THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

公器の時代

f:id:runavant:20190825072102j:plain
先日、米国証券取引委員会(SEC)のヘスター・ピアースさんとのコーポレートガバナンスに関する意見交換会に参加して来ました。学生時代から「公器」としての企業経営の在り方に強い関心があり、起業の機会を得てからも腐心を重ねて来たテーマだからです。 

公器としての在り方は、渋沢栄一の「論語とそろばん」という考え方を参考に、論語については中国の古典や経営者の書いた本、歴史や戦史を題材にした組織論、そして経営の先輩を始めとする人との対話から学びました。論語の本質は昔も今も変わりません。

そろばんは実践環境から学ぶしかありませんでした。経済上のリアルな生存競争でありひたすら環境適応を繰り返す必要があるからです。その一方で自分の経験に視座が偏る不安が常に付きまとい、手探りの状況が続きました。

そんな私にとって、コーポレートガバナンス・コードと関連レポートは上場企業に対してそろばん視点でガバナンスの目的をはっきりさせた点でかなり有効であると感じています。一点難があるとすれば、企業のフェーズ、規模、事業モデルなどが配慮されておらず、包括的すぎる点でしょう。

とは言え、ステークホルダーとの対話や経営理念などとも照らし合わせ、内容の是非を含め補正するのは経営側の役割なので大きな問題ではありません。

さてピアースさんとの話ですが、冒頭で渋沢栄一に触れつつ、金融は社会の発展のためにあると言及したことに驚きました。

であればと、私自身の公器を創るためのコーポレートガバナンスに対する試行錯誤の実体験から、SECがベンチャー企業に対するガバナンス教育についてどのように考えているか質問をしてみました。

ピアースさんからは、いくつかの取り組みについてお話いただいたのですが、最も印象に残ったのは、話の内容よりも、最後に少し考え込む仕草をしながらつけ加えた一言、「interesting...」の空気感でした。

私にとっては、グローバルに「新たな公器」の時代が来ている。そう直観した瞬間となりました。

サステナビリティという論語と経済成長というそろばんのバランスがより問われる時代へとコーポレートガバナンスの潮流は確かなものとなっています。