THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

ゴールデンサークル理論と自靖自献

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ゴールデンサークル理論をご存じだろうか。Simon Sinekの全米ベストセラー「WHYから始めよ!」のアレだ。

出典:https://www.ted.com/talks/simon_sinek_how_great_leaders_inspire_action

そんな、ゴールデンサークルであるが、アバントグループの活動コンセプトの概念図を眺めていて、同じ構造になっていることを発見した。

アバントグループの企業理念とミッション・ビジョン・バリュー概念図

 

現在アバントグループではBE GLOBAL2028という中期戦略を推進している。

中期計画は必要ないという考えもあるが、個人的には挑戦に値する明確な数値目標としてのWHATは必要だと考えている。ただし、その目標はなんらかの大義であるWHYをカタチにするためのものでなければならない。大義無き数値目標はその達成そのものが目的になり、ノルマ化して事故を起こす。一方、大義実現のための目標であれば、その達成のための試行錯誤であるHOWが創造的であり、楽しい活動になる。

経営戦略は極めて創造的であるべきという話をした際に使用した資料

 

大義などとえらそうに書いているが、ようは自分の良心に従い抜いたあり方である。

本家とは少々異なるかもしれないが、WHYとは、自分の良心に従うと自然とそうなるというもの、つまり変えようとしても変えられないものだ。日本語では「志」と表現するとしっくりくる。

そのWHYが立志できれば、その時々にとって最適な行動を生み出すための目標、WHATを定める。企業経営においては、企業価値も有力なWAHTの一つだ。具体的な行動であるHOWの創造性を最大化するために一度定めたら期間限定で固定する。

このWHYとWHATが正しく定まると、自由度が高く、すべての人が創造的に活動できる環境が整う。HOWが徹底的に自由かつ創造的になるほど、かかわる人がハッピーになる。

シンプルな話ではあるが、ホントウのWHYを見出し、有効なWHATを定めるのはかなり難しい。ひたすらに自靖自献に徹する必要がある。

これまで幾度となく触れてきた「自靖自献」という考え方を、米国流にかっこよくするとゴールデンサークル理論になる、ということなのだが、理論は理論、実践するにはかなりの泥臭い修行が必要だ。笑

経営専門職を育てる

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世の中には様々な職業がある。医師や弁護士のような資格によるものから、代議士のように選ばれてなるものもある。自分が新卒でコンサルティング会社に入った頃は、その時々に従事していた職務を名乗っていた。プログラマーです。といった塩梅である。

ただし、職業という点では明確に経営職人を志向していた。よって、すべての社会人経験を経営専門職としての修行機会のように捉えていた。いずれこの組織でえらくなってやる。というものではない。経営を生業にするための丁稚奉公のような感覚である。

幸い、縁と機会に恵まれ、起業というプロセスを通して経営専門職としてはこれ以上ない成長機会を得ることが出来た。あらゆる体験が今に生きている。

丁稚奉公期間を含めると30年以上を経て、ようやく、少し、経営がわかってきたように思えるようになった。はたから見れば一人前の経営者のように見えるかもしれないが、自己評価としては、やっと修行が終わり、いよいよこれからという感覚である。

それにしても、時間がかかりすぎである。こんなんでは、一人前の経営職人になるまえに、肝心の生き物としての寿命が尽きてしまう。とはいえ、まぁ、一つの職業を究めるとはそんなものなのだろう。

そんな経営職人の目で見ると、日本企業の経営力において、経営専門職という職業の認知不足と育成の欠如が大きな課題であるように思える。一般的なリーダーというものとは違い、会社を最高の作品として創り上げる職人だ。

相応の時間をかけ、道を究めるだけの意義がある仕事であり、ノウハウの蓄積とその継承が多大なインパクトをもたらす。自ら選び、なるものであり、管理職になったら経営専門職というものではない。

経営はトップだけで行うものでもない。理想を言えば組織全員が経営者マインドをもつ全員経営が望ましい。しかし、複雑かつ高度化する経営環境において、必要とする専門知識や行動様式は、やはり明確な自覚をもって取り組まねば身につかない。ゆえに、経営専門職という職業を明確にして組織に満遍なくその専門職がいるという状況にするほうが現実的だろう。

2014年の伊藤レポートにより、経営力の評価指標のひとつであるROEについて8%以上を目指すべきというガイドラインが示された。しかし、自分たちの経営力を知る上では、相対比較でみる必要がある。以下は2024年5月に経済産業省より公開されている資料(第1回持続的な企業価値向上に関する懇談会、資料3)からのデータであるが、自らの稼ぐ力を示すROEは改善傾向であっても、米国との差はまったく解消されていない。

