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THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and the managing of something.

デザインはデザイアに従うか?

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形を変えてきたAVANTカレンダー

お盆を過ぎたところですが、社内では来年のAVANTグループ卓上カレンダーの出荷に向けた写真の公募が始まっています。

かつてはすべて自前の写真で作成していましたが、公募制になった2013年版以来グループメンバーから公募されたものから12枚が選ばれ、1月から月替わりでデスクの上を飾るようになりました。

2017年版でバージョン17です。現在はそのフォーマットもほぼ定番化していますが、これまでに何度も写真に対する自信やパッションによって形を変えてきたものです。

 

初期には人工構造物があった

現在の写真は山岳風景中心です。写真の応募基準でも人工構造物は基本的にNGとなっています。しかし初期のバージョンでは人工構造物がメインとなることもありました。初版が2001年ですから、1999年から2000年の初秋にかけて撮った写真です。

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当時はフィルムカメラだったのでその場で撮ったものを確認できません。画像を加工することもできません。なかなかグッとくる画がとれずになかなか難しいものだと感じながら比較的身近で無難な素材を撮っていました。

写真が足らなくて小さくなって、実用中心へ

2004年版は時間的にも精神的にも余裕がない時期とかさなり必要な枚数の写真がとれませんでした。無理矢理選んでも二ヶ月で一枚が限界です。満足のいく出来の写真がほぼ皆無だったことからカレンダーそのものも小さくしてしまいました。

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そんな04版の評判はダメダメでした。写真もつまらないし使い勝手もいまいち。そんなフィードバックが多かったので翌年は思い切って実用中心にして写真はおまけとしました。

2006年版では一工夫して月齢も入れこれらはまずまずの評判でした。このころは写真の表現欲より卓上カレンダー本来の機能を優先しカレンダーとしての完成度を上げようとしていました。

デジカメの採用で写真の表現手段へ

2007年版で現在のフォーマットとほぼ同じになりました。実用カレンダーと写真カレンダー表裏一体型です。機材をデジタルに変更したことがきっかけです。

デジタルはなんといってもその場で写真が確認できます。デジカメを使うようになったとたんに写真の出来が変わりました。撮りながらどんどん自分のイメージに近づくことができるからです。好みの写真が撮れるようになると写真を撮ることがどんどん楽しくなってきます。そしてもっと好みの写真を撮りたいというパッションが強くなります。

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その結果、カレンダーのデザインを決めるときに自分が撮った写真を自信満々で見せたのでしょう。長いつきあいのデザイナーさんから写真を前面に出してみましょうと提案いただきました。私の表現欲を察していただいたのだと思います。

 表現手段としてのデザインへ

その後もたびたび表現したい写真に応じてカレンダーのフォーマットを変えていきました。 2011年版は縦の写真を使いたくて縦型にしました。ところがフレームが強度不足で次第に寝そべってしまうというリコール状態です。写真を気に入っていただけに残念でした。

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そこで2012年、13年は卓上カレンダーとは別に壁掛け版を限定版として作成してしまいました。気に入った作品が撮れるほど、表現欲はますばかりです。多くの人の目に触れる作品となることをイメージしながら素材を探し、撮影することが本当に楽しかったのです。

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こんな楽しみを独り占めしていてはもったいない。そんなことから2013年からは有志メンバー中心にカレンダーを作成するようにしました。まだ少数ですが、同じような感覚を共有できるメンバーも少しずつ増えています。

これまでも表現欲というデザイアに応じて変遷してきたデザインです。これからも、クリエイターが自分たちの表現手段として新たなフォーマットやテーマが生まれることを期待しています。

ようは、毎年最善のものをつくるんだというこだわりさえ引き継いでもらえればよいのです。表現手段はもっと自由にやってほしい!、そう願っています。もちろん、カレンダーにかかわらずすべての作品において!

