豊洲ぐるり公園マラソンでハーフ(21k, 18d)を走って来た。ペースランナーのいるミニレースは有難い。最近はもっぱらゆっくりランだったのでスタート前は少し心配だったが、ペースランナーに引っ張ってもらい快適に走れた。
同じコースを7周回する中、異なるペースのランナー集団を何度も見ることが出来たのが面白かった。幾度もすれ違うにつれ、ハーフタイム1時間40分あたりでランニングフォームに大きな変化があるように感じた。
それより遅いタイムの集団は、ピッチの差はあるが、おおよそフォームに大きな違いはない。つまり、ラン初心者の延長線上で到達できる走りである。しかし、1時間30分のランナーともなると一歩の距離が大きく違う。その距離を生み出せるフォームが1時間40分前後の集団からスタンダードになっていた。
周回遅れで抜かれるタイミングで、そんなランナーの走りを真似しようと試みたが同じピッチ数で同じ速度を出せるイメージはまったくつかなかった。
以前から、同じペースにもかかわらず、ピッチ数の少ないゆったりしたフォームで走るランナーを見かけては、あんな走りがしたいものだと思っていたが、そもそもベースとなる速度が違ったのだと、勝手に納得した。
さて、どうする?である。
そんな、走り方の進歩について考えているとランが楽しくなる。最近走ることがつらくなってきたと感じているのは、身体の老化よりも心の老化が原因なのではないか?そんなことにも思いが至った。
レースといっても、だれかと競うためのものではない。同じ趣向を持つ人と走ることで、いろんな刺激を受け、新たなチャレンジへの意欲を得るにはもってこいである。なにかしら、面倒だなと感じたら、レースに出る。只管打座(ただひたすらに座禅する)ならぬ只管打走(ただひたすらに走る)である。