様々な取り組みが行われているが、過去10年の実績で見ると、現在の延長線上に日本の経営力が復活する可能性は極めて低い。なぜなら、このギャップを超えることを目指す経営専門職の量・質ともに圧倒的に不足しているからだ。伊藤レポートでは8%と言っていたが、当社は20%以上を目指す。そんな経営専門職がどんどん増えて切磋琢磨することが望ましい。できる出来ない以前に、目指さなければ始まらない。

ずいぶんとえらそうなことを書いているが、そんな危機感を抱いている。ゆえに、まず、自社から経営専門職を育成する。そんな活動を始めた。かなり時間のかかる活動となるだろう。

自分たちができることから始める、一燈照隅行をしっかりやっていきたい。

年始の贅沢、「書初め」

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かれこれ、10年ほどになるだろうか、書初めが年初の習慣になっている。寺などで含蓄のある書に触れるにつれ、自分でも書いてみたくなり、名跡と呼ばれる手本を真似て書く「臨書」を少し嗜んだことがきっかけである。

字を上手に書くよりも、自分の行動を形作る思考を言葉にして、それを書にするという作業が心地よく気に入っている。昨年は「自靖自献」を書いた。現在の自分の日々の行動の始点だ。

完全な自己流なので、基礎が出来ていない。表装までしてもらったが、眺めるにつれ、見るに堪えられなくなり早々に引き取った。それから、折を見て書き直しているがなかなか納得のいくものが書けない。

そうこうしているうちに、今年の書初めがやってきた。独習の初心者にとって最初のハードルは気に入った字を集めること、「集字」である。好みの書家が書きたい文字の手本となるものを書いているとは限らない。書道字典から様々な書跡から探し集めるのだが、これが一苦労である。

さて、どうする?ということで、集字のアプリを発見した。本場、中国産である。これでかなり集字の手間は省けるようになった。しかし、同じ書家で書きたい一行書がなかなか構成できない。しかたなく、書家にこだわらず、好みのイメージに合うものを選び、書き下ろしてみた。

ん~、なんか違う。

半切りと呼ばれる34.5×136cmサイズに四文字を書くのだが、手本は比較的小さな文字がベースになっている。カタチはともかく筆勢が根本的に違う。一枚書く毎に、なにがおかしいのかを探る。そんな試行錯誤をしていると、一時間に4枚がせいぜいである。あっという間に4~5時間が過ぎる。

ここで、壁にぶつかる。できるだけ手本に忠実に書こうとしていても、一向に納得するカタチにならないのである。

あらためて、さて、どうする?である。集字ではなく、好みの書家の条幅(半切りサイズで書かれたもの)を参考にすることにした。迫力という点では、幕末の三舟のひとり山岡鉄舟が好きだ。昨年、谷中にある禅寺、全生庵を訪れた際に手に入れた図録を開いた。が、とても書けそうにない。一晩で数百枚を書き、生涯では百万ともいわれる達人の書はマネすることさえ困難である。

ここでも、あっという間に時間が過ぎる。「シカタガナイ」と言うことで元のカタチをベースとしつつ、オリジナルフォントで行くことにした。完全なフリーで書くとぐちゃぐちゃになるのだが、基本のカタチを維持しつつ、トメ・ハネに自由に気を入れてみると少しイメージに合って来た。

もちろん、技量があるわけではないので素人なりのものではあるのだが、自分の字になって来たな、という感覚である。うまい下手は別として、納得感がある。そんな工程を通してようやく一枚を仕上げた。時間を忘れ、試行錯誤に没頭できるこの時間は、贅沢だ。

今年の正月は、いつもより長めに、贅沢な時間を過ごした。

そうそう、肝心の一行書で書いた言葉は「縁尋機妙」、今年の年頭所感で触れる一言である。人との縁をはぐくみ、実り多き一年にしたい。

年の瀬にあたり2024

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今日は、皇居周りを走ってきた。新しい年に向け、一般参賀の準備が進んでいた。

先日、経営メンバーとの会話の中で、今年の反省は何か?という話題があった。パッと思いつかず、なぜだろうと振り返ると、今年は毎日、毎週、毎月、それぞれの節目でその時々の問題を確認し、解決のためのアクションに集中してきたからのようだ。

もちろん、一年を振り返れば反省すべき点はいろいろあるが、その時々に応じたアクションを決めたら、余計なことは考えない、悩まないという習慣をつくることで、様々な不安や雑念に振り回されていたこれまでとはかなり違った、スッキリした日々を過ごせるようになったと感じている。

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今年のテーマとして選んだ「自靖自献」という言葉が新たな習慣をつくりだした。自分の心が靖まることを掘り下げ、その行動に集中する。そんな意味で「自靖自献」を理解している。自らの五感から生じる、心が充実することや、逆に委縮する不安や恐れなどの理由を書き出し、行動によって解決できるものは具体的なアクションにつなげ、そうでないものは思考からいったん取り除くというものだ。