 

撮るか?観るか! 25、000発の古河花火大会

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第11回古河花火大会

昨晩(2016年8月6日)、実家のある茨城県古河市で花火大会がありました。
古河の花火大会は私が子供のころからありましたが、平成の大合併で総和町、三和町、古河市が一緒になりそこから数えて11回目です。

打ち上げ総数25、000発。午後7時20分から8時50分の1時間半で重さ300kg、直径90cmの三尺玉二発を含めた大量の花火を打ち上げる贅沢な花火大会です。

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きっかけは古河第一中学時代の友人から届いた「ご無沙汰です、(中略)土曜日は古河の花火大会です。」というメッセージ。そうか、じゃあ、実家に顔でも出してくるかと親に連絡すると「(花火大会の)場所取り行きます」と母から返信あり。せっかくメイン会場近くで観ることができるのであればと、久しぶりに撮影機材を持ち出しました。

メイン会場は渡良瀬遊水池という広大な貯水池の縁に位置するゴルフ場です。開花直径が650メートルと言われる三尺玉の大きさを地図にかぶせると以下のようになります。地の利を活かしたイベントです。

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撮るのか、観るのか?

中学時代の夏休みは毎年友人と連れだってこの花火を観に来ていました。当時もカメラ同伴です。当時の機材はCONTAXの一眼です。それで三脚も使わずに撮っていました。手持ちですから撮るよりも観るほうがメインです。もちろん、撮れる作品もそれなりです。当時は単に写真を撮るという行為が好きだったようです。

2000年に会社の卓上カレンダーをつくろうと写真を再開してからは、作品そのものへのこだわりが強くなりました。撮りたい作品のイメージを先につくり、それを求めて撮影に行くというスタイルです。

風景写真がメインなので、カメラを据えてから光や雲がイメージに近くなるまで待つこともしばしばです。そのような場合は景色をしっかり裸眼で眺めつつシャッターを切るので気持ちのいいものです。

ところが、花火は難しい。

かつて、幾度か撮影対象としたことはあるのですが、すべてカレンダーにはなりませんでした。単品ならまだしも、カレンダーのようなシリーズ写真で自然モノと並べるとどうしても負けてしまうのです。

その上、撮影していると設定変更や位置の修正などに追われ花火を堪能できません。
昨晩の花火は本当にすごかったので、「写真なんかとってる場合じゃない!ええい、動画にしてしまえ!」と、後半は写真撮影を放棄して花火を満喫しました。

やっぱり花火は観るに限る!

映像はこちら

ということで、グランドフィナーレの特大ワイドスターマイン「千輪の花園」です。
終わったかと思ったところでだめ押しの特大スターマインが上がり、24mmレンズ84度の画角から大きくはみ出す圧巻大パノラマでした。

 

www.youtube.com

いやいや、本当にすごかった。

 

富士登山競走(第69回)、今年も参加してきました!

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第69回富士登山競走

2016年7月22日、富士登山競走に参加して参りました。今年で5回目、最初の2回は富士吉田市役所から五合目までの五合目コース、今回は3回目となる富士吉田市役所から山頂までの山頂コースです。

天候は雨、山頂付近の気温は5度。山頂コースは下山における低体温症のリスクなどを鑑み2009年の62回大会以来の五合目打ち切りとなりましたが、大会関係者や応援の方々の熱い声援のもと、午前7時にスタートしました。

開会式では、恒例の「エイ!エイ!オー!」という気合い入れがあります。ことしも富士五湖消防本部の宮下さんによるものでした。「健康志向でランニングがブームとなる中、時代に逆行するような過酷なレースに参加される皆さん!」(意訳)というような参加者が思わず笑い出してしまう楽しくも盛り上がるエールで今年も鬨の声があがりました。

私はスタート前の宮下さんのエールが大好きです。(「今日はいいや」のお姉ちゃん、来年はぜひ!)

