THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

食と情報、人間は五感から得た情報でできている?

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◇ 身体は食べたものでできている

以前、二ヶ月で一割体重を減らす方法というテーマで触れましたが、そのダイエット方法は一言で云うと「食の見直し」によるダイエットです。健康のための食というテーマに関心をもったのはこれが初めてでした。

以前はせいぜいカロリーを気にする程度で、加齢により基礎代謝が落ちて内臓脂肪を中心に太ってくると、食を改善するのではなく、運動により消費カロリーを増やすことでバランスをとっていました。

しかし、トレイルランを始めてから、従来の生活の延長線上では超えられない壁がいくつもあり、その克服方法を試行錯誤するうちに運動で負荷をかける以上に、リカバリーの重要性に気づかされ、その延長線上で食に関心が及ぶようになりました。

ようやく試行錯誤が始まったばかりなので自分なりの食に関する一家言はまだ持ち得ていないのですが、ただ「身体は食べたものでできている」という、至極当然な基本原則を普段から強く意識するようになりました。

 

◇ ミレニアル世代

ところで先日、経済同友会から送られてきたレポートを眺めていたところ、興味深いものがありました。

www.doyukai.or.jp

ミレニアル世代と呼ばれるおおよそ1980年から2000年に生まれた世代が社会の中心を為す時代にむけて、旧世代はその変化をどのように認識して対応すればよいのかということをまとめた報告書です。 

ほぉ、そんな世代論があるのかと調べてみると、私はジェネレーションX世代だそうです。日本では「新人類」。ふと、原宿がタケノコ族の聖地だった時代が蘇りましたが、そんな言葉もあったなという程度です。だいたい、そんな名前がつけられていた時代は、社会からどのように呼ばれようとそんなことはお構いなしでした。現在のM世代のみなさんも同様でしょう。

とはいえ、かつての新人類も、すでに旧人類です。

 

◇ ネイティブであること

ミレニアル世代の報告書に興味を覚えたのは、事業モデルのライフサイクルの考え方とリンクするものがあったからです。

私は、自分たちが属する事業環境の変化を捉える上で、ホストネイティブ、クラサバネイティブ、クラウドネイティブと勝手に命名して各世代の思考や消費行動、ビジネスモデルの違いなどをおおまかに眺めているのですが、ミレニアルの話は、まさにクラウドネイティブと呼んでいる世代のことでした。

私が社会人になった頃はちょうど、ホストコンピュータやオフコンと呼ばれたビジネス専用機に占有されていた企業の情報処理において、パーソナルコンピュータの利用が始まろうとしていた時代でした。

私たち新人類世代は、中学や高校生の頃にAppleIIを知り、学生時代からNECの88や98をはじめとしたIBMPC互換機になじんでいたので、社会に出た頃にはパソコンは特別な存在ではありませんでした。

そういう環境で育ってホストベースのシステム開発に携わると、価格性能比を中心に早期にダウンサイジングが進むだろうと言うことは考えるまでもなく感覚として理解し、クライアントサーバー型と呼ばれる、パーソナルコンピューターの延長線上でくみ上げるシステムが中心となっていく一連の波に自然体で乗っていくことができました。

一方で、クラサバネイティブの私たちから見れば、ホストネイティブと勝手に呼んでいる社会人になる前からパソコンに触れていない世代のパソコンビジネスのとらえ方を、感覚的に違うんだよなぁと当時感じていたことを記憶しています。

英語などの語学ではネイティブという言葉は一般的ですが、日本で社会人になるまで日本語だけで生活をしてきた人が、どれほど英語の勉強をしても、ネイティブにはなれないのと同じように、ものの考え方に影響をおよぼす思想や技術においてもネイティブ性があることを感じた原体験です。

 

◇ デジタルネイティブ

そのような経験から、個人と情報とのかかわり方ががらっと変わったインターネットに子供の頃から触れている世代はあきらかに自分がネイティブとなることができないと感覚的に理解しています。

もちろん、デジタル化の恩恵は受けていますし、活用もしていますが、デジタル情報として見る新聞の情報と、紙の新聞を通して得る情報は、文字情報としては同じはずなのですが、机に新聞を広げ、全体を俯瞰しながら記事を読むほうが、なぜか思考が活性化します。

本も同様です。出張などではキンドルもかなり便利なのですが、気に入ったものは紙の本も買ってしまいます。紙の上の活字から得るインスピレーションと、デジタル化した情報から得るインスピレーションは情報としては全く同じはずなのですが、なぜか違います。慣れの問題もあるかもしれませんが、不思議なものです。

 

