THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and the managing of something.

パッションの形、ヒストリカルビルディング

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NYです。常に新たな建造物が建設されている街ですが、ヒストリカルビルディング(Histrical Building)にもあふれています。

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新築の超高層ビルもあちこちで開発されていますが、ヒストリカルビルディングと共存するために細長いペンシルビルが増えています。

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場所によってはPre warと呼ばれる第二次世界大戦前の建物群だけを切り取ることが出来ます。映画Bagdad Cafeで出てくるような給水塔の群れが印象的です。同じ写真を三色三枚にしてみました。

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1950年代風?

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1920年代風??、というところでしょうか。白黒とセピアでも印象がかなり違い、色を変えるだけでタイムトラベル出来てしまいます。

 

(独り言)

ヒストリカルビルディングには無条件に私たちの感性に訴えかけてくる何かが備わっているように思います。

デザイナーだけでなくそれを作り上げたたくさんの人の思いやパッションのようなものかもしれません。眺めていると、まず感性に働きかけてくる何かがあって、次にその感性を刺激する材料として知識を補強すると、「ほー、すごいなぁ」と感動が深まります。

時間が無いときは知識から入るほうが効率的ですが、私の場合はじめに知識を入れて見てしまうと感性センサーは鈍くなり感動も小さくなります。博物館や美術館も同様です。面白いものです。

感性と言うものは言語化が難しい(「うぉー」とか「ーん」とかは言語ではない)こともあり、言語化が重要なビジネスにどっぷりつかっていると知らずに感性が枯れてしまいます。だからこそまず感性に問う。そこからパッションが自然に湧き上がってくるのであれば次に進む。そんなアプローチに意味を感じます。

言語化されていない何かから感じる力は、情報にあふれる環境に在るほど重要性を増すように思います。さて、夏休み、感性を取り戻そう!

富士登山競走2018、完走持ち越し、また来年!

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今年も恒例となった富士登山競走へ参加してきました。レース翌日の日経朝刊によると大会参加者総数は3658人、そのうち麓から山頂までの21キロのコース参加者は2354人で完走は1020人、完走率43%とのこと。完走率の低さもさることながら経済新聞に取り上げられていた事におもわずニヤリ。

今回の選手宣誓は山頂コース最高齢出場の方で78歳!!参加選手からは畏敬を込めた驚きとなぜか反省?が入り交じった声と拍手が湧き上がりました。

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アバントグループの山頂コース挑戦メンバーは五人、写真中央のエース古野さんは無事かつ余裕をもって完走!さすがです。その両脇2名は八合目関門で敗退、一番端の2名は五合目関門敗退でした。ちなみに、私を含め3人は50代です。

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写真は五合目関門を遠くから見たところ、今回はここでリタイアになったので後からスタートした五合目コース参加メンバーの応援に回りました。

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五合目コース参加者は無事全員完走!100%です。若手20代2名が山頂挑戦権獲得の制限時間2時間20分を余裕で切って新たに権利を確保しました。来年の山頂組は平均年齢が若返りそうで楽しみです。

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今年こそ完走と昨年は意気込んでいたのすが、また来年に持ち越しです。この辺で止めておくかというオプションはありませんね。さすがに78歳の方の選手宣誓を聞いてそんな気持ちは軽く吹き飛んでしまいました。

 

(独り言)

参加を続けるにつれ、いまでは富士登山競走が一年の健康管理の糧になりました。相応の準備を継続的に行う必要があること、そして完走したいという思いが年々積み重なることで退屈なルーティンを継続するモチベーションになり、結果的に日常の健康管理に多大な影響を及ぼしています。

レース後は翌年に向けた対策を簡単にまとめるのですが、毎年新たな気づきが得られるのも面白いところです。この数年は負荷のかけ方を大きく変えてきました。レースはロングトレイルを減らしショート中心にする、筋トレはアウターマッスル中心からインナーマッスル中心にする。ランニングばかりで無くロードバイクなどクロストレーニングを取り入れる。などです。

