THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

学ぶ

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 守破離、という日本人にはなじみ深いフレームワークがある。個人的には、室町時代の能楽師、世阿弥が残した風姿花伝に、その原型を見る。芸事のように、なにか一芸を磨きたければ、先達から徹底的に学び、それを自分のものとして、その先にオリジナリティを磨きこむ。そんな、成長段階をシンプルに構造化したものだ。

 適当な先達がいないような、新しいことを始める場合はいきなり破から始める必要がある。これはなかなかシンドイ作業だ。新種のキノコが食べられるかどうか、命を張って試すようなものだ。

 しかし、幸いなことに、私たちの社会における新しいことのほとんどは、先達のノウハウを応用することができる。例えば、会社の経営において、時代も対象も大きく異なるにもかかわらず、孫子の兵法のような中国の古典から学ぶ、なんていう話も少なくない。複雑な図形も、三角形に分解すれば、その集合体としてとらえることができる。似たアプローチだ。

 個人的には、社会人になって、最初の仕事で上司からこっぴどく怒られるまで、あらゆることに対して守を軽んじ、いきなり破離に突撃してばかりいた。学生の間は、それで人様に大迷惑をかけることもないので、なんとか済んでいたが、社会人になるとそうではない。そんな人間を部下にもった上司は本当に災難だったろう。

 幸いにも、最初の仕事の提出物、たしか業務フローの作成だったが、それに原形をとどめないほど赤ペンを入れ、真剣に指導する上司と巡り合えた。そこで徹底的に守の重要性を叩き込まれた。

 中でも、守をやるには、まず学ぶべき相手を特定できないと空回りすることを身体で覚えさせてもらったことが大きい。学ぶべき相手というと、師匠のような存在を思い浮かべるが、それだけではない。自分の貢献すべき顧客としても位置付けることで、双方の利害が一致し、真剣に教えることと、真剣にそれにこたえることがうまくかみ合うようになる。

 そして、いずれ、師匠から仮免許なり、免許皆伝をもらって、自由演技を磨くことができた。これが、自分にとってのお客様志向を身につけた原点である。

 守破離は、芸事のようにロングスパンで取り組むものばかりではなく、日々のショートスパンの仕事にも役立つ。新しいプロジェクトや組織など、新たな仕事の単位が生じるごとに、かならず守破離が存在するのである。一見、同じような仕事内容であっても、顧客とみなす人が変われば、まず守から始める必要がある。

 それは、いくつになっても、どれほど経験を積んでも変わらない。しかし、案外見過ごしがちな原理原則の一つである。

 

MAKE TOMORROW!

 

 

断網

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 この季節は、夏休みはどうだったかと問われることが増える。決まって、七月の富士登山競走がそれだったと答えているが、質問のニュアンスは少々違うようだ。

 夏休みと言えば、仕事や学校など、普段繰り返される生活パターンとは違う、非日常を比較的長期間過ごすことだろう。旅行や帰省などの非日常もあれば、ひたすら趣味に没頭するということもあるだろう。もちろん、ただただ、寝るというのも非日常だ。

 非日常の効能は人それぞれだろう。PCやスマホの動作が不安定になり電源を入れなおすリブートのような、心身のリフレッシュを目的とする場合、個人的には最低でも一週間以上、仕事とのつながりを断つことが必要だ。

 もちろん、つながりを断っても、頭の中から仕事が抜けることは無い。若いころは、普段の忙殺の中で抑えられていた不安や恐怖が露出し、毎晩仕事の夢ばかり見続けるなんてこともあった。そんな仕事夢も一週間程度たつとあまり見なくなる。そこからようやく、心身が非日常モードに入りリブートできるようになる。電源を落とすまで一週間かかるということだ。

 しかし、そんなリブートができた休暇は十年単位で取れた記憶がない。理由はスマホである。日本はおろか、世界中どこへ行ってもスマホで利用できるツールで仕事とのつながりが切れることがなくなった。大変に便利ではあるが、かつてのようなリブート体験は同じ仕事を続けている以上、まったくなくなった。

 もちろん、そんなリブートを必要としないように、日常と非日常を一日や数日の単位で織り込み、なんとか環境適応してはいる。つもりである。むしろ、そんな休暇は無用の長物と考えてきた。のだが.......

 ようは、ネット断ちである。仕事とのつながりにとどまらず、ネット断ちを一週間以上してみるとどんな変化が起こるのだろう。そんな時間の過ごし方に興味が湧いてきた。ネトフリなどのオンデマンドもNG、もちろんAIも不可だ。人との関係は対面かせいぜい電話まで、情報は紙媒体。まぁ、Back to 1990程度だろうか。

 AIインパクトで、5年後10年後はおろか、1年先の見通しも難しい今こそ、不便さを体感することで、本当に必要なつながりやテクノロジーを見直すヒントがつかめるかもしれない。最新のテクノロジーに乗っかることも必要だが、飲み込まれないようにするための一つの試みである。