◇ 情報とのかかわり方と世代論

世代論を見ていると、世代という分類が生じる背景には、情報メディアと個人の関係も影響しているように思います。 

私たちの世代は、テレビや雑誌の影響を強く受けました。情報はマスコミから一方的に与えられるものであり、個人から発信することは困難でした。

それゆえ、一方的に送られてきた映像やライフスタイルに対する感度が高く、パターンはいくつかありましたが、皆が同じようなスタイルを目指す傾向が強かったように思います。映画「私をスキーに連れてって」とその後のスキーブームで、関越渋滞50キロ当たり前状態などその一つです。一方で、個人情報の発信は、車を代表とするモノやファッションを通して物理的に自己主張していたように思います。

ミレニアル世代は、個人が情報発信の主役です。はじめからそのような情報とのつきあい方を習得している世代ということです。私にとって現在の情報環境は、情報への向き合い方が従来と変わっていないので、あまりにも多様な情報とどのようにかかわっていけばよいのか未だイメージできていません。

ネットでいろんな情報にアクセスしているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。しかも、本を読んだときの読後感のようなものが残らないわりに、なんとなくそこから得た情報に引きずられてしまうようなことも少なくありません。そんな時は、情報断食してしまいたくなります。

 

◇ 心は五感を通して得た情報からできている

ここでようやく文頭の話題に戻るのですが、そんな状況が食と身体の関係と同じように最近感じるようになりました。食べ過ぎや飲み過ぎで翌日つらい思いをしている状況や、腹が減っているからと、身体によいかどうかなど考えずにカロリーの高いものを食べ続けたりしてるうちに体調がおかしくなるような、そんな感覚です。

身体が食べたものからつくられているように、人間の心は五感を通して得た情報からできている ということです。

そう考えると、心の健康に役立つ情報とのかかわり方ということが重要なテーマになります。

人間には本来、Sense of wonderという、子供の好奇心のようなものが備わっています。食欲や睡眠欲と同じような本能的なものです。しかし、成長するにつれ、その感覚は次第に弱くなってしまいます。経験を通して情報を蓄積するにつれ、生きていく上で必ずしも必要ではなくなるからでしょう。

しかし、こころの健康とは、このSense of wonderを維持し続けることであるように感じています。情報は、視覚や聴覚からだけ得られるものではありません。食において、結局はバランスであることと同じように、情報とのかかわり方においても、五感を総動員して得る情報がよいのだろうかなどと思案しています。

世の中はデジタルネイティブの時代に移行してきます。旧世代がその時代を生きていくには、ネイティブではないことを自覚した上で、心の健康に役立つ情報とのかかわりを意識していくことが重要なのではないかと、そんなことを考えています。

 

 

有意味感、May the force be with you.

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10年ぶりにインフルエンザに罹患し寝込んでいるうちに辛夷(こぶし)が満開になっていました。風邪を併発してしまい、思ったより回復に時間がかかりましたが、ようやく全快です。東京の桜も来週には満開でしょうか。いよいよ春本番ですね。

この春という季節、当社は6月決算なので年度末ではありませんが、上場企業の約7割が3月決算であり、学校も原則4月始まりなので日本で生活する人にとってはもっとも多くの人の環境が変わる季節と言えるでしょう。

環境変化にはストレスがつきものですが、ストレスを産み出す変化は新年度のように人間が決めることばかりではありません。むしろ、そういった人間の作り出したサイクルを遙かに超えた変化がランダムに起きるのが現実です。

 

◇ ストレスと共存する力

ところで、「有意味感」という言葉をご存じでしょうか。意味はそのまま、状況やものごとから意味を見いだす感覚です。先日、筑波大学医学医療系教授の松崎一葉先生とお話する中で教えていただいたキーワードの一つです。

松崎先生は産業精神科医として職場におけるメンタルヘルスの健全性を高めるために様々な研究を実践中心に行っておられます。その中でも、労働環境としては究極の閉鎖環境にある宇宙飛行士のメンタルヘルスケアを通したご経験から、ストレスと共存できるメンタリティに有意味感が欠かせないと伺いました。

私たちは通常なにかにストレスを感じると、その原因とは別のことをしてバランスをとろうとします。スポーツをすることや、映画や料理、人と会うこと、新たな刺激を得ること、人それぞれ、さまざまな解消方法があるでしょう。

しかし、宇宙飛行士の労働環境は、簡単にどこかへ出かけたり、見知らぬ人とであったりといった気分転換はできません。そういった環境で健全なメンタルを維持するために有意味感が欠かせないということです。

 

◇ 宇宙飛行士は有意味感の塊

そういえば、有意味感の塊みたいな映画、今やっていますね。オデッセイ(原題:The Martian)です。やたら前向きで気持ちがよいので、出張中の機内でBGM代わりに二回見た上で、映画館へも見に行きました。

クリストファー・ノーラン監督のインターステラー(Interstellar)では太陽系圏外の惑星ひとりぼっちの役を演じたマット・デイモンが、今度は火星ひとりぼっちを演じています。いずれも有意味感は共通項です。

オデッセイでは生きて帰るためにジャガイモの栽培を行うことから始めるのですから、その前向きさがたまりません。劇中で使っている選曲も、デヴィット・ボウイのスターマンからABBAのウォータールー、グローリア・ゲイナーのI Will Surviveなど元気がでる曲ばかりです。

