THE RUNNING 走ること 経営すること

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そもそも、公器としての会社とは

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◇ コーポレートガバナンス強化の目的は

コーポレートガバナンスに関する話題が増えました。上場企業に対するガバナンスコードの適用や、それにともなう社外役員を筆頭とした外部の発言力の向上も背景にあると思いますが、そもそもなぜ上場企業の経営者に対して外部からの牽制機能がこれほど重視されるのでしょうか。

長らく続く日本経済の低迷を脱却するために、国際的に見て稼ぐ力が弱い日本企業の経営者に外部からプレッシャーをかけて稼げる会社にしようということが背景です。

経営者が、職務に対する暴走と怠惰を長期にわたり補正して価値創造に集中するには、良質のフィードバックが得られる経営者の対するコーチ陣の確保と、自立的に経営者の暴走と怠惰が修正できない場合はそれを強制的に修正する力をもつ仕組が欠かせません。

ガバナンスの強化は、職務に忠実な経営者であれば自身を含むすべての関係者にとってプラスに働くはずです。ただし、経営者ならびにコーチ陣が会社をどのように位置づけるかによって、その結果として生じる社会の姿はかなり違ったものとなるでしょう。

  

◇ そもそも企業をどう位置づけるのか

企業とは営利を目的とした組織です。現在のグローバル資本主義はひたすら企業の収益向上を突き詰めるものです。大航海時代のスペインやポルトガルが新大陸などへ大船団を送り富の簒奪を行ったことや、帝国主義時代のイギリスなどの列強諸国が植民地政策を通してやはり世界中から富を集めたようなことが、現在も姿を変えながら続いているように思えてなりません。資本主義経済における企業とは、往時の船団やそこから生じた国策会社の延長線上にあります。

一方、日本の会社は、明治期に欧米と対等な関係を獲得するために国際法に準拠し欧米なみの法律を持つことが必要だったため、法的には同等の立て付けとなっていますが、それ以前より育まれてきた組織を社会の公器と位置づけ個人のためよりも社会のためにあるという共同組合的な感性をもって実際には経営されてきました。日本に100年以上続く会社が約26000社と、他国と比べて圧倒的に多く存在していることはその査証の一つと言えます。

 

◇ 公器が増えれば社会はよくなる

では、公器とはどのようなものなのでしょうか。私は、「良質な雇用を増やせる組織」であると考えています。会社は公器であるべきということは社会人になる前から持っていた思想ですが、公器が良質な雇用を増やすことできる組織であるという考えは時間をかけてたどり着いたものです。

終身雇用を言っているわけではありません。一つの会社が人の一生の成長機会を提供することが難しい時代です。よって、人の成長を促すための流動性は必要です。しかし、流動性の向上が不安定な雇用を増やすことになっては本末転倒です。

また、収益性を犠牲にしてもいけません。価値の創造を追求し、収益性の向上を伴う良質な雇用の増大を目指すというものです。

日々の経営判断において「カネ」を第一の置くのか、公器として「人」を第一に置くのかによってその結果から生まれる会社と社会はかなり異なるものとなるでしょう。おそらく、その違いは経済格差というもので現れると思います。

会社を公器と位置づけ、実業、つまり良質な雇用の増大を伴う事業の拡大を徹底するために経営者を集中させるためのガバナンスとして日本のコーポレートガバナンスが進歩することを願いつつ、自分のできることとして、日々、公器としての経営判断を徹底するように社内外のコーチ達と切磋琢磨しています。