 

五合目関門、2時間14分でクリア

3年前に3年間有効の山頂コース参加権利を獲得して以来、2回連続で五合目制限時間を大幅に上回りタイムアウトとなり、今年が最後の挑戦機会となった山頂コースでした。

山頂ゴールを目指して始めたこの登山競走参加ですが、過去の結果から相当難易度が高いことを思い知り、山頂はおろか、五合目関門クリアさえ難しい現実を受け入れ、今年は、結果ではなく、その準備においてできるだけ言い訳の余地を残さないことだけを心がけることにしました。

結果は自己ベストを12分以上更新して2時間14分。

今年の五合目関門制限時間である2時間20分のみならず、来年からの制限時間2時間15分を切ることができました。

五合目打ち切りのためその先には進めませんでしたが、脚も十分に残っていました。後から心拍数の記録を見ると、乳酸閾値の範囲内で効率的に動けてたことがわかります。

 

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困った、まだいけるかもしれない

今回の目標タイムは現在の走力と準備状況から2時間20分としていました。一方、無理をしない範囲でやれるだけの準備をしてその結果として五合目関門の制限時間(2時間20分)をクリアできて、仮に頂上挑戦権(2時間25分以内)が得られても五合目制限時間が厳しく(2時間15分)なる来年からは五合目コース参加にシフトしようと考えていました。

というのも、村上春樹の「走ることについて語ることに僕の語ること」の中で、記録としてのピークは50歳頃だったという一節が印象深く残っていて、制限時間がかなり厳しい登山競走のようなレースにこれ以上チャレンジしても山頂ゴールは不可能だろうと感じていたからです。

想定していた達成感は、「ああ、やりきった。これで後悔はないぞ!来年からは五合目で頑張ろう!」というものだったのですが、暑さに弱い私にとっては恵みの雨となった天候も幸いし、余力を十分に残しての来年制限時間2時間15分を切ったことで、うれしさもさることながら素直な感想は「困った、まだいけるかもしれない・・」

チャレンジできるうれしさもさることながら、そこに向けた準備の厳しさもあり「やれやれ」というなんとも苦笑い的な喜びを味わっています。

 

伸びしろはあるのか

来年も挑戦するのであれば、タイムもさることながら頂上を目指せる伸びしろがあるのかということが最大の関心どころです。それが、全くないと言い切れないのです。

① 高強度を減らし、中低強度を増やしても走力は下がらなかった

登山競走の練習方法はとにかく、負荷をかけるものとこれまで考えてきました。トレッドミルであれば12度~15度の傾斜で8キロ~10キロのスピードで7.5分インターバルを5本毎週1~2回やるような高負荷(注)トレーニングです。ところが、この手のトレーニングは意外に疲労が蓄積しやすくオーバートレーニングになりがちでした。

そこで今回は、安静時心拍数を計り、リカバリー能力を見極め決してオーバートレーニングとならないように心がけました。安静時心拍数が高めのときは軽度のトレーニングのみにし、低く安定し始めると高負荷のトレーニングを入れるというようにしました。

私の場合、その閾値となる心拍数は50です。48前後になればほぼ完全リカバリーができていますが、運動だけではなく、仕事でも疲労がたまっていると55程度になってしまいます。肉体疲労だけでなく、精神疲労も含め総合的な状況が現れるので脚の筋肉疲労がなくとも、心拍数が高めであれば無理をしないようにしました。

その結果、平日はまったく高負荷をかけることができないことになりました。走っても、強度は低から中以下です。週末も毎週はかけられません。二週間~三週間に一度程度、20キロ程度のトレイルレースに参加してかける負荷がぎりぎりというところです。あとは週末にしても中負荷程度ですましていました。

結果、高負荷と中低負荷の比率がおおよそ3:7から1:9と大きく高負荷が減ったのですが走力についてむしろ、若干高まりました。量ではなくでバランスのようです。とはいえ、まだ模索段階でありそれが改善余地に見えるのです。