また、世界有数(世界一?)のバーティカルレース(登山レース)では重量の影響も大きいので体重に対する意識も強くなりました。その結果食事に対する関心が強くなり、食と体調の関係を意識するようになりました。アスリートのように厳密な管理はしませんが、いつも内蔵不調を感じていた若い頃より改善されているようです。

余談ですが、コンディションに対する関心は仕事の仕方にも影響を与えています。昔は体調を崩しながら働きベストコンディションとは無縁の日々でしたが、最近はコンディションを整えることを重視するようになりました。

最近のアスリートのトレーニングを見ても、基礎能力を高めるだけでなく心身の健康状態を高次元に保つことが従来以上に重視されているようです。そんなコンディショニングにおいてこの年齢になって強く感じるのは、やらない事を決めることの重要性です。やらない事を決めないと時間が捻出できずやるべき事が出来ないからです。

来年の登山競走に向けた対策の一つは参加レースの取捨選択かなと考えています。

リアルとバーチャルのバランスが急激に変化する社会

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今年も恒例の富士登山競走まであと二週間を切りました。昨年と比べると調整は遅れていますが、今年は無理せず疲労を蓄積させないように疲れているときはロードバイクに乗っています。

先日もアクティブリカバリーのためにバイクで大井埠頭に向かったのですが、土曜日だったこともあり夥しい量のトラックが列をなし、とても自転車が走れる状況では無かったので早々に退散せねばとあたふたしていると巨大な重機がものすごい勢いで高く積み上げられたコンテナを移動しているシーンに出くわしました。

 あまりのすご技とそのスピードに惹きつけられしばし社会見学。リアルな物流システムのすごさに感動しながら、リアルとバーチャルのバランスが急激に変化してるんだよなぁと思いふけってしまいました。

 

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昨年の自分のメモを引用します。 

経済には実体経済と金融経済がある。前者は消費を伴うが後者は伴わない。その消費を伴わない経済のインパクトが大きくなっていることが企業経営の大きな課題となっている。正確な数字はわからないが、1980年は1.1倍、1990年に2倍、2000年に3倍、現在は10倍以上、50倍以上のギャップが生じていると指摘しているものもある。いずれにせよ、この10年で実体経済との乖離が加速していることは間違いない。

 

金融経済とは仮想的な価値の塊です。経済と言っても等価交換ではなく、金利の大小で機能している点が実体経済と根本的に異なります。しかし、マネーというもので両方の経済はつながっています。そんな両方の経済世界のバランスが大きく崩れ、しかも仮想価値ばかりがインフレーションしている先にどのような未来があるのだろうかと考えると混沌としてきます。

一つ明らかなのは価値革新も加速していることです。等価交換の社会的な認識を変えていくことです。価値革新は歴史からいくらでも事例を発見できます。戦国時代の茶の湯もその一つです。茶碗一つが一国に値するなどと言われたのは国を持つ人間が単なる土の塊に一国並の信用を与えることで等価交換の対象範囲を革新したということです。そのような価値革新の大衆化が加速しています。

個人のフリマ市場も価値革新です。これまで個人では流通が困難であった中古品を簡単に再商品化することで価値を再生しています。会社のM&A市場も価値革新を促しています。私はかつて企業価値は解散価値以外の何物でも無いと考えていました。ゆえに、現在でも時価総額とは経営者がコミットした将来キャッシュフローと解散価値の合計と考えています。

しかし、M&A市場によって将来キャッシュフローを既存の事業活動から得るだけではなく事業の商品化により信用創造を加速することも出来ます。これも価値革新の一つです。

このような価値革新は随所で発生していますが、これにより心配なのが金融経済の加速的膨張のギャップは誰が埋めるのかという点です。

金融経済は信用の総量です。信用とは誰かが誰かに約束した交換価値です。ゆえに、ギャップが生じていても誰がそれを埋めるのか、もしくは信用が破綻した場合誰が責任を負うのかが明確であれば不確実性はあっても不透明感はありません。いわゆるとれるリスクになります。