 さて、問題はいつやるか、だが。シルバーウィークは短すぎる。年末年始は何かと忙しい。などと言っていると、いつまでたってもネット断ちはできないだろう。断食同様、まずは短くとも断ネットを始めてみるとしよう。

 

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おばけトンネル

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 高輪ゲートウェイ近くに、通称おばけトンネルという、JRの山手線から新幹線まで、200メートル以上にわたり、たくさんの路線の下をくぐり抜ける通路がある。大規模な再開発前までは、田町から品川の間で、海側と旧東海道側をつなぐ唯一の道路として存在していた。

 写真は現在のもので、すでに人専用となり、普通に歩ける天井の高さになっているが、以前は私などでも、頭があたらないように少しかがんで気を付けながら歩かねばならないほど低かった。

 タクシーに乗って、田町方面から港南に行きたいというと、熟練の運転手さんは、おばけトンネル通りますね~、と天井に行灯をこすりそうになりながら、その狭い通路を攻めていた。旧東海道の高輪大木戸跡から入る、狭く暗いトンネルは、ちょっとした異空間だった。

 古くから、おばけトンネルと呼ばれていたが、現在では、周辺工事の案内に、その通り名のまま、おばけトンネルと記されていることに、思わず笑った。しかも、旧おばけトンネル時代と比べると、格段に明るく、天井も高く、人専用になり、しかも警備の方々が何人も配置されている。高級ホテル並みのサポートである。(笑)

 高輪再開発と言えば、工事で掘り起こされた日本初の鉄道路線跡の高輪築堤が、歴史的価値のあるものとして、一部保存されることになったが、このおばけトンネルはどうだろう。すでに、旧トンネルのほとんどが閉鎖されているので、いずれ廃止されるのだろう。

 人が使わなくなっても、構造的に遺構として残るかもしれない。100年後の人たちが、築堤の先の路線拡大に沿って、水路から連絡路となったこの遺構をどのように取り扱うのだろうか。そんなことを想像すると少し楽しくなる。

 

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従兄

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 身近な経営者の一人に従兄がいる。大手化学メーカーの経営者だ。昔から、寡黙でありながら、どこかじっくりと観察しているような、言葉は悪いかもしれないが、何を考えているのかわからないところがあった。それでいて、時々口から出てくる言葉は極めて明快に本質を突き刺す。そんな不思議な人であった。

 若い頃は研究職として海外にいたこともあり、経営とは無縁のキャリアを積むものと勝手に考えていた。そんな従兄に対して、父がかなり早い段階から、「あれは社長になるぞ」と言っていた。起業して、先に経営者としての道を歩み出していた私にとっては、まったくイメージがわかず軽く受け流していたが、いざ社長に就任した時は父の慧眼に驚いた。

 従兄は、本当は歴史や哲学に進みたかったらしい。しかし、伯父から、文系で飯が食えるのかと一喝されて理系に進んだ。それでも、機械工学や物理と異なり、組み合わせる要素によって、想定とは異なる結果が生じる化学という分野を選んだ。より哲学的であり、人間社会に近いからだと言う。

 そんな従兄が決断した経営判断が今、大きな成果を生み出している。中でも、自社の倍以上もある規模の会社に対する買収判断は、同業他社の経営陣からも高すぎると言われ注目を浴びていた。

 当時、本人に尋ねたところ、あっさりと、「あれは、化学会社の未来にとって、取るべきリスクであり、取れるリスクだ。」と淡々と言ってのけた。しかも、取るべきリスクという点においては、30歳の頃から考え抜いてきたことだと言う。ぐうの音も出なかった。さて、これがどのような未来につながるのだろうかと、信じつつも固唾を飲んで見守ってきたところ、ついに大きな飛躍として形になってきた。

 会社の未来の創り方は様々だ。自助努力でやれることを最大限やることが基本であるが、それだけでは不十分な場合も少なくない。しかし、新結合のような聞こえの良い戦略のもと行われるM&Aで成果を出すことは簡単ではない。

 長きにわたり、一途に会社の未来を考え抜き、その上で到来したチャンスを果敢に掴み取る。取るべきリスクの特定は一朝一夕にはいかず、しかも、取れるリスクへの備えも欠かせない。それを従兄ができたのは、どのような仕事に従事していようが、ずっと、頭は経営者だったからだろう。

 もちろん、ベンチャーとエスタブリッシュの経営はまったく同じものではない。しかし、会社の未来をつくる経営者としてのありかたに学ぶところは大きい。考え抜いた未来に向けて、備えを進め、時間はかかっても、大きな飛躍へとつながる経営判断をしっかりと積み上げていきたい。

 

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三尺玉

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 標準画角に入りきらない打ち上げ花火を観てきた。

 古河の花火大会名物、三尺玉である。一玉の製作に半年、直径約600メートル。広大な渡良瀬遊水地に隣接する古河ならではの大花火だ。

 夏の風物詩となっている日本の花火大会であるが、そもそもは江戸時代に暴れん坊将軍、徳川吉宗が、享保の大飢饉や疫病の鎮災を祈願した水神祭で打ち上げた花火を起源とする神事である。