注:ここでは、%HRR:心拍数ー予備心拍数(安静時心拍数)/最大心拍数ー予備心拍数で80%以上を高負荷、70~80を中負荷、60~70を低負荷としています。

② 体重の削減余地がある

二つ目は体重問題です。登山競走はひたすら登りのレースです。よって、通常のマラソンやトレイル以上に重量インパクトがあります。走力の基礎となる心肺機能の改善が難しい年代にとっては、体重に削減余地があるかどうかが伸びしろの最大要素です。

実際に前回68回大会出場時は71キロでした。走ってはいたのですが、筋肉をつける方を重視し、体重はあまり意識していませんでした。昨年の五合目タイムは2時間52分です。そこから二ヶ月で約1割落としましたが、それは食事の改善だけで比較的苦労せずできました。

そして、今大会に向けた仕上げとして最後に60キロ代に持って行く計画でしたが、これには苦労しました。結果、若干リバウンドしていた分を戻したところで固定、ぎりぎり絞り込んで63キロでした。

年齢的なものでしょう。どうしても胴回りが残るのです。体脂肪は決して低くありません。酒をやめることで急減することを期待していた内臓脂肪も同様です。いずれもなかなか減少せず、最後の最後に脚に負荷をかけず食事もこれ以上減らさずにできる脂肪燃焼手段はないかと、まったく不慣れな水泳に手を出しました。

すると、これが意外に有効でした。先週の連休をつかって1時間~1時間半程度通しで泳ぎ続けた後の体脂肪は確実に減少していました。といってもわずか2回の結果です。食事はかなり限界まで調整していたので、体脂肪燃焼に有効なクロストレーニングを取り入れることで健全な脂肪削減の可能性を感じています。健康を損なわないようにあと3キロの削減すること。ここが二つ目の伸びしろです。

③ まだ未使用の技術がある

三つ目は登山競走向けの技術です。登山競走はロードと登山道、さらに岩場を含む高度登山道の三種混合レースです。それぞれに適した走行技術があるようです。

ロードから登山道に切り替わる馬返しで起きがちな脹ら脛の痙攣を回避しようとその手段を探っていたのですが、その一つが登りで両手を前腿について上半身をささえながら登るという方法です。

登山でも有効ということは知っていたのですが、通常の登山でもストックを使うのが嫌いで、山は脚だけで登ることをよしとしてきたのでその効果を体感したことがありませんでした。

しかし今回はなんでもやってみようと、練習でも使ったことがない方法を試してみました。しかも急斜面でなくとも走れないところはすべて両手をつかうことにしました。やってみるとこれが想定以上に効きます。姿勢も安定し、無駄な筋力を浪費することなく効果的に登り続けることができました。

その他にも、周囲のランナーを見ていると斜度に応じてスピードをコントロールしながら絶妙なピッチ走法で走る方々を見て関心していました。基礎走力不足を補う技術はまだほかにもあるかもしれません。

この技術獲得が第三の伸びしろです。

来年もチャレンジします

ということで、来年も山頂コースにチャレンジします。(^_^;)

アバントグループからの今年の山頂コース参加メンバーは私を含めて四人でした。五合目コースも山頂コース以上のメンバーが参加しました。来年も山頂コース、五合目コース参加メンバーと一緒にそれぞれのチャレンジを楽しもうと思います。

 

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余談ですが、山頂コース参加メンバーの笠嶋さん。なんとシューズを忘れ普段履きで参加していました。ある意味恐ろしいポテンシャルです。来年が楽しみです。

 

ありがとうございました

最後に、富士登山競争を主催されている富士吉田市の関係者の方々を始め、救急やエイドステーションなどボランティアの方々に心より感謝申し上げます。また、アバントグループのサポートメンバーにも心から感謝です。ロード途中の中の茶屋でアバントの旗を見つけたときは感激でした。本件に関心をもっていただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 

もうすぐ富士登山競走(第69回)