企業価値は膨張していても大抵その信用保証の責任者やステークホルダーが見えます。M&Aでオーナーチェンジが生じても、買収側にそのギャップを埋める責任が移転するだけです。しかし、金融経済全体になるとその構成要素が複雑すぎて何処にどのようなリスクがあるのか今の私にはイメージがつきません。漠然とした不安は情報を得れば得るほどに募るばかりです。

そんな中、たまたま眺めていた情報誌にあった一節を思わずメモしました。

「未来に対する最上の準備は、現在をしっかり見つめること。やるべき義務を果たすことである」―― ジョージ・マクドナルド(小説家)

遙かなる古よりいろんな人が様々な言葉で同じ事を言い換えています。確かに変化が止まらぬ現実への対応方法の基本であると思います。しかし、現在をしっかり見つめる手段は飛躍的に進歩しています。現在の金融膨張の背景に技術革新があるように、このような私たちの不安を解決するためにも情報技術を活かすことが出来るでしょう。

現在を見つめる力を高めるために情報技術をもっと活用しようと取り組んでいます。

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人生とは時間の使い方、である。

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働き方改革関連法が成立しました。労働時間の総量規制という論点は興味深いので今回は時間に関する個人的な話を少々。

労働観というものはおそらく社会に出たときの環境に大きく影響を受けるのでしょう。「24時間働けますか」のキャッチフレーズにアドレナリンを刺激されていた世代の私にとってはハードワークは善でした。

それでも創造性や生産性については強いこだわりがありました。高い生産性や創造性を発揮するためには相応の時間が必要だったので、その結果残業となったり、休日返上で時間を仕事に当ててきました。

たしかに心身のダメージは大きかったかもしれません。それでも、そこから得られる経験や達成感を覚えると、いい仕事をするにはこういった方法が良いのだ。そう信じ込んでいました。

しかし、仕事の幅を広げていくと絶対的な時間不足から度々強烈なオーバーフロー状態に陥りました。その都度自分の仕事を見直して思い切ったリストラを行いました。リストラとは、自分が持っている時間の再配分です。

あれもこれもやらねば、これは重要なんだと思っていてもそれに時間を割り振っていくと実際に出来ることがどれ程限られるのかを痛感させられます。そんなことを繰り返していくと幾つかのことに気付きました。

①時間こそ有限かつ最も貴重な個人の資産である。

②かけた時間と成果は相関する。

③行動のみが成果につながる。

おおまかには上記の三つです。一つ目の気付きからすべての時間を自分の意思をもって使うように心がけるようになりました。自由時間を増やすという意味ではありません。自分の意思で時間を使っていると認識することで、すべての時間にオーナーシップを持つようにしました。

二つ目からは、ありたい未来の成果を重視するようになりました。現在の時間配分を見直す事で産み出した時間を未来へつながる活動にシフトします。しかし一人のやりくりでは限界があります。様々な方の協力を得られるように主体的に環境を整えます。さらに最善のパフォーマンスが出せるような健康管理も含めて時間を使うようにもなりました。

そして、三つ目がアクションへの集中です。結局いくら考えていても行動がなければ何も起こりません。行動時間が最大化するように配分します。ただし、行動にあたっては準備は重要です。準備不足の行動はリスクが低い状態ではプラスも多いのですが、リスクが高くなると取り返しのつかぬ事になります。

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中でも二つ目の成果のデザインが一番難しいところです。成果とは人生そのものだからです。さすがに自分としての生き方は決めているところもあるのですが、一方で未だに毎日考え続けてもいます。その結果行動に集中出来ないことも無駄な時間を使うこともままあります。

そんなときは、「まぁ、人間だからなぁ」と、それでよいと割り切っています。

ただ、こういったことも年齢によって強弱を変えていくことで良いと思います。若い時しか出来ないことの一つが時間に糸目をつけずいろんな無駄を経験することです。学生の頃母親から遊びすぎだと叱られると、俺の人生は無駄の上に創るんだ。などとうそぶいていたのですが、当時の無駄は豊かな思い出になっています。

私の場合、社会人になってしばらくして社会的責任が生じた頃が時間リストラを始めた転換点でした。それ以降、残された時間が減るほどますます重要になって来ました。

20代の頃、当時50代の人生の大先輩に夢は何ですか?と質問したところ、「写真のアルバムのような記憶に残る思いでを沢山持つことだ」そんな返答をいただき、少し面食らった体験があります。野心的な経営者だったので、なにか凄い野望のようなものが聞けると思っていたからです。

