昨日、筑波山(7.7km/881D+)を歩いてきた。実家のある古河に向かう途中での立ち寄りである。筑波山神社を起点にケーブルカーに沿った御幸ヶ原コースを登り、男体山、女体山を参詣した後、白雲橋コースを下った。いずれも岩が多く、かなりの勾配でほとんど走れない。下山時には途切れることなく次々と登山客とすれ違った。関東ローム層の赤土が露出する箇所もあり、久しぶりに土壌的に関東にいることを実感した。
常磐自動車道を使い筑波山に向かう途中、30年ほど前に、当時矢田部にあった自動車のテストコースで行われたアウディのドライビングスクールに参加したことを思い出した。運転技術の習得と併せて、当時のアウディの車の特徴をテストコースで存分に体感するというものだった。
アウディの代名詞である、クワトロという四駆の技術を始め、アウディスペースフレーム(ASF)という軽量化技術など、「技術による先進」(Vorsprung durch Technik)というスローガンを体現した車種がオタク心に刺さり、アウディの車を好きになった。
それが、ここ数年ピンと来なくなっていた。なぜだろう。。VWグループの中でEV化戦略をけん引する役割を担ったことが原因なのだろうかなどとぼんやり考えていたが、筑波山登山中にふと気が付いた、「ピエヒが感じられない」
ピエヒとは、フェルディナント・ピエヒ(1937~2019)、祖父はポルシェの創業者フェルディナント・ポルシェであり、アウディをオタク心に刺さるブランドへと変革し、ランボルギーニなどを買収して現在のVWグループに仕立て上げた伝説の経営者である。
クワトロやASF、伝統の直5気筒エンジン、それを二つ組み合わせたV10気筒エンジンなど、アウディらしさの根幹をなす技術はピエヒがリードして磨いてきたものばかりだ。オレは、ピエヒの哲学が宿ったアウディが好きだったのである。
不思議なものである。アウディの経営という点では1993年にはVWグループのCEOになり、一線からは離れている。それでも、ピエヒの魂は車つくりに宿っていた。むしろ、ピエヒ後のアウディこそ、ピエヒの魂が開花しているように感じる。
好きな企業家と問われれば、本田宗一郎を筆頭に、井深大など日本の経営者をあげることが多いが、なるほど、車を通してピエヒにも心酔していたのである。もちろん、偉人には光と影がある。それでも、気骨のある経営者の逸話には心を動かされる。
MAKE TOMORROW!