そんなことを続けるうちに、そもそも、行動に集中するための気力を養うには、気合を入れるような精神的アプローチではなく、全身を活かすための身体的アプローチのほうが有効であることに気づいた。「調身養気」である。調心ではない点が面白い。

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なんだ、そんな当たり前のことか、と言われればその通りなのだが、自分にとっては革新的である。気力を養うために、トレランなどで身体に負荷をかけすぎることも少なくない。ストレス発散のために、大酒を飲むことも度々だった。そのわりにはメンテナンスを含め、全身を活かすことは軽んじてきた。

気づいたといっても自力ではない。そんな自分の間違いを指摘してくれる人の声が、ようやく、少しだけ、素直に耳に入るようになってきた。人間として、かなりの成長である。笑

 

今年も、たくさんの人のおかげで今がある。真の自立とは、他者の偉大さを知ることでもあるのだろう。来年は、もっと人の話を聴ける人間になりたいものである。

ハイコンテクスト社会におけるローコンテクストコミュニケーションのススメ

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地元の古河を少し走った。中学までを過ごした街は、どこを走っても個人遺産である。(笑)古い城下町の名残は入り組んだ道にある。

そんな街並みのそこかしこに友達の家があった。建物や景色が変わっても、じんわりと記憶が蘇ってくるので面白い。

中学校の写生大会で定番だった渡良瀬遊水地の水門は今も全く変わらない。それにしても今日は風が強い。カプヌのCMではないが、強風オールバックだ。冬場の上州からっ風は有名だが、下総の古河もなかなかだ。

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話は変わるが、先日、日本コーポレート・ガバナンス・ネットワークの会員向けセミナーで話す機会をいただいた。自分なりの経営観をということで、「令和の実学」というテーマで一席を打った。普段から、会社を公器と考えて経営しているのだが、その背景や、そのために必要なリスキリング体験などを中心に話した。

話を終えてから、理事長の牛島信さんから一言、「公器とはなんぞや?」。禅問答のように受け止めて口をついて出た返答が、「サステナビリティなり」だった。

公器としての是非は、社会のサステナビリティへの貢献によって測定できるということが言いたかったのだが、少々飛躍しすぎていて、聴いている人からすればわかりにくい。なんでそんな答えをしたのか、あとあと、自問自答することになった。

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英語圏と日本語のコミュニケーションスタイルの違いを、ローコンテクストとハイコンテクストで表すことがある。言葉の定義がはっきりして行間を読まない会話と、あいまいで、行間を読む会話の違いである。日本語は具体性に欠ける。あれ、とか、それ、でかなりのことが伝わってしまう。そんな社会の中で生きている。

このハイコンテクストの文化は、言外にあるあらゆることについて同じ感性をもっているという前提に立つ。ゆえに、これだけ言えば、わかるだろう。ということが基本になり、それが高じると、あれだけ言ってもわからんとは、けしからん。そんなことになる。ダイバーシティという、人は全員(脳内も)違う。という前提に立つコミュニケーションスタイルとは真逆のものだ。

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英語圏の社外取締役が経営にかかわるようになったころから、ローコンテキストコミュニケーションに転換することを余儀なくされた。それは、相手の多様性、つまり自分とは違う考えを持っていることを個人単位で容認することであり、伝わらないことをストレスにするより、相手の違いを学ぶ価値のほうが大きいことに気づく機会になった。

コミュニケーションにおけるストレスは、大抵のところ、相手が自分をわかってくれないというところにある。しかし、そもそも人は自分とは違うという前提にたてば、相手を知ることへの興味と、自分を伝えることへの楽しさが生まれる。日本人がローコンテクストコミュニケーションを身に着けることは案外悪くないのである。

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と言っていながら、前段の牛島さんとの問答で、超ハイコンテクストで答えたのは、「公器」という言葉自体が超ハイコンテクストゆえということなのだろう。公器というものをもっとわかりやすくすること。それも日本文化を活かした世界に通用する経営を進めるうえで必要なローコンテクスト力の獲得なのだろう、そんなところで自問自答を終えることにした。

吾妻山登山競走と地方都市と価値創造

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昨日、吾妻山登山競走(2.17km,364d)を走ってきた。今年の走り納めである。10月の上越妙高トレラン以降は、ロードが中心になっていた。年内もう一本と探していたところ吾妻山登山競走を発見。初参加した。

場所は桐生市、こちらも初訪問である。

スタート前には、「エイエイオー」があった。烏帽子山登山競走も同様、富士登山競走で恒例となっている鬨の声が広がっているようだ。思わず笑みがこぼれる。

レース自体は、30分もかからずゴールだが、街や景色に色気があり、映画やアニメの舞台になりそうな雰囲気があった。

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地方都市を舞台にした映画といえば、香川県観音寺を舞台にした大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」が真っ先に思い浮かぶ。高校生のバンド活動を中心にした物語だが、見ると元気になる。初めてビデオ化されたころ(1990年代前半?)は何度も繰り返し見た。