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今日の高尾⇔陣馬は最高でした

いよいよ7月22日の富士登山競走まで二週間をきりました。山を走ったあとの筋肉疲労がなかなか抜けないので、ある程度疲労が残るような練習は今日が最後です。

当初は本番コースの一部を走ろうかと考えていたのですが、高尾山口・陣馬山の往復にしました。減量しているはずなのに体重がいっこうに減らないので、長めの距離をゆっくり走る、減量ランです。

コースはロード+登山道というコース設定の富士登山競走風に、高尾山口から小仏峠入り口までのロードを走り、景信山への登山道を経由して陣馬山へ。復路は陣馬山から景信山、城山、高尾山すべて巻き道を使って稲荷山ルートで降りるというものです。

約27キロを休憩もいれてほぼ5時間。復路はほとんどハイキングでしたが、尾根筋では涼しい風が吹き、軽装だったこともあり、走らなければとても快適でした。ほんとうに気持ちよかった。

 

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富士登山競走への準備

さて、登山競走への準備ですがインターバルなどの負荷をかけても基礎的な走力があがらないという現実に直面し、基礎的走力を上げる足し算のトレーニングではなく、基礎的走力を出し切る引き算のトレーニングに注力することにしました。ポイントは以下三点です。

 

① できるだけ自体重を落とす

これは私の個人的な感覚値ですが、富士登山競争の五合目関門2時間20分をクリアするだけでも、フルマラソンで3時間40分程度の基礎走力が必要です。その上で、登山用の脚力なども鍛える必要があります。

3年前の66回大会の五合目コースで、なんとか2時間26分。当時の走力はフルマラソンで3時間55分。体重65キロ程度でした。

今年はフルマラソン3時間50分。体重64キロ。基礎走力はほとんど変わっていません。

私の身長173センチの場合標準体重は約66キロ弱です。0.9掛けで60キロ弱、できればあと4キロは落とす必要があると考えています。

 

② 飲食を見直してできるだけ体調を整える

ポテンシャルを出し切れる体調を整えることです。そうならないのは精神的な問題であったり、身体的な問題であったりと要因はさまざまですが、これがなかなか難しいものです。しかし、そもそも基礎走力が五合目関門すらぎりぎりです。四の五の言わず、なんとかしたいものです。そこで、体重問題とも密接不可分ということもあり、日常となっている暴飲暴食を控える。つまり食事と酒を引き算して体調を整えようということです。

 

③ 補給上手になりできるだけ手荷物を減らす。

私は暑さにとても弱いのです。この季節に走るといつもバケツから水をかぶったように汗でびしょ濡れになります。思い込みもあるのでしょうが、携帯している水がなくなると、一挙に戦意喪失します。それゆえ、夏場はつねに大量の水分を携行します。この重量をなんとかしたいということです。

量が少なくても、効果的な補給ができる水分を探し求めることにしました。また、塩分を始めミネラルやアミノ酸などの補給も積極的に試し、水分の携行量を減らしても少量パフォーマンスが落ちないようにできるよう試行錯誤することにしました。

現時点の状況

①体重

減るどころか、6月末時点では増えてしまいました。6月12日の八重山トレイルレースでの疲労回復に時間がかかり、月間走量が80キロ程度という現状走力維持もままならないような状況もあり、6月頭の海外出張で体重が増加したまま高止まりしていました。

これまで海外出張で体重が増えたことはなく、過去9ヶ月程度ほぼ64キロ代で安定していたので自然に戻るだろうと考えていたのですが、むしろ増加傾向になっていたので食事を見直し、最後の切り札である断酒にも踏み切りました。

それから二週間、なんとか64キロ前後まで来ましたが、目標の60キロのめどは立っていません。

 

②体調

一週間以上の断酒は25年ぶりです。体重問題から泣く泣く踏み切りましたが、それだけに効果をとても期待していました。 体重はもちろん、体調が抜群によくなるだろうと。しかし、残念ながら今のところその効果は実感できていません。まぁ、飲み過ぎによる体調不良にはならないので、それでよしとするかというところです。

