五十にして天命を知る。「知命」となりました。
現在の心境について、知命における初心として、年初にディーバ社のメルマガで書いたことを再掲させていただきます。
(再掲始まり)
いきなり個人的なことから始まりますが、今年で50歳になります。
この一年、ひとつの節目を前にしてこれからの人生をどう生きるか思案してきました。
環境のみならず生き物としての自分自身の変化を感じながら、漠然とこれまでの延長線上ではいかんなぁという問題意識が強くなってきたからです。
振り返ってみると、これまでの人生は自分のことだけで精一杯だったように思います。社会に出て、起業の機会を得、その機会を活かすべく全力を注いできました。毎年年賀状には、余裕が大切というようなことや、身心の健康第一といったことを書いてきたのも、常に身心ともに一杯いっぱいの状況にあったからです。それでも、なんとか自分自身を克己させ前進してこられたのは「夢」と「人」に支えられてきたからです。
自分ひとりの力では単なる空想に終わる夢を、人と出会い、人と協働し、そして人と切磋琢磨することによって少しずつその実現に向けて前進することの積み重ねが、自分の力不足に対する絶望や、常にプレッシャーと戦っている状況から逃げ出したくなる衝動に負けずに走り続ける原動力になっています。
毎朝襲ってくる漠然とした不安感やプレッシャーに対して、自分を克己させる力は、はじめは夢の力でした。「俺はこれがしたい!」という想いを強くもつことを通してそれらをはねのけてきました。しかし、この力は私にとっては決して万能ではありませんでした。自分がやりたいことは自分を満足させるはずなのに、時として周囲を振り回すこともあり、そういった人に対する自責の念との葛藤がかえって重荷となったからです。
そんなことでは、夢は実現できないよ。そうかもしれません。しかし、葛藤が強くなるにつれ、夢の追究は自分を幸せにするのだろうかと疑問を覚えるようになりました。40歳代の後半はこの問いに対する答えを探し続けました。そういった問題意識もあり、この5年間はそれまでとは異なる幅広い人との出会いがありました。そして、人のために真剣に生きている方々からの薫陶を受けることを通して、五十路を前にしてようやく自分の夢をまわりの人の役に立つようにすることができれば、それは自分の至福となることが腹落ちしました。
「自他一如」というものです。自分と他者の心理的な垣根をなくしていくことの大切さを知ってからのこの数年は自分とかかわる人たちへの感謝からくる想いが走り続ける原動力になりました。これまで夢だけでは不安定であった生き方が、人と積極的にかかわることを通して二つのエンジンが推進力を生み出すように今までと違った安定感を生み出すようになりつつあります。
長距離を走るときのように、走るという行為自体は決して楽なことではないのですが、明らかに精神的な愉しさを得られている状態、生き方のランナーズハイのようなものでしょうか。
夢の力、人の力、その両方がしっかり推進力となるようにしてこれからの人生をしっかり活かしていきたい、そう考えております。
(再掲終わり)
半世紀という節目における初心新たに、人の力を信じて行動してまいります。