しかし、インターステラーではかなりネガティブなというか、他人の犠牲をいとわない暗い有意味感であったのに対し、オデッセイは正反対に極めて明るい有意味感です。

 まるでスターウォーズのフォースのように、有意味感にもダークサイドとライトサイドがあるのかもしれません。

 

◇ 事実と向き合う力

この有意味感ですが、私自身強く共感するものです。しかし、自分のこれまでを振り返ってみると、かなり苦労しながら体得してきたように思います。というのも、私の場合、生来というよりは、ストレスをその原因と向き合うことなく解消もしくは軽減できた試しがないという経験から必然的に有意味感を求めてきたように感じるからです。

事実を棚上げして一時的に忘れるような発散方法は、その後のリバウンドが激しかったので20代でやめました。その後はむしろ、事実と向き合う気力や体力を養うための環境を求めるようになり、試行錯誤しながら自分にあった方法を探してきました。

向き合うとは、状況を受け入れるということですが、受け入れることイコールあきらめるということではありません。あきらめた受け入れは、無意味感というか虚無感が増大して前に進む気力さえ起こりません。

向き合うというのは、事実を受け止めた上で、そこから意味を見いだし、その環境で最大限できることに集中する状況です。以前、社外取締役を務めていたアルプス技研の創業者、松井さんがよく仰る「Welcome Trouble」というメッセージも、トラブルを成長機会ととらえることであり、まさに有意味感の作り方の王道を示したものです。

 

◇ 環境を変えることでは有意味感は得られない

成長機会は、客観的には決して愉しいものではないように思います。トラブルばかりではありませんが、新しいことや自分の限界を超えた挑戦の渦中にあるときはとてつもなくしんどかった記憶ばかりです。

かつて味わった成長機会と同じことをもう一度やるかと問われれば、即座にNOです。しかし、新たな成長機会へチャレンジするかと問われれば、YESです。というのも、そこから得られる有意味感は私にとって生きることそのものであるように感じているからです。もちろん、心身の健康があっての前提ではあります。

では、どうやって有意味感を身につけてきたのかとふり返ると、社会人になる際に、まず与えられた環境から逃げないことだけを決めていたことが最初の一歩だったように思います。そう決めていたことで比較的どんな仕事でも自分なりの意義を見いだして愉しもうとしていました。

その上で次に意識してきたことが「環境は自分でつくる」ということでした。当時の仕事の師匠からの言葉です。与えられた環境に集中しているだけではいずれ限界が来ます。自分なりにこうしたいという思いが出てくるからです。そのとき、環境を別のところに変えるか、今いるところで環境をつくるかという選択肢があった場合、後者を選んできました。

もちろん、環境をつくるといっても、様々な制約条件の中です。ただ、有意味感は環境を変えることでは得られません。その場に踏みとどまり、その状況を乗り越えていく、よくしていく、愉しくしていくということを通して有意味感を覚えることができたのだと思います。

 

◇ 内なる環境は自分でつくるもの

私たちは今、社会の変化がますます激しくなる環境にいます。このような環境においてよりよく生きるには有意味感という力を磨くことがますます重要になるでしょう。

この有意味感とは、つまるところ、内なる環境を自分でつくりあげる創造力です。外的環境に対する影響力は限定的ですが、内的な環境、ようは気の持ちようは100%自分でつくっているのだから、それをうまく活かそうというものです。

しかし、内的に意味を見いだす力は、客観的に事実を受け止めた上での前向きな活動であればライトサイドのフォースになりますが、事実に蓋をしてめてしまうととんでもないことになります。ダークサイドです。

ライトサイドでいくか、ダークサイドでいくかも個人の価値観ではありますが、私はヨーダを目指してライトサイドのフォースを修行して参ります。

May the force be with you!

東京マラソン2016、二つのパーソナルベスト

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◇ 東京マラソン

本日、東京マラソンに参加してきました。ランナーの集まりがあると、「私は縦のランです」といって横のランであるマラソンや100キロマラソンにはあまり関心がないようなことを言っています。

にもかかわらず今年は東京マラソンに参加しました。一昨年以来二回目の参加です。きっかけは昨年不参加であったところ親から「今年は出ないの?」と訪ねられたことでした。なんとなく、そういったことも親孝行なのかなと、今年は出ることにしました。

マラソンも、ある一定以上のタイムを目指すのであればそれなりの練習が必須です。私の場合、サブ4であれば月間少なくとも120キロ、余裕をもってということであれば160キロ程度が目安です。

ところが昨年12月5日のトレランで自称オフ入りしていたので、1月の走行距離は128キロ、2月は海外出張で体力的に疲労困憊したこともあり、77キロ。10月の214キロから比べると健康管理モードです。そんな準備状況での参加です。

 

