THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

神事

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 今年も、富士登山競走を走ってきた。(五合目コース15km/1480D+)

 五合目までを2時間20分以内に通過できず、山頂挑戦権を失ってから、もう三年目になる。わずか数年前まで走り通していた馬返しは遠く、中野茶屋から歩きとおした。

 そろそろ応援に回るか。そんな気持ちがよぎるほど、酷暑の中の登りロードがきつくなった。もちろん、それなりに準備が出来ていればその限りではないだろうが、今年は精神的にもそんな余裕はなかった。

 その様子は周囲の眼にも明らかだ。レース前に仲間たちから、今日はテンション低いですねとからかわれた。正直、これほどテンション低く臨んだことは初めてだ。

 ところが、三合目を過ぎたあたりから、急に気力が蘇ってきた。気温が下がり、エイドで十分な水分補給を終えたこともあるが、それだけではない。パワースポットなど信じない質だが、以前から、旧登山道の馬返し前のあたりや、三合目から四合目あたりは疲れたメンタルがなぜか復活する体験を繰り返している。他のレースではこんなことは無い。なにか、自然のチカラを感じる。

 あれほどローテンションで臨んだ今回だが、終えてみると、重い荷物を下ろしたような心持ちだ。また来年の参加に向け、頑張ろう。そんな気力が戻ってきた。これが、勝手に当社の「神事」としている理由である。

 マラソンでも、トレイルでも得られない、一年に一度の特別なレース、「この山には過酷に挑む価値がある」とはこのレースのキャッチコピーだが、私にとっては、日々を生かす気を養う上で、欠かせない存在になっている。

 来年も行くぜ、まってろよ!

 

MAKE TOMORROW!

最終講義

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 先週、一橋大学のMBAと商学部を対象とした「企業価値経営論」の最終講義を終えた。アバントグループの寄附講義として3年間のプログラムだった。一橋大学教授の中野さんにご指導いただきながら、当社の経営陣とともに行った。

 経営者のリスキリングにとって、他社の社外取締役経験は貴重な機会だったが、経営というものの思考の整理という点ではそれ以上だった。

 朝一番の授業ということも効いたのだろうか、学生とはいえ、企業価値経営オタクが集まっているような手ごたえがあった。社会人向けに話をするよりも遠慮せず企業価値や経営について、講義と対話を行った。

 講義コンテンツは毎年半分以上変更した。私のような実務家の場合、実際の経営現場の試行錯誤をありのまま伝えたほうが面白いだろうと考え、最新の失敗談やそこから学んでいることを積極的に織り込み、なかなか他ではできない話をした。

 学生とは、師弟関係ではなく、同じ人間として、より長く生きて来たものと、これから社会人として生きていくものという、人生の先輩後輩関係である。正解を示すことはできないが、生きたインスピレーションを置いていくことなら少しはできるかもしれない。そんなスタンスだった。

 しかし、実際には、自分のほうが、学生からインスピレーションをもらっていたように思える。これから社会をつくる人にとって、なにが大切かという視点を強く意識するようになった。新たな思考点である。

「人は教えることによって学ぶ」。古代ローマの哲学者セネカの言葉だ。この学びとは、自分の思考を深めることだけではなく、ものの見方の変容も言っているのだろう。学生との対話の機会は、自分の視野がどんどん狭くなっていることを自覚する機会にもなった。

 世界中の情報にアクセスできるようになった一方、ビジネス指向のアルゴリズムによって、人間の思考は標準化と偏りが進んでいる。標準化は多様性による創造性を棄損し、偏りは分断の亀裂を生んでいる。便利さの副作用である。

 そんな時代だからこそ、思考の健全なる自立を磨くために、自分の思考と行動の始点に多様性を持つことが欠かせない。そのためにも、ダイバーシティはもっともっと振り切ったほうがよさそうだ。

 正直、だんだん面倒になってきたからこそ、ランや筋トレ同様、楽に逃げないように意識的に行動すべきだろう。

 とはいえ、壊れるような負荷はNGである。このバランスが難しい。やれやれ。笑

 MAKE TOMORROW!

画狂

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 北斎の肉筆がどうしても見たくなった。

 デッサンや、版画を大量に残した北斎は、晩年になると肉筆、つまり一点ものに集中するようになる。版画は工業製品に近い。版元の意向を汲み、技術者たちの手によって量産される。絵師がデザインしたものではあるが、卓越した職人との共同作業による作品である。

 北斎の代表作、富嶽三十六景を制作したのは72歳のときである。絵師の集大成として成功を収めた。しかし、個人的に、強烈なインスピレーションを感じる作品は、この後、信州小布施にて、肉筆として生み出されている。

 写真は、小布施の北斎館にある鳳凰図の真筆。85歳の時の作品である。はて、自分が85歳になった時に、これほど集中力をもって何かに取り組むことができるだろうか。真筆を前に、そこからあふれるパッションに圧倒される。

 10代後半までは、絵をよく描いていた。油絵は時間がかかるので好きではなかった。一枚10時間程度で描き上げられる水彩画を好んで描いていたが、一枚描いたあとの疲労感はなかなかだった。

 今は、そんなソウゾウリョクの使い方は事業に全投入であるが、20代、30代の頃のようなソウゾウリョクは甦らない。一方で、そのころのアイデアが満足いくようなカタチになったかと言えば、全くだ。むしろ、それをカタチにすることへのノイズが次第に少なくなっていることを感じ始めている。

 北斎は、富士越龍という絶筆を残している。さんざん絵にしてきた富士山を越えて天に昇る龍を描いたものだ。九十にしてなほ、絵師として満足を得ず。すがすがしいほどの辞世の一筆である。

 自分を北斎に重ねるわけではない。ただ、面白い人がいたものだ。ちょいと、その面白さに触れたい。そんな思いにかられたのである。生きたインスピレーションの塊だったのだろう。おそらくは、周囲は結構大変だったに違いない。世界に与えたインパクトよりも、その生き方に魅力を感じる。

 鳳凰図からは、「これでいいのだ。」そんな言葉が聞こえてきた。

 

 MAKE TOMORROW!

