働き方改革関連法が成立しました。労働時間の総量規制という論点は興味深いので今回は時間に関する個人的な話を少々。
労働観というものはおそらく社会に出たときの環境に大きく影響を受けるのでしょう。「24時間働けますか」のキャッチフレーズにアドレナリンを刺激されていた世代の私にとってはハードワークは善でした。
それでも創造性や生産性については強いこだわりがありました。高い生産性や創造性を発揮するためには相応の時間が必要だったので、その結果残業となったり、休日返上で時間を仕事に当ててきました。
たしかに心身のダメージは大きかったかもしれません。それでも、そこから得られる経験や達成感を覚えると、いい仕事をするにはこういった方法が良いのだ。そう信じ込んでいました。
しかし、仕事の幅を広げていくと絶対的な時間不足から度々強烈なオーバーフロー状態に陥りました。その都度自分の仕事を見直して思い切ったリストラを行いました。リストラとは、自分が持っている時間の再配分です。
あれもこれもやらねば、これは重要なんだと思っていてもそれに時間を割り振っていくと実際に出来ることがどれ程限られるのかを痛感させられます。そんなことを繰り返していくと幾つかのことに気付きました。
①時間こそ有限かつ最も貴重な個人の資産である。
②かけた時間と成果は相関する。
③行動のみが成果につながる。
おおまかには上記の三つです。一つ目の気付きからすべての時間を自分の意思をもって使うように心がけるようになりました。自由時間を増やすという意味ではありません。自分の意思で時間を使っていると認識することで、すべての時間にオーナーシップを持つようにしました。
二つ目からは、ありたい未来の成果を重視するようになりました。現在の時間配分を見直す事で産み出した時間を未来へつながる活動にシフトします。しかし一人のやりくりでは限界があります。様々な方の協力を得られるように主体的に環境を整えます。さらに最善のパフォーマンスが出せるような健康管理も含めて時間を使うようにもなりました。
そして、三つ目がアクションへの集中です。結局いくら考えていても行動がなければ何も起こりません。行動時間が最大化するように配分します。ただし、行動にあたっては準備は重要です。準備不足の行動はリスクが低い状態ではプラスも多いのですが、リスクが高くなると取り返しのつかぬ事になります。
中でも二つ目の成果のデザインが一番難しいところです。成果とは人生そのものだからです。さすがに自分としての生き方は決めているところもあるのですが、一方で未だに毎日考え続けてもいます。その結果行動に集中出来ないことも無駄な時間を使うこともままあります。
そんなときは、「まぁ、人間だからなぁ」と、それでよいと割り切っています。
ただ、こういったことも年齢によって強弱を変えていくことで良いと思います。若い時しか出来ないことの一つが時間に糸目をつけずいろんな無駄を経験することです。学生の頃母親から遊びすぎだと叱られると、俺の人生は無駄の上に創るんだ。などとうそぶいていたのですが、当時の無駄は豊かな思い出になっています。
私の場合、社会人になってしばらくして社会的責任が生じた頃が時間リストラを始めた転換点でした。それ以降、残された時間が減るほどますます重要になって来ました。
20代の頃、当時50代の人生の大先輩に夢は何ですか?と質問したところ、「写真のアルバムのような記憶に残る思いでを沢山持つことだ」そんな返答をいただき、少し面食らった体験があります。野心的な経営者だったので、なにか凄い野望のようなものが聞けると思っていたからです。
同じ50代になり、その言葉の意味がなんとなく解って来ました。結局、人生というものは意思をもって何(誰)にどれだけ時間を使ったのかということなんだろうなと。
働き方改革の流れも活かし、創業の原点の一つである、メンバーが豊かに生きる助けとなる職場環境の創造に取り組んで参ります。