◇ パーソナルベストしかしゴール直後に救護所へ

結果は、3時間50分(ネット)、パーソナルベストです。これまでのベストは2013年の3月に参加した第一回古河はなももマラソンの3時間55分(ネット)でしたので三年ぶりのPB(パーソナルベスト)更新です。

そういった結果とは真逆に、内容はこれまでのレースの中で最もきついものでした。35キロあたりから、どうも時々朦朧とするようになり、ペースは落ち始め水分を多くとってもその症状は悪化するばかりです。

ふくらはぎ、ヒラメ筋の起点が時々痙攣を起こし始めました。残り3キロを切ったあたりからは気力だけでなんとかペースを維持していましたが、ゴール直前でさらに追い込み、ゴール直後はしばらく座り込んでしまいました。

大会医療スタッフの方の判断とサポートにより大事を取って車いすに乗せてもらい、救護所のベットまで搬送していただきました。塩分不足だったようです。塩飴をいただき、水分をとり30分程度寝ていると回復しました。エントリー3万7千人という最大級の大会にもかかわらず、安全第一の大会スタッフの方々の運営と手厚いサポートは本当に素晴らしいものでした。

 

◇ 仲間と走ることの力、もう一つのパーソナルベスト

そんな状況にもかかわらず、走り切れた最大の理由はアバントの中山さんに併走してもらったことです。彼はマラソンで言えばサブ3.5以上の走力を持っていますが、東京マラソンはお祭りだからとサブ4レベルの私にペースを合わせて最後まで走ってくれました。

これが思いの外愉しかった。それほど会話をするわけではないのですが黙々と一人だけで走るのとは違う愉しさがあることに気がつきました。25キロくらいまでは愉しさだけだったのですが、その後一転します。私の体調が変調し始めてからです。

ふらふらし始めてペースが上がらなくなったときは、おいていってもらうことも考えたのですが、であれば最初からそれぞれのペースで走ればよかったということになるので、ここは最後までつきあってもらおうと覚悟を決めたことで歩くというオプションを無くしました。

しかも、グロスでサブ4のペースメーカー集団の中にいたので、さすがにこれを二人で割るわけにはいかんと必死です。心拍数ログを見ると、ゴール時点では193を記録していました。これまでどれほど追い込んでも185が計測上の最大心拍だったので、自分では出せないパフォーマンスです。本当に人の力は偉大です。とはいえ、どうりできつかったわけです。少々追い込みすぎました。

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◇ インターバルトレーニングによる精神的なキツさへの慣れ

二つ目が、精神的なキツさへの慣れです。インターバルトレーニングは心肺機能の向上に効果があります。長距離走ることができなくとも、これだけやっておけば同じスピードで走っている時の心拍数が改善(低くなる)されます。この改善は最低心拍数が下がることで普段の生活でも実感できます。私の場合、安静時50~55程度を目安としています。

そこにペース走という最大心拍数の80%~90%程度で走ることによって乳酸閾値という有酸素運動の心拍数限界値、つまり酸素を使って脂肪をエネルギーに変えることができる限界の心拍数を高めることができます。これはきちんと計測したことがないので体感的にはおそらく160~170程度です。それ以上になるととたんに息が上がります。しかし、一般と比較すると少々高めなのでちょっと懐疑的です。そこで、マラソンと比べるとリスクの高いトレランではもう少し余裕をもって150程度を平均値とすることを目安にしています。

今回は25キロあたりから170を超えるようになったようです。ちょうどファンランじゃなくなってきたなと感じ始めたあたりです。ここから急にきつくなりはじめました。残り3キロでは180を超え続け残1キロで190を超えています。

インターバルの時でも180を超えることはめったにありませんが、体感的キツさについてはそこで経験しているので恐怖感はなく、耐えることができました。キツさへの抵抗力は経験によって高めることができるようです。

 

◇ 体幹を強化し、股関節を使って走れるようになったこと

三つ目は走るときに使うべき筋肉を使えるようにしたことです。恐怖感がなくとも身体が動かなければどうにもなりません。身体面の成果という面では昨年より取り組んできた体幹の強化と股関節の稼働域の拡大を背景とするハムストリングスと大臀筋という大きな筋肉をつかって走るフォームの獲得です。

以前はまるで股関節が動きませんでした。その結果、大きな筋肉を有効に活用できず、足首やふくらはぎに過度な負担がかかることで大きなダメージを受けていました。そもそもそれほど大きな筋肉ではないのでどれほど鍛えても改善効果は限定的です。

そこで、大きな筋肉を使えるようにトレーナーさんと試行錯誤をしてきました。なかでも一番難しかったのは体幹を鍛えることでした。学生時代にきちんと運動をしたことがなかったので、そもそも経験的にそういった感覚がありません。

なかでもインナーマッスルの鍛え方がなかなかわかりませんでした。しかし、インターマッスルを鍛えねばいくら腹筋を鍛えても身体の幹、つまり体幹がぐらぐらしたままということを知り関心をもってインナーマッスルを感じることができるような動かし方をトレーナーさんと会話しながら少しずつ探りました。

