
先週は、とかく「ハッと」させられることが多かった。
取締役会で、自社の経営課題解決のオプションの話をする中、解決必須のツボを指摘され、オプションを考えるという思考自体が悪手であることを認識した。
機関投資家に、企業価値経営ソリューション市場の創造を目指していることについて説明をしたところ、それを体現できていないことを指摘され、自覚以上に紺屋の白袴と映っていることに、看過できない言行不一致があることを自覚した。
いずれも、新たな気づきではない。考えているつもり、集中しているつもり、やっているつもり、というピンボケ写真のような状況の自覚である。被写体はおおむね捉えられているのだが、肝心のフォーカスがぼけているようなイメージだ。
「発心即到」という言葉を思い出す。本当にやると決めた時点で事は成されている、という意味だ。単なる覚悟や強い思いのことではなく、実現イメージをクリアにもって、あとは行動するだけという状況に至っていることである。
詰めの甘さや、思考のブレ、行動の継続力低下は、イメージがあいまいなほど起こりやすい。とはいえ、様々な変化の中、大量の情報を浴び、クリアなイメージを持ち続けることは簡単ではない。常に解像度の低下やピンボケのリスクを抱えている。良質な対話は、そんな思考の状況を確認するうえでも役に立つ。
最近は、対話の相手にAIも加わった。自分を相手に対話しているだけでは越えられない思考の壁をいとも簡単に超えてくる。いつでもどこでも対話相手となる。相手が人であるとかなりの説明を要するテーマでも、事前にデータや文書などが蓄積されていれば一瞬でキャッチアップしてくれる。
しかし、AIとの対話は案外心には刺さらない。心の傷、トラウマにならない対話だからだ。人との良質な対話は、筋肉痛のようなものが起きる。これが、明日の糧になる。もちろん傷が深すぎると問題だが、ある程度の痛みは気づきや人間としての成長につながる。
人とAI、一見同じ対話に見えるが、認知の成長のためか、効率化や高度化のためか、それぞれ向き不向きがあるのだろう。ハッとさせられるような認知問題には人との対話、解像度の向上についてはAIとの相性がよさそうである。
映画インターステラーで、TARSというAIマシンにユーモアや正直さなどを90%や75%と設定するシーンがある。現在私たちが使っているAIの多くはそのような設定をせず使用しているが、対話を通して60%だな、などと意識するだけで相手が不完全なツールであることを認識し、過度に依存しないよう気を付けることが出来る。
AIはすでに不可逆的な社会インフラになりつつある。経営もかなりの影響を受ける仕事であることは間違いない。まず使い倒す。使い手が人間である以上、使いこなすための努力は惜しまずである。
MAKE TOMORROW!