同じ50代になり、その言葉の意味がなんとなく解って来ました。結局、人生というものは意思をもって何(誰)にどれだけ時間を使ったのかということなんだろうなと。

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働き方改革の流れも活かし、創業の原点の一つである、メンバーが豊かに生きる助けとなる職場環境の創造に取り組んで参ります。

人は自分が見ている方向に進んで行くんだ~創造的KPIの意義~

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以前、富士スピードウェイの本コースで走行機会があった時のことです。講師から運転の基本をレクチャーしてもらったのですが、長年車に乗って来たにもかかわらずシートポジションもハンドリングも正解だと思っていた事と異なっていて驚きました。シートポジションはいつも低め、ハンドリングは引き手を基本にしていたのですがいずれも逆でした。

中でも印象的だったのは、常に行きたい方向に視線をロックオンしてコントロールすることです。それまではカーブ時の視線など特に意識していなかったのですが、練習ではカーブ手前で従来見ていた所の遙か先、そのカーブを脱出するポイント(クリッピングポイント)のさらに先に視線をロックオンすることを徹底されました。ヘアピンカーブだと斜め後ろを振り返るぐらいの感覚です。

現在の進行方向から目をそらす行為なので慣れないと怖いのですが、その恐怖とは裏腹に未来の進行方向を見ないでオーバースピードギリギリの速度で突入した場合コースアウトしてしまいます。

 

考える余裕の無い速度や状況になると

人は無意識に自分の見ている方向に車を誘導するのだそうです。

 

あぁ、なるほど。。

リスクが高くなるほど行きたいところを意識的に見ろということか。

経営で使っているKPI(注)に対するモヤモヤがすっと解消された瞬間です。

 

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KPIには、売上高成長率や利益率、ROEなどの会計情報を中心としたものから、顧客満足度や社員満足度のような非会計情報をベースとしたものまで様々なものがあります。

会社の業績は決算によって明らかになるのでどうしても会計情報を基本としたKPIのほうが使い勝手は良いのですが、会計KPIはスピードメーターのようにリアルタイムであったとしてもその時点の状況と結果を表すには長けていますが、事業の進むべきビジョンや価値観を示すには不向きです。

それゆえ、企業は創造力をもってビジョンや価値観を投影するKPIの発見、工夫にも力を入れる必要があります。一見、会計KPIとの相関が見えづらくとも、本当に重要な価値観を体現できるKPIをよりどころに日常の事業活動を行うことができれば、結果は自ずとついてくるでしょう。

会社を創業した頃は「ビジョンや価値観は日常の行動で示すものであり、非会計KPIなど不要だ。結果は財務諸表で測定されるのだから、それでいい。」などと言っていましたが、組織が成長し事業が発展するほど経営理念やビジョンの整理と同時に、それらを行動に転換する創造的KPIの重要性を強く感じるようになってきました。

さて、あとは実践あるのみ!

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注:KPI:Key Performance Indicator:経営などの活動において、その活動を健全に行うために重要な指標のことです。体脂肪率や安静時心拍数は健康状態を知る目安になりますが、こういったものもKPIの一つです。

そうだ チームジャージ、つくろう!

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梅雨入り直前の好天。いまだリカバリーモードから脱していないこともあり「武蔵五日市⇔都民の森」ヒルクライムへ出かけました。山間の水田も田植えが終わり、水面と緑、そしてあぜ道の花が美しい!

 

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それにしても今日はよく抜かれました。レースでもないのに十人単位です。実力差がありすぎてついていくことも出来ません。気持ちを切り替え、景色を愉しみつつマイペース、マイペース。

 

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上りゴールの「都民の森」で糖分補給(ソフトクリーム)していると、ディーバのメンバーからこれから上がってくると連絡あり。「おおっ、途中で会えるなぁ」と下りの楽しみが出来ました。

 

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ところが、実際に探してみるとヘルメットとサングラスが標準装備のため意外にわかりにくい。チーム走行に出会う毎にスピードを落としてじっと凝視、ちょっと怪しげだったか。それでもなんとか、合流できました。

 

ん~なんか足らんな。。。

 

そうだ チームジャージ、つくろう!