 

③補給

水にアミノ酸を溶かしたものや、塩分系サプリを溶かしたものなどを試しています。リカバリーという点ではアミノ酸はある程度効果を感じていますが、走行中での効果はまだよくわかりません。ただし、大量の汗をかいた後など、なんとなくぼんやりしてしまうという問題には「塩」が効くことだけは確信しています。

肝心の水分携行量削減についてはまったく決め手を欠いています。結局のところ天候次第ということになりそうです。

ともあれ、楽しんできます

ということで、五合目関門すら当落線上というのが現状です。今年2時間20分という五合目関門制限時間は、来年には2時間15分になるそうです。頂上コースの参加権利は3年前の2時間30分以内から、2時間25分に繰り上げられています。

とはいえ、このぎりぎりというところがある意味面白いところですね。結果もさることながら、レースそのものを楽しんでまいります。

 

「ゼロ」を生んだ国とDIVA

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◇ グランドフロアは何階?

海外でエレベータに乗るとグランドフロアという地上と接しているフロアをGや0としているのをよく見かけます。日本では1ですね。インドはもちろん0でした。ゼロを発明した国と言われているだけに、見るたびに「おおっ」と喜んでいました。

なぜなら、小学生の頃のある出来事を思い出すからです。

それは、ある日父から突然「数を数えろ」と言われたことから始まりました。私が「イチ、ニ、サン・・・」と答えると、父は「数はゼロから始まるんだ」と言います。しかし私の頭の中は「???」が並ぶだけで、ピンときません。「なんでなんにもないゼロを数える必要があるの?」と問うと笑いながら「おまえは文系だな」と一言。理科が大好きな科学少年だった当時の私にとってはショックな一言で、それ以来「ゼロってなんだ?」と軽いトラウマとなりました。

そんなこともあり私にとって「ゼロ」は特別な数字です。

 

◇ インド生まれのゼロ

ゼロがなぜインドで生まれたのか。数学の歴史を特集した「Math and the rise of civilization」という番組によると、「神と祭り」が背景にあるそうです。インドは人口が多い国ですが、神様も同様で3億神?以上おられるそうです。なんとういう数でしょう。神道も多神教ですが八百万(やおよろず)神。桁が違います。

番組ではその神様を祭る日を決めるために天文学が発達し、それがインド数学発展の発端となったとしています。その結果、7世紀前半には地球が丸いことも、その円周もほぼ正確に計算していたそうです。誤差はわずか約100キロ!

その7世紀前半628年、当時インド天文学の中心地ウッジャイン(Ujjayan)で天文台長だったブラーマグプタがゼロの概念を著書に記し、それがアラビアを経てヨーロッパに伝わったとのことです。

ウッジャインは北緯23度、北回帰線のほぼ真上に位置していることから夏至の時太陽が真上を通ります。天文学の中心地となったのは太陽の周期を測定しやすい場所だったからです。

 

◇ 莫大な数を処理するために生まれたものがゼロの概念?

ゼロの発見によってわずか9種の数字とゼロを組み合わせることで膨大な数を簡単に表現することができるようになりました。また、方程式を解く際に同じ値を打ち消すことができるのもゼロという概念が存在するからです。ゼロによって、一見複雑に見える世の中を簡単に表現することができるようになり、さまざまな法則が発見されるようになりました。

このように、ゼロが一度発見されてからのインパクトは絶大なのですが、ゼロという概念を定義する必然性がなぜ生じたのかという点についてはよくわかりません。ゼロの発見以前にも計算上の「無」という概念は存在していたそうです。マイナスもありました。しかし、用途は借金の認識や、資産と負債を相殺したときの純資産を認識するための経済活動上の必然の範囲だったといいます。