地方都市と映像作品のコラボレーション効果は大きい。いわゆる聖地巡礼である。地元の古河の近くにある埼玉県久喜市の鷲宮神社が「らき☆すた」で突然大人気になったことを知ったときは驚いた。

ピーターリック(Peter Lik)という著名なオーストラリアの写真家がいる。世界中の最高の景色を切り取り、高品質の作品(ファインアート)に仕上げ、絵画のようにして販売し、長年にわたり人気を博している。その最新の作品「Japan's Sea of Lilies」は埼玉県の静寂の奥深くにある、火の海のようなヒガンバナの景色だと銘打っている。

ファインアートゆえに、撮影場所を明記しているわけではないが、こんな作品を見せられたら、一度見に行きたいと考える海外の人も増えるだろう。観光資産は富士山や京都ばかりではない、ということだ。

街や自然はこれまでも、そこにあった。そこに、ストーリーなどにより意味付けされたとたんに文化遺産に変わる。無形資産は、意味付けによってつくられるのである。

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今年も、企業経営においてPBR(株価を純資産で除したもの)が注目されたが、この指標は企業全体に一様に適応するものではない。ビジネスモデルによって適正水準がまったく異なるからだ。

しかし、意味付けにより、これまで存在していた資産価値が上がるという事実を見ると、あらゆるビジネスにおいてまだまだ伸びしろが存在している。なにしろ、アートの世界はそもそも現物としての価値などわずかなものである。

意味付けをすること、それが価値創造の第一歩である。

そんなことを考えながら、ゴールだった山頂からゆっくり降りてきた。今年の走り納めには丁度良いレースだった。

NYC VISIT 2024ホリデーシーズン 徒然になるままに

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12月4日、名物ロックフェラーセンターのクリスマスツリー点灯式があった。写真は、少しダウンタウン方向に下ったブライアントパークのツリー。小ぶりだが、こちらにも人が殺到していた。

サンクスギビングを経てホリデーシーズンに入ったこともあり、観光スポットはどこも人がごった返している。コロナ前を含め、特別なイベントでない限り、これほど人が賑わっているのは見たことが無い。

出張ベースで時々訪れる程度なので、表面的な感覚に過ぎないが、この観光客の多さを見るとリアルな経済には活気を感じる。物価についても、半年前と比較して少し落ち着いているようだ。卵や牛乳といった食材も、少し下がっている。年明けの政権交代を前に、凪の様相なのだろうか。

ブライアントパークの近くには、日本の書店がある。紀伊國屋書店だ。日本語の書籍や文房具などが置いてある。コロナ禍を経てもやっているかと覗いてみたら、こちらも大混雑だ。

はて?

二階につながるエスカレーターに人がどんどん吸い込まれている。その波に乗って上がってみると、MANGA MANGA MANGAである。日本人は全く見かけない。かご買いする客もいる。

NETFLIXなどで漫画を原作にもつ日本アニメがどんどんグローバル展開されている影響だろうか。以前とは全く違った客層で活況を呈していた。日本にやって来る外国人ツーリストとなんとなくかぶる。人種や文化といったいろんな垣根が溶けだしている。

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今回も、ベンチャー投資家、スタートアップの起業家、プロの経営者などと様々な話をした。企業家に対するリスペクトがある国柄だろうか、それなりに耳を傾けてくれる。とはいえ、やはり相手の役に立たない限り、ローカルネットワークの中には入っていけない。

米国でビジネスを立ち上げたいというこちらの意図はありつつも、まず相手にどのように役立つかである。ところは変われど、「先義後利」はビジネスの基本だ。

それにしても、企業価値の向上に役立つソフトウエアという領域においても米国には面白い会社がいくつもある。しかも、当社のビジネスコンセプトを説明する際にファイナンスで使われている一般的な公式に当てはめて説明すると、簡単に伝わる。日米のビジネスの見方の違いを痛感する。

当社の「企業価値の向上に役立つソフトウエア会社」という世界観を実現するために、こういったベンチャー企業とのコラボレーションは欠かせない。

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余談だが、NYCに来ている時はセントラルパークを走る。一周約10kmだ。いつも、なんとなくスピードが出ないコースだと感じていたが、累積標高をは測ってみると約250dもある。平均勾配2.5%だ。きついわけだ。気温は一年を通して、軽井沢とあまり変わらない。トレイルとまではいかないが、東京のランニングコースと比べても、かなり走りがいがあるコースである。

久しぶりに、ミュージカルも見た。MJ、マイケル・ジャクソンをモデルにしたものだ。よかった。