」に宿っていた矜持が一挙に失われたように感じたのである。その後、991型になると、一段と一般化が進み、カッコよく、よい車にはなったのだが、911本来が持っていたアホというかバカさがなくなり、面白くない。もはや、あがりの車になったように感じた。若い頃からずっと、メルセデスに乗ったらあがりだな。そんな風に思っていた。多くの人にとってよい車を自分が好むようになった時は、誰かの作品としての車への興味が薄れたという趣旨だ。

 いかん、こういう話になると長くなる。いずれにしても、デザイナーの意志の見えるプロダクトは魅力的だ。ということである。ビジネスになると、売れてナンボという現実も無視できないのだが、誰かに役立つ、誰かの問題を解決する、というビジネスの始点を研ぎ澄ませれば、こうやって解決するんだ、という設計者の意志は自ずとプロダクトやサービス、商品に透けてくるものである。迎合せず、凛とした意志をもったプロダクトは美しい。

 

MAKE TOMORROW!

雪と選挙とオリンピック

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 東京も雪の中の選挙となった。微力ながらも経済活動を担う人間として政治とは一線を引くようにしている。いずれも社会のために、未来のためにということでは一致できるのだろうが、国家や自治体経営と企業経営とは根本的に自由度が違うからだ。中でも、そこにかかわる人にとっての選択の自由度がまったく異なる。

 会社や仕事については、どうしても今の環境が気に入らなければ個人の自由意志で変えることができる。選択肢も無限大に近い。しかし、自治体はともかく、国については簡単ではない。それは、経営する側の自由度にとっても同様だろう。会社のように、国家でM&Aや事業再編、リストラなどをやると、戦争になる。

 以前、政治に期待することを尋ねられたことがある。即座に戦争をしないこと。それだけと答えた。歴史的にみれば、それがかなり非現実的なことであるとは理解している。しかし、戦争はたくさんの庶民・市民が犠牲になる。ただでさえ、災害の少なくない国である。過去の国としての体験を踏まえ、戦争をしない国家を目指すことは、経済成長よりも優先すべきことではないかと個人的には考えている。

 では、経済成長しなくてよいのか?もちろん否である。それこそ、企業経営側の役割である。丁度開催されているミラノ・コルティナ2026オリンピックでメダルを取る選手がたくさん出てくるように、経済のオリンピックで金メダルを取りに行く会社が次々と現れるような社会はたくましく、面白い。経済は武力を使わない戦争という表現もあるが、国家として多くの庶民の命と自由を奪い生活を破壊する戦争とは全く違う。平和の祭典であるオリンピックのほうがよっぽどしっくりくる。

 政治には投票を通してのみの参加である。よって、自ら出来ることは事業経営を通した社会貢献しかない。どのような結果になっても、たくましく経済の発展に取り組んでいきたい。

MAKE TOMORROW!

じんわりとしたシフトチェンジ

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今朝は10k 500D+を走って来た。今年初めてのトレイルだ。身体がすっかりロード仕様になっているのか簡単な登攀でさえきつく感じる。登り始めから息が苦しくなり、心拍数があがらない。息が苦しい=心拍負荷が高いとならないのが不思議だ。登り専用に仕立てていた五年ほど前までは、ロードでは出せないような心拍数まで上げられていたが、コロナで、蟄居を余儀なくされてからすっかり登攀力が落ちて戻らない。

それに引き換え、ロードは目立って走力が落ちているようには感じない。そもそもロードの走り方もいいかげんだったので、効率的に走る余地があるように感じている。同じ持久ラン系なので、たいして違わないと思っていたが、いまさらながら全く別のスポーツであることに気づいた。

では、どっちが好きか?このブログでもさんざん書いてきたが、トレイルである。変化に富み、走っている最中も、何かを試行錯誤しながら走ることが断然楽しい。それに引き換え同じペースを淡々と守り抜くマラソンは退屈と感じてきた。しかし、これからもトレイルがメインというのは少々難しそうだ。かつてのように、少々無理してチャレンジするということのマイナス面が目立ってきた。チャレンジというよりは、より長く楽しむためのトレイルへ変化している。

そして、これまで興味が薄かったロードの魅力が、じんわりと立ち上がって来た。

MAKE TOMORROW!