実学2.0 インタンジブルな投資への憂鬱

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これまでバイブルのように幾度となく読み返して来た本はいくつもありますが、稲盛和夫さんの「実学」もその一つです。経営における会計の重要性とともに、会計を換骨奪胎し自分達の価値創造の道具とせよということを事例を通して書かれています。

実学が最初に出版されてから約20年が経ちました。その間、会計ビックバンと呼ばれる会計制度の大改正が行われ、IFRSの任意適用も始まり当時とは会計基準も大きく変化しました。

一方、実学としての会計進歩が進んだかと言えばその限りでは無いように思います。確かにグループ経営のための連結会計が中心となり、資産の時価評価が導入され、グローバル化を推進しやすい?IFRSの選択も可能にはなりました。しかし、それぞれの企業にとっての価値創造の道具となっているかと言うと難しいところです。

例えば、日本企業は資金を貯め込んで投資に使わないという話があります。資産効率という点では、目標ROE8.0以上を掲げた伊藤レポートが2014年に出てから、上場企業の一般的な指標となり総じて改善が進んでいます。

では個別企業の相対的競争力は向上しているのでしょうか?わかりやすいところでFortune500のリストに乗る日本企業数で見てみるとROEの改善著しい2014年からでも57社から51社に減少しています。ちなみに1995年は149社でした。f:id:runavant:20180519191507j:plain

何故か?ソフトウェア事業に関わる人間として、個人的にはインタンジブルアセットつまり、目に見えない価値である無形資産への投資が進んでいないことにかなり大きな原因があると考えています。

この20年でインタンジブルアセットというものが経済に占める割合が大きく変化しました。にもかかわらず、グローバルベースで見ると日本企業のインタンジブルアセットへの投資額は大きく遅れを取っています。ノーリスク、ノーリターン、投資無き領域に未来の果実はありません。それが競争力の低下という形で現れています。

ソフトウェアの世界ではその差は歴然です。米国ではGAFMA(注)のような超大規模の高収益企業を頂点として、ベンチャーを含む沢山の企業が「同一産業プラットフォーム」の上で活動しています。それにより、ビジネスモデルや知財・人財などのインタンジブルアセットが評価出来るベンチャー企業は、多様なEXITオプションを背景に会計上赤字であっても資金ショートを気にせず事業成長に集中することが出来ています。

とはいえ、リーマンショックを引き起こしたサブプライムの構造とも同じ文脈なので一度破綻がおこれば連鎖リスクはありますが、インタンジブルアセットへの投資を加速させることが将来の競争力を高める以上程度の差はあれど、取るべきリスクです。

以前の日本株式会社の強さもある意味同一プラットフォームに乗っかった企業群の強さであったように思います。プラットフォームもライフサイクルがあるのでかつてのモデルの優位性は消滅しました。そして、現在の日本には時代に合った強力な産業プラットフォームは存在していません。

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それはさておき、企業として出来ることは何かということになりますが、事業継続力を確保した上で可能な限りインタンジブルアセットへの投資を最大化する道を実学として確立していくことがその一つであると思います。

いくら目に見えない資産といっても、計測できないものへ投資は出来ません。現在の会計基準で計測できないのであれば実学としての計測に挑戦するしかありません。

お金は存在するだけでは実業的価値を生みません。しかし、お金を価値創造につながるインタンジブルアセットに置き換えることを加速できれば生き金となり、インタンジブルアセットから得られる未来の果実も大きくなるでしょう。もちろん異次元のリスク管理能力がセットです。

月次のルーティンとなっている取締役会での社外からの健全な進化圧により、創造的実学会計も活用して、会計基準に縛られたインタンジブルアセット投資への憂鬱を吹き飛ばさねばとの思いが強くなっています。

(注:GAFMA:Google Amazon Facebook Mcirosoft Appleの総称)