思っていたよりもかなり小さな負荷で初めてインナーマッスルが鍛えられることが感覚的にわかるようになったのもつい最近のことです。しかし、そういったことの積み重ねでようやく大きな筋肉を使う走り方ができるようになってきたので、今回も最後の踏ん張りの時に、インナーを意識し、かなり厳しい状況ではありましたが、なんとか残った筋力を動員することができました。

 

◇ マラソンをなめていた

走り切れた理由とは別に、そもそもなぜそれほどきついことになったのかですが、マラソンをなめていました。トレランによる長距離ランのインフレ状態で感覚が麻痺していて、フルであれば水分だけの補給で走ってみようと考えていました。

走り始めて15キロを過ぎたあたりからおなかがすいてきました。トレランの場合は、脂肪燃焼に必要な糖分を補給するために炭水化物を入れるのですがそういった補給を怠りながら走りました。

しかも、お守り代わりと携帯していったジェル系の糖質と塩サプリ、前者とはもかく、トレランでは塩サプリはしっかりとります。とにかく塩が不足してくると意識がもうろうとするからです。そうであるにもかかわらず、今回はゴールまで一度も口に入れませんでした。

トレランで学習した補給手法をまったく活かさずに走っていました。もちろん、最大の要因は練習不足であることは間違いないのですが、身体を走りながら回復させていくことができるような補給方法を獲得することは私にとって新たなフロンティアです。

マラソン直後あれほどきつかったにもかかわらず、食事をとりストレッチをしていると案外回復してきました。脚の筋肉もトレランと比較してもそれほど硬直していません。となると、筋力の問題よりは、オーバーペースによる乳酸閾値越えが問題ということになりますが、補給によって少しは緩和できるのではないかと考えています。

 

いずれにせよ、パーソナルベストは素直にうれしいものです。リードしてくれた中山さんや大会スタッフ、応援いただいた方のおかげです。それがなければ今回の結果はありません。とはいえ、最後は少々追い込みすぎました。経験を活かし、もっと愉しく走れるようになることを目指します。

夢の力、人の力

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五十にして天命を知る。「知命」となりました。

 

現在の心境について、知命における初心として、年初にディーバ社のメルマガで書いたことを再掲させていただきます。

 

(再掲始まり)

いきなり個人的なことから始まりますが、今年で50歳になります。

この一年、ひとつの節目を前にしてこれからの人生をどう生きるか思案してきました。

環境のみならず生き物としての自分自身の変化を感じながら、漠然とこれまでの延長線上ではいかんなぁという問題意識が強くなってきたからです。

 

振り返ってみると、これまでの人生は自分のことだけで精一杯だったように思います。社会に出て、起業の機会を得、その機会を活かすべく全力を注いできました。毎年年賀状には、余裕が大切というようなことや、身心の健康第一といったことを書いてきたのも、常に身心ともに一杯いっぱいの状況にあったからです。それでも、なんとか自分自身を克己させ前進してこられたのは「夢」と「人」に支えられてきたからです。

 

自分ひとりの力では単なる空想に終わる夢を、人と出会い、人と協働し、そして人と切磋琢磨することによって少しずつその実現に向けて前進することの積み重ねが、自分の力不足に対する絶望や、常にプレッシャーと戦っている状況から逃げ出したくなる衝動に負けずに走り続ける原動力になっています。

 

毎朝襲ってくる漠然とした不安感やプレッシャーに対して、自分を克己させる力は、はじめは夢の力でした。「俺はこれがしたい!」という想いを強くもつことを通してそれらをはねのけてきました。しかし、この力は私にとっては決して万能ではありませんでした。自分がやりたいことは自分を満足させるはずなのに、時として周囲を振り回すこともあり、そういった人に対する自責の念との葛藤がかえって重荷となったからです。

 

そんなことでは、夢は実現できないよ。そうかもしれません。しかし、葛藤が強くなるにつれ、夢の追究は自分を幸せにするのだろうかと疑問を覚えるようになりました。40歳代の後半はこの問いに対する答えを探し続けました。そういった問題意識もあり、この5年間はそれまでとは異なる幅広い人との出会いがありました。そして、人のために真剣に生きている方々からの薫陶を受けることを通して、五十路を前にしてようやく自分の夢をまわりの人の役に立つようにすることができれば、それは自分の至福となることが腹落ちしました。

 

「自他一如」というものです。自分と他者の心理的な垣根をなくしていくことの大切さを知ってからのこの数年は自分とかかわる人たちへの感謝からくる想いが走り続ける原動力になりました。これまで夢だけでは不安定であった生き方が、人と積極的にかかわることを通して二つのエンジンが推進力を生み出すように今までと違った安定感を生み出すようになりつつあります。

 

長距離を走るときのように、走るという行為自体は決して楽なことではないのですが、明らかに精神的な愉しさを得られている状態、生き方のランナーズハイのようなものでしょうか。