なぜブラーマグプタは、無をゼロと表現したのでしょうか。なぜ、無に意味を見いだしたのでしょうか。宇宙の真理を追究するためなのでしょうか。すくなくとも目に見える世界を超えたなにかを見ようとしないかぎりその必然は生じません。

この辺を理解するためにはインドの歴史や文化をもっと勉強する必要がありそうです。

 

◇ サンスクリット語を語源にもつDIVA

話は変わりますが、DIVAという社名はフランスのジャン・ジャック・ベネックス監督の映画「DIVA」にインスパイアされて「経営情報の歌姫(女神)とならん」という思いを込めて命名しました。決定に際しては、将来グローバルに活動するようになっても世界中で意味が通じるような言葉がよいと調べたところラテン語を語源としていることがわかりこれで行こうと決めました。

その後少したってから、さらにサンスクリット語を語源としてるということがわかり、仏教を通して東洋にも通じると知り一層思いが強くなりました。

前回のインド訪問では、インド人との会話の中でなぜDIVAと命名したのか聞かれました。もちろん、彼らにとってはなぜサンスクリット語のディーバ(女神)なのかという素朴な質問です。

縁を感じずにはいられませんでした。

 

◇ わからないことが多い国

それにしてもわからないことだらけのインドです。なにか疑問を覚えても簡単に情報を入手できません。関連する書籍もあまり充実していません。それだけに、ますます興味を覚えてしまいます。これから、少しずつ彼の地の歴史や文化などをひもといていこうと考えています。

 

 

カオスの国、インクレディブル・インディア

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◇ 45度

インドへ行ってきました。出張前にはデリーの気温が50度を超えたというニュースもあり、とんでもないシーズンに初めてのインド出張を計画したものだと少し憂鬱な旅立ちでした。

到着した日のデリーの気温は幸い40度程度、42度あった次の訪問地ジャイプールからバンガロールに移動、飛行機のタラップから地上に降りた瞬間おもわず「涼しい」と言葉がでました。スマホで気温をチェックすると30度です。

バンガロールは緑豊かで魅力的な都市です。ただ、渋滞がひどいため市内であっても一日三件の訪問予定を入れるのがやっとです。

渋滞といっても、日本でイメージする整然とした渋滞ではありません。車線など意味が無い混沌とした渋滞です。逆進車も当たり前です。それでも前に進んでいくのは不思議なものです。雑踏の中を人が歩くように車も動いていきます。

面白いのはそれほどひどい渋滞であっても、だれもイライラしていません。注意喚起でクラクションを鳴らすことはしますが、人もオートバイも車も牛も、混じり合って流れていきます。不思議な感覚です。決して心地悪いものではありませんでした。

最後にデリーで45度の中を少し歩きました。さすがに30分程度で車に引き返しましたが高温と現地の雰囲気を少しだけ感じることができました。

 

◇ IT産業の心臓部

グーグルのスンダー・ピチャイ氏、マイクロソフトのサトヤ・ナデラ氏だけではなく、IT業界におけるインド人の影響力はIT業界の人であればだれもが知るところです。

昨年マイクロソフトのレドモンドにある本社(キャンパス)を訪問したときは、そこで働く半数程度がインド人に見えました。

欧米企業は早くから製品開発やサービスのアウトソーシング拠点をインドに設置して優秀な人材を獲得してきました。そういった一連のアクションの氷山の一角がインド人IT企業のトップの誕生であり、レドモンドの風景です。

今回の訪問では、その氷山の本体を見ることができました。日本の製造業の強さが大企業とともに栄える中小企業の層の厚さにあったように、珠玉の中堅中小の現地企業がたくさん存在しています。わかっているつもりでしたが、実際に触れてみることで層の厚さに少なからず衝撃を受けました。

 

◇ カオス

インドは好き嫌いが分れると聞いていましたが、私にとってはまた訪問したいと思える国となりました。もちろんほんの表層に触れただけですが、人為の及ばない自然な人の営みと人が造り上げてきた社会的な人の営みが混じり合って共存している環境は、なにか本質的なことを問いかけてきます。