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 父が天寿を全うした。94歳、大往生である。

 とはいえ、その時を強く意識するようになってからは、様々な感情が蓄積していった。見舞う時は、心のままにするしかなかった。

 う~ん、今日は、言葉にならんな。

 お父さん、 ありがとう。

 

 MAKE TOMORROW!

成長

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 7月からアバントグループの新年度が始まる。各事業会社の新年度、キックオフミーティングも次々と開催されている。そこでは、各社の成長戦略が当然のように語られる。

 会社は成長が大前提である。本当だろうか?社会貢献を通して営利を追求するための組織であるだけなら、事業継続が出来れば必ずしも成長を追求しなくてもよいのではないか。

 経営者として駆け出しの頃は、社会に認められるように、会社を大きくしたい。迷いなくそう考えていた。ただ、当時の成長とは、事業規模であった。主に売上や顧客数、社員数など規模のスケールアップのみを成長ととらえていた。赤字は悪としつつも、利益については、むしろ成長のために使うことを当然のように考えていた。経営の諸先輩たちには、幾度も窘められたが、聞く耳をもたなかった。

 しかし、リーマンショックで、新製品開発投資の凍結をはじめ、リストラをするような事態に陥って初めて、環境変化への備えとしての、高い収益性の本当の意味を理解した。成長とは、会社の自立力を磨くためのものである。ということだ。社会や顧客の役に立ちたいのであれば、個人同様、自立する力が強いほど、やりようも増える。

 様々な環境変化を乗り越え、社会や顧客に役立ち続けるためには、高収益が欠かせず、高収益を実現するには、規模の成長も欠かせない。単なる財務的な話だけではない。高収益は自分たちの希少性を反映し、規模はどれほど多くの人に役立っているかを投影する。そのように見れば、自分たちのビジネスモデルを磨くためのバロメーターにもなる。

 成長とは、会社が健全に社会に役立つために必要な、自立を磨くための行動なのである。しかし、売上や利益といった数値目標の達成は、本来その手段であるべきだが、達成そのものが目的になり、行き過ぎると粉飾や人の健康を害するなど、会社の自立を破壊する事も少なくない。

 成長は、会社の自立、そしてそこで働く人の自立を磨くためのものである。その本来の成長の意味を体現できる組織的成長を目指したい。

MAKE TOMORROW!

黄経90度

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 夏至である。天文年鑑曰く、本日17時25分(JST)、太陽の黄経90度に地球が到達するらしい。

 小学生の頃から天文年鑑を購読している。テクノロジーが発達し、宇宙で起きていることを簡単にアプリで見ることができる現在でも、変わらずに文字と簡単なグラフとデータの羅列で一冊を構成している。読み物として面白いわけでもなく、見るものとして楽しいわけでもない、かなりハードコアな本である。にもかかわらず、天文少年だった名残として、初詣でお札を買うような習慣のごとく、続いている。

 万事諸行無常であるが、自分自身や、周囲の環境など、身近な変化の中でいつも右往左往している。変化は波の如しである。ゆるやかな波がつづくときがあれば、大きな波がいくつも重なって押し寄せてくる時もある。時に流され、時にのまれ、あたふたとそんな波間を泳ぎ続けているようなものだ。必死でもがいているうちにあっという間に時が流れ、カレンダーを単なる時計としてしか感じなくなることがある。

 同じカレンダーでも、天文年鑑は宇宙の暦である。記号としてではなく、宇宙の動きの中にある自分に思いを馳せるトリガーになる。本当に塩対応なコンテンツであるが、それでも、自然の中の人間という想像力に働きかけてくる。今では、夏至や冬至のタイミングでしか眺めることはないが、自分にとっては貴重な人生の年鑑である。

 MAKE TOMORROW!

 

生かせ、命

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  四年ぶりに戸隠マウンテントレイル(ショート:10km/520D+)を走って来た。先週の奥信濃100のダメージが思いのほか残り、昨日までヒラメ筋がヤバかったが、せっかくのショートレースである。エイジグループの表彰台を狙ってみた。

 スタートから様子がおかしい。最近のレースでは、原宿に迷い込んだおじいちゃんのような居心地の悪さを少し感じるようになっているのだが、今日の原宿はやたらとおじいちゃんが多い。しかたがない、とりあえず全力で行ってみるか、スタートを切った。

 序盤は好調に飛ばしていたが、中盤の登り後半になると微妙に失速し始めた。そんな時、明らかに同じエイジグループ、いやおそらく大先輩だろう、白髪を刈り上げたランナーが、ひょいひょいと、仙人のごとく加速していった。

 さすがは戸隠、修験道の聖地にはランナーというよりも、行者さんが似合う。かく言う私は、4年前よりもだいぶタイムを落としたが、エイジで4位という結果だった。まぁ、無理せずともギリ追い込むことが出来たので悪くはない。

 のではあるが、安易に受容するのではなく、先輩たちの走りからインスピレーションをもらって、自分なりの工夫はしてみたい。もはや、競うことはモチベーションにはならないが、常識に迎合せず、独自の道を究めている人からは、命を使い倒すことの大切さを教えられる。

 MAKE TOMORROW!