 

夢の力、人の力、その両方がしっかり推進力となるようにしてこれからの人生をしっかり活かしていきたい、そう考えております。

(再掲終わり)

 

半世紀という節目における初心新たに、人の力を信じて行動してまいります。

 

二ヶ月で、体重を一割減らす方法

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◇ 一日で体重が激減 

ロンドン出張から帰国した当日から翌日にかけて、一晩で体重が2キロ弱減りました。昨年8月から測定している体組成計で、一日でこれほどのギャップが生じたのはトレイルレースのハセツネ以来です。フルマラソン後でもここまで差はでません。

専門家ではないので本当のところはわかりませんが、原因は水分補給のようです。身体がしっかりと水分を吸収できるように補給できなかったので一時的に脱水気味の状況にあったのだと思います。

移動中の機内は乾燥しているので水分はしっかりとるようにしています。また、帰国後も体調を整えるために15キロ弱をゆっくりに走ったので、当然そこでも水分補給を行っています。いずれも、通常より水分を消費する活動を伴う水分補給ですが、昨年8月以降も海外出張は幾度かあり、同様に走ることもしていたので今回は特に水分吸収力の機能にが低下したということでしょう。

 

◇ ハイドレーションは意外に難しい

ところで、トレランを始めてからというもの、この水分補給にはかなり苦労してきました。登山をしている頃から、やたらと水分消費(摂取)する傾向がありましたが、トレラン中ものどが渇くことへの恐怖感がつよく、必要以上に水分補給するのですが、そうであるにもかかわらず、なぜか足がつるなどの典型的な脱水症状を頻発していました。

中には、炎天下のレースにもかかわらず、前日にもさんざん汗をかいてかつビールをがぶ飲みしていたという原因がわかりやすいものもありましたが、そうでなくとも水を飲めどものどの渇きは癒えず、消費量ばかり増加するというものでした。

ようは、身体の水分吸収力を超えた水分消費と、過剰摂取です。これが行き過ぎると水を飲むことを身体が受け付けなくなってきます。そんな状況に陥るとリタイヤです。

その試行錯誤の結果行き着いたのは、①体重(重量)を減らすこと、②走る際には普段から脱水気味で走ることになれること、③補給に際しては電解質(塩)を欠かさないこと。の三つです。②は、補給の方法で絶対量は思い込んでいたよりも圧倒的に少なくとも走りきれることがわかりました、③はレース中さんざん水を補給しても朦朧として力がわいてこない時に塩を人なめしたときに急に意識がはっきりする経験から、水同様に重視するようになりました。もちろん取り過ぎは厳禁です。

 

◇ より軽く、より早く、より健康に

中でも①が一番重要です。また、体重を減らすことは今のところ体調面においてはマイナスは一切ありません。走力向上だけでなく、成人病リスクを減らすという世の当たり前の成果もありました。

基礎的な走力の向上にはⅰ心肺機能を高めるインターバルトレーニング、ⅱ疲れにくい体質にするために乳酸閾値を高めるためのペース走、ⅲミトコンドリアの増大や毛細血管の密度向上を促すLSD(Long Slow Distance)の組み合わせで行うことが一般的ですが、歳を重ねると改善はわずかになり、維持も困難になります。

ちなみに私の場合はLSDはあまり効果を実感できないのでインターバルとトレイルが中心ですが、あまり時間がとれないことが続くとインターバルのみになります。1キロ×5本が基本ですが、正直かなりしんどいです。さほど早くもないのですが必死になって走るおっさんの姿はだれにも見せられるものではありません。できれば、自然にインターバル効果も得られるトレイルだけにしたいところです。

話を戻しますが、体重を減らすことができればエンジン性能は変わらなくともパワーウェイトレシオ(重さあたりのエンジン出力)を改善できます。面白いほどパフォーマンスが改善します。人間は加齢に伴う代謝が減り、体重増加する傾向がありますが、逆に適正体重と言われている範囲までのギャップがあるとするなら、それは走力向上の伸びしろとなります。

そう考えると、走る人にとって現在体重に余裕ある人はそれだけの伸びしろがあるということになり、減量はきついインターバルトレーニング以上の成果を得られる手段となります。実際に、3000メートルの走力が、70キロ以上あった一昨年12分20秒だったものが、63キロ程度となった昨年11月には11分50秒になりました。

特段のインターバルトレーニングなどはしていなかったので、単純の体重減の効果でしょう。走力以外の変化としては、30歳代から標準値(51~150mg/dl)よりも高く、つねに200以上あった中性脂肪が87まで低下しているという変化もありました。こちらは遺伝的問題とまったく期待していなかったので驚きました。

 

◇ 二ヶ月で一割減量するには

私は、7月末から9月末にかけて約一割体重を落としました。きっかけは富士登山競走の結果があまりにも惨憺たるものであったからですが、これまでの延長線上に改善はなしと①を実行することにしました。その方法は一点のみ、「食事」の見直しでした。