IT産業が栄えているといっても、通信環境は劣悪です。高等教育を受けてグローバルビジネスの最先端にいる人もいれば、100年前となんら変わらない生活を送っている人々がいます。モダンな建物と一緒にバラックが建っています。

とても「人」とひとくくりにできない人々が混在し、さまざまな動物も一緒に生きています。まさにカオスの世界です。私たちは社会の進歩によって自然を含め様々な現実から分離されて生きています。それだけに、私たちの住む社会とそうでない社会が溶け合っている、つまり「カオス」を感じられる環境は貴重だ。そんなことを感じて帰ってきました。

 

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Photo: Qutub Minar, Delhi

 

 

つなぐ義務を果たす、DSのアップデート版を見て感じたこと

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◇ DivaSystemのアップデート版

先日、ディーバ社の主力製品である連結会計システムDivaSystemアップデート版のお披露目が社内でありました。会場は満席、立ち見での参加でした。

アップデート版ではありますが、1997年の初期バージョン以来開発スコープに上がっては先送りされていた機能のいくつかが実装されていました。処理速度と原則論を最優先とするコンセプトでデザインされたシステムゆえのこだわりから劣後していた機能です。

モノを見ていて直感的にイメージしたのは、かつてポルシェが車の走行性能上不要としてかたくなに実装してこなかった電動格納ミラーやハンドルのチルト機構を実装したときのことです。

たしかに走行性能に影響はありませんが、車を使うさまざまなシチュエーションでは役に立つ機能です。その後のポルシェの好調ぶりは周知の通り。

今回の開発にかかわったメンバーに話しを聞いたところ、サービス側のメンバーがリードしてお客様と一体になって開発した結果とのことでした。

 

◇ 肌感覚、現場感覚を養うこと

もちろん、当初よりよりお客様と開発に距離があったわけではありません。むしろ、今以上に一体となった開発を行っていました。現場ニーズ、つまりお客様のニーズを直接的に理解した上で、お客様のニーズとそれを実現するための制約条件のバランスをとった結果の取捨選択です。

ところが、お客様の数が増え、組織も以前と比べて大きくなるとどうしても現場のニーズを個別に取り上げて当事者意識をもって取捨選択することが難しくなります。情報量が格段に増え、直接そのニーズを感じることができなくなるとリアリティを失い、取捨選択のセンスが鈍ります。

経験則的には、取捨選択を行う際に外部の調査会社のフレームワークなどを使い始めたときはかなり危険です。もちろん、フレームワークを理解し活用することは大切ですが、答えは自らの現場感覚をもって独自に見いだす方があきらかによいものができます。

ビジョンは現実離れしていてもよいのですが、その実現は徹底的なリアリティ、現場感覚を伴うものでなければ役に立ちません。

 

◇ つなぐ義務を果たすとは

冒頭のDS開発にかかわったサービスと開発両方のメンバーの話から、いずれも当事者意識のようなものを強く感じることができました。そして、お客様と一体となった開発工程から強い「愉しさ」を体感しているようでした。

このような体感を大切にすることは、普段の仕事に対する姿勢から自然と文化として定着していってほしいものです。

しかし、こういった体感は「計算しないで仕事に臨む」姿勢が必要であり、業績の向上を追求する営利組織では実際には素直に受け継がれていくことが難しいことでもあります。

そのような中、今回のように現場感覚を大切にして、なによりも仕事のプロセスを愉しめたという話が現場から聞けたことは組織の成長を感じるとてもうれしい話でした。

結局のところ、「神は細部に宿る」という言葉のごとく、日々の小さなことの積み重ねの中に大切にしたいことをしっかり織り込んでいくことが最善の道なのでしょう。次世代につなぐ義務を果たすとは、そういうことなのかもしれません。

 

PS:写真は南アルプス甲斐駒方面。経ヶ岳バーティカルリミット参加の帰路にて。