昨日は、志賀高原100を走ってきた。もちろん100kmではない、サブサブレースの21km(21km, 650D+ / 1060D+ : Garmin)だ。志賀高原スキー場群の一つ、一ノ瀬ファミリースキー場から焼額山を登り、奥志賀高原スキー場まで降りて起点に戻るランドトリップ型である。
焼額山の登りを除けば全般走れるコース設定だ。国立公園の自然に富んだ山行をマイペースに景色や高原植物の写真を撮りながら歩き、時々走った。ゴール直前で、100kmのランナーと合流・離合したが、すでに40kmを終えた選手たちの足取りは自分より圧倒的に軽い。ここから60kmどころか、ここまでの40kmもムリムリ、と素直にゴール目指して右に進んだ。
トレランの面白さはなんだろう。もちろん、自然の中をシンプルに走るという行為は理屈抜きで気持ちがよい。しかし、それだけではない。人為的な不自然を見つめる機会にもなる。
社会という人為的な環境で日常を過ごしていると、不自然なモノゴトに疑問を持たなくなりやすい。その結果、様々な判断や悩み事の解決において、雰囲気で他人の考えを受け入れてしまったり、逆に自分の考えを押し通したいとか、AIの完璧なアドバイスを信じきったりと、そんなことが起きやすい。
社会という不自然の中にいると自ずとそうなる。その点、トレランはスポーツの中でもかなり自然寄りである。そのせいだろうか、いろんな悩みが走っているうちに自然と自律的に解決することがある。
最近は、AIがお悩み相談の相手になることも多い。膨大な学習情報を背景としたカウンセリングはなかなかだ。あまりにも的確なアドバイスが多いので、悩むという時間を減らす効果は絶大だ。悩む行為はつらい、故に人間にとってはとてもありがたい。
はて、本当にそうだろうか?
心のレジリエンス、回復力は大いに悩んだことを通して培われる。心の痛みは、筋トレの筋肉痛のようなものである。筋繊維同様、破壊して超回復して鍛えていくものである。AIからヒントは得たとしても、答えを出すのは自力で行う必要がある。その自問自答を自然の中で行えるトレランは私にとってはとても魅力的だ。
さて、AIによる人生相談と、トレランを通した自問自答、自分が悩みを抱えたときにいずれか一つを選べと言われたらどうだろう?
私は迷わずトレランを選ぶ。
MAKE TOMORROW!