体重は、インプットカロリーとアウトプットカロリーのバランスです。アウトプットである運動量を増やすことはこれまでもやってきましたが、減量への効果はほとんどありませんでした。活動量を増やした分だけインプット、つまり食べてしまうんですね。

それでも、体重が増えないからよいだろうと放置していました。のこるはインプットをコントロールするしかないわけです。食の全面見直しです。

 

◇ まず、炭水化物の見直し

ここで重要なのは、現在のライフスタイルを変えずにできる食の転換です。私はワインをよく飲むので、こちらは一切手をつけない前提です。また、運動は適度にしているので、走力にマイナスとなるような筋肉は減らさないこと。一方で、長距離走れるスタミナも確保すること。そして空腹で精神的にいらいらしないなど、仕事のマイナスとならないことです。

こういった条件からマイナスされていったのが、炭水化物、つまり糖類の削減でした。まず、白米をそれまでの半分以下、パンは原則NG、仕事の合間によく食べていたチョコレートもNG、砂糖の入った飲み物もNGです。飲み物はジュース類も基本的にNGです。白米など従来の主食を減らすかわりに、可能な場合は芋類、特にサツマイモをとるようにしました。血糖値の急激な上昇、下降を緩めるためです。こういったことを意識して続けていると身体が次第に糖類に依存しなくなります。

トレラン中にある程度長い距離を走り続けていると、途中のエイドステーションでチョコレートや果物を補給しても、意識が朦朧とする低血糖状態になることがたびたびありましたが、おそらく急に血糖値を上げたその後の反動で起きていたのだと思います。

炭水化物や糖類の摂り方を見直してから、長距離を走っていてもこのようなことは起きなくなりました。体質がグリコーゲン依存の燃焼モードから、脂肪燃焼モードへ変化したようです。一方、脂肪燃焼モードでも、その脂肪を燃やすためには糖分が必要です。

この場合の糖分補給は急激に血糖値を上げるものではなく、時間をかけて分解されるもののほうがよいのですが、どのようなものがよいのかは人によって異なるようです。私は試行錯誤を繰り返した結果、赤飯の塩おにぎりが一番合っているようです。といっても必要なのは、ハセツネのように長時間を走り続けるような場合です。

血糖値が比較的安定する食生活を行い、脂肪燃焼型の体質に転換した上で、有酸素運動を継続する、これによって二ヶ月で一割の減量は可能でしょう。逆を言えば、甘いものを食べ続けていてする有酸素運動の効果は限定的ということです。

 

◇ タンパク質と脂肪+アルファはライフスタイルに合わせる

一方で、炭水化物を減らすことで得にくくなった満腹感は野菜と肉でとるようにしました。脂肪については以前よりも気にせず食べました。一方で、タンパク質は肉だけでなく、魚を半分以上とするようにしました。特定の食材に偏らないことが重要という趣旨です。食物連鎖の観点からは、おそらく飼育された動物よりも自然の魚のほうがよりバランスよく捕食しているので、食物として見たときのバランスがよりよいものであるからです。

小腹が空くという時には、チョコではなくナッツ類もしくは、フルーツにしました。フルーツの摂取量は圧倒的に増えました。量にもよりますが、チョコや洋菓子を仕事の合間につまんでいたことと比較すると、果糖は全く問題ないようです。

炭水化物以外は、運動量を含めたライフスタイルにあったものを見つけ出す必要があります。簡単に満腹感を得られる炭水化物や、血糖値を上げる糖質、洋菓子などは普段の生活においては食の中心的な役割を担っています。そこに制限を入れる以上、ほかで満足度を高める必要があります。

通常メインディッシュと言われているものも、炭水化物とデザートがないと食後に物足りなさを感じます。それをいかに満足させるか、そういったところが工夫のしどころです。

私は、ここをワインにしています。

なんだ、それじゃデザートと同じじゃないか?そう思われるかもしれませんが、ようはバランスですので、自分にとってこれははずせないというものがあれば、それは残した上でほかでコントロールするほうがよいでしょう。

白米やパンもゼロにしなければならないわけではありません。どうしてもデザートが欠かせないなら、その素材に注意して血糖値が急上昇しにくいものを選べばよいだけです。

 

◇ 自分に合った方法を見つける楽しみ

今回は、ダイエットについて書きましたが、私にとってはそのプロセスそのものが愉しいものです。なぜやせるのか、その結果どのような変化がおきるのか、食材との関係、様々な人の取り組みを試すことなど、好奇心を満たすものが満載です。

ダイエットの目的にもよるかもしれませんが、そのプロセスを愉しめるようになれば結果は自ずとついてきます。その第一歩が自分の身体との対話かもしれません。サプリメントや健康器具は補助的なものです。普段の生活を見直し、食と運動と睡眠、仕事、そういった日常の中で、小さなことの積み重ねで起きる変化の愉しさに気づければ、自分がこれまで思い込んでいた通説や常識をとらわれることなく、明日への努力を愉しみながら続けていくことができるようになります。