 神事は、営利を目的としたものではない。人の幸せを願う行為である。その運営は義務ではなく、誰かの志と寄進によって成立するものだ。

 古河で育ったものにとって、夏の記憶と花火は切っても切れない。その時々、悩み事や希望を胸に抱きながら、夜空の大輪で心を洗ってきた。友人や身内との思い出もたくさんある。誰かの思いと寄進によって開催される神事の恩恵を受け続けていたということだ。

 経済合理性があらゆる領域に染み込み、直接的な利益と直結しないイベントの運営もなかなか難しくなっている時代だが、心の豊かさを育む神事は単なる経済合理性の延長線上で考えるものではない。経済合理性は、心の豊かさという非合理を支えるための技術である。決して軽んじてはならないが、それだけではつまらない。

 

 自分が受けてきた恩恵を次の世代にも繋いでいきたい。

 そんな思いが今年の三尺玉にタグ付けされた。

 

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神事

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 今年も、富士登山競走を走ってきた。(五合目コース15km/1480D+)

 五合目までを2時間20分以内に通過できず、山頂挑戦権を失ってから、もう三年目になる。わずか数年前まで走り通していた馬返しは遠く、中野茶屋から歩きとおした。

 そろそろ応援に回るか。そんな気持ちがよぎるほど、酷暑の中の登りロードがきつくなった。もちろん、それなりに準備が出来ていればその限りではないだろうが、今年は精神的にもそんな余裕はなかった。

 その様子は周囲の眼にも明らかだ。レース前に仲間たちから、今日はテンション低いですねとからかわれた。正直、これほどテンション低く臨んだことは初めてだ。

 ところが、三合目を過ぎたあたりから、急に気力が蘇ってきた。気温が下がり、エイドで十分な水分補給を終えたこともあるが、それだけではない。パワースポットなど信じない質だが、以前から、旧登山道の馬返し前のあたりや、三合目から四合目あたりは疲れたメンタルがなぜか復活する体験を繰り返している。他のレースではこんなことは無い。なにか、自然のチカラを感じる。

 あれほどローテンションで臨んだ今回だが、終えてみると、重い荷物を下ろしたような心持ちだ。また来年の参加に向け、頑張ろう。そんな気力が戻ってきた。これが、勝手に当社の「神事」としている理由である。

 マラソンでも、トレイルでも得られない、一年に一度の特別なレース、「この山には過酷に挑む価値がある」とはこのレースのキャッチコピーだが、私にとっては、日々を生かす気を養う上で、欠かせない存在になっている。

 来年も行くぜ、まってろよ!

 

MAKE TOMORROW!

最終講義

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 先週、一橋大学のMBAと商学部を対象とした「企業価値経営論」の最終講義を終えた。アバントグループの寄附講義として3年間のプログラムだった。一橋大学教授の中野さんにご指導いただきながら、当社の経営陣とともに行った。

 経営者のリスキリングにとって、他社の社外取締役経験は貴重な機会だったが、経営というものの思考の整理という点ではそれ以上だった。

 朝一番の授業ということも効いたのだろうか、学生とはいえ、企業価値経営オタクが集まっているような手ごたえがあった。社会人向けに話をするよりも遠慮せず企業価値や経営について、講義と対話を行った。

 講義コンテンツは毎年半分以上変更した。私のような実務家の場合、実際の経営現場の試行錯誤をありのまま伝えたほうが面白いだろうと考え、最新の失敗談やそこから学んでいることを積極的に織り込み、なかなか他ではできない話をした。

 学生とは、師弟関係ではなく、同じ人間として、より長く生きて来たものと、これから社会人として生きていくものという、人生の先輩後輩関係である。正解を示すことはできないが、生きたインスピレーションを置いていくことなら少しはできるかもしれない。そんなスタンスだった。

 しかし、実際には、自分のほうが、学生からインスピレーションをもらっていたように思える。これから社会をつくる人にとって、なにが大切かという視点を強く意識するようになった。新たな思考点である。

「人は教えることによって学ぶ」。古代ローマの哲学者セネカの言葉だ。この学びとは、自分の思考を深めることだけではなく、ものの見方の変容も言っているのだろう。学生との対話の機会は、自分の視野がどんどん狭くなっていることを自覚する機会にもなった。

 世界中の情報にアクセスできるようになった一方、ビジネス指向のアルゴリズムによって、人間の思考は標準化と偏りが進んでいる。標準化は多様性による創造性を棄損し、偏りは分断の亀裂を生んでいる。便利さの副作用である。

 そんな時代だからこそ、思考の健全なる自立を磨くために、自分の思考と行動の始点に多様性を持つことが欠かせない。そのためにも、ダイバーシティはもっともっと振り切ったほうがよさそうだ。

 正直、だんだん面倒になってきたからこそ、ランや筋トレ同様、楽に逃げないように意識的に行動すべきだろう。

 とはいえ、壊れるような負荷はNGである。このバランスが難しい。やれやれ。笑

 MAKE TOMORROW!