 

随所に楽あり、なかなかできませんが、大切にしたいスタンスです。

 

 

 

 

 

 

 

技術を軽視しないこと、真の進歩を目指すため

 

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技術の軽視は、時に壊滅的な事態を招きます。

 

もちろん、競争環境においてですから、一般的な生活を直接的に破壊することはありません。しかし、企業にとっては死活問題の一つです。

 

このテーマについては、2001年にNHKで放映された「その時歴史が動いた:戦艦大和沈没 大艦巨砲主義の悲劇」が印象的です。その最後に松平定知さんのナレーションで読み上げられる「吉田満著、戦艦大和の最後」の一節は、当時ビデオに撮って繰り返し見ていました。とても強く心にのこっているので、そのまま引用します。

 

「進歩の無いものは決して勝たない

負けて目覚めることが最上の道だ

日本は進歩ということを軽んじすぎた

私的な潔癖や徳義にこだわって

真の進歩を忘れていた

敗れて目覚める

それ以外にどうして日本が救われるのか

今目覚めずしていつ救われるのか

俺たちはその先導になるのだ

日本の新生にさきがけて散る

まさに本望じゃないか」

 

今、改めて見てみても、色あせるどころか一層真摯に受け止めるべき先達からのメッセージです。

 

欧米列強の帝国主義への恐怖から富国強兵へと国をひらき、日露戦争で辛勝するまでになったにもかかわらず、真の進歩を忘れ壊滅的な敗戦を迎える。そして、その敗戦から学んだ真の進歩の大切さを活かし、技術立国と自称するまでにいたり、そして現在また世界の進歩から取り残されている。そんな危機感を持ち続けています。

 

しかし、今を生きる当事者にとって、進歩から取り残されていることに気づくのはなかなか難しい。頭ではわかっているようでも、大きな実害が無い限り当事者意識をもって行動することは難しい。だからこそ、世界中のリアリティを直接肌で感じたことを忘れずに行動すること。

 

海外に行くと必ず強く感じることです。

 

進歩とは技術のみの話ではありませんが、進歩において技術が与える影響は軽視できません。経営における財務会計の役割も技術による進歩を軽視すると会社の競争力を著しく損なうことになる時代がすでに来ているのは間違いありません。

 

さて、真の進歩をめざし、どうやって技術を活かすか。そうやって考え始めるとまったく新たな姿が見えてきます。この領域もこれからますます面白くなりそうです。

 

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PS:やたら空を撮りたくなる街、Londonです。

 

 

 

 

 

 

GO GLOBAL 人と会社を元気にする目標

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「GO GLOBAL」、いまだに海外企業への販売実績を持たないアバントグループですが、掲げ続けているスローガンです。創業以前から、「どんなに狭い領域でもいい。その特化した領域でデファクトスタンダードになるものをつくる。」そんなことを言い続けてきました。

 

先日、アバントグループメンバーの、連結会計システムを中心事業としているディーバメンバーの集まりがありました。そこでも「経営が変わる情報をつくる」連結会計ソリューションの未来について、そしてGO GLOBALへの取り組みを話しました。

 

そのとき、メンバーのひとりから質問がありました。なぜGO GLOBALなのか?

 「Because It's there!」(そこに山があるから)?、いえいえそうではありません。

 

人が健康を維持する上で、漠然と健康という目標に対して食事や運動をするよりも、なにか熱中できる目標、たとえばマラソンのレースで完走するといった目標を持って日々の生活を送る方が、楽にかつ愉しく健康を維持することができるように、会社が健全に発展していくためにも、そんな目標があった方がよいからです。

 

事業の規模や利益を追うことも一つの目標にはなりますが、人が普段の生活でただ体脂肪や体重を絞ることと同様、モチベーションも達成感も限定的です。しかし、オリンピック選手になると決めた上での努力のように、世界に通用する商品をつくり、それを世界中のお客様に知ってもらい、役に立つことができるようになると決めれば、そのための努力はいとわずに取り組むことができます。

 

しかも、事業はチームプレイです。まずオリンピックの出場権を手に入れ、そして優勝を目指すというプロセスはかかわった人全員が自分事として活きた経験となるでしょう。そもそも、組織はそこに集まる人のためにあるものです。だからこそ、組織に集う人が元気に取り組む目標は欠かせません。それゆえ、自分自身が熱狂でき、かつメンバーにとっても取り組む意義のある目標となると信じるからこそ、GO GLOBALという目標を掲げています。

 

もちろん、スローガンだけで終わるわけにはいきません。そのチャレンジを山にたとえるなら、確実に頂上に登り、無事下山する。そして、次の登山隊につなげる。そういうスタンスでかならずGO GLOBALをメンバーとともに実現するように行動しています。

 

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