THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

人工知能は電気羊の夢を見るか? BIとAI(ジール第3回)

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前回、BIのことを会社の業績をよくするための新聞をつくる道具としましたが、新聞作成同様、BIでつくる情報も、企画から始まります。

 

BIを使ってつくる情報のお客さまは主に経営者(注!ここでいう経営者とは社長とか取締役のことだけではありません。事業の成長責任を持っている人すべてです。全員経営だ!という会社であれば、全員がお客さまです)です。よって、経営者が知りたい情報がなにかをしっかり理解して取材や編集方針を決めます。現在のBIの世界では、ここは100%人の仕事です。

 

しかし、最近は人工知能を含め、データ利用状況の解析・活用技術がかなり進歩してきたので、誰にどのような情報がよく見られているのかというデータに基づきニュースも個別配信されるようになってきました。将来的には、経営者に届ける情報も利用状況に応じたものとなってくるでしょう。

 

現在の経営者向けレポートは、経営者の意向に応えるものがほとんどですが、実際の経営に役立つものばかりではありません。経営者側も本当に価値のある情報がなにかをわからずに要求してしまうこともあります。そういったことに費やされる情報作成コストはばかになりません。

 

事業成果と参考にする情報の関係性も、新たな技術によっていずれ明確になっていくでしょう。

 

ところで、最近人工知能、AIという言葉をよく目にするようになりましたね。といっても決して新しい話ではありません。前回も触れた映画、2001年宇宙の旅でもHAL9000というAIが登場します。HALは映画中で人間を殺そうとします。

 

長期間の宇宙飛行を続けるにつれ、HALの動作がおかしくなってきたのでボーマン船長がいったんメモリをリセットしようとしたのですが、それをHALが知ったときに人間が死を恐れるような感情を抱き、自己防衛のために人を殺そうとしました。

 

情報を蓄積して学習するうちに感情をもったAIが、物理的な破壊ではなく、記憶を喪失することを死ととらえ恐怖するというのは面白い視点です。

 

現代のAIはビッグデータという大量のデータと機械学習と言われる学習パターンを特徴とするものですが、HALのような感情をもつようになるかどうかを考えると眠れなくなります。とはいえ、これまでの人間の仕事を大きく変えるのは間違いないですね。

 

映画ブレードランナーの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に書かれた世界のように、もし、AIが夢を見ることができるようになったら、そう考え始めると、うーん、やっぱり眠れなくなりますね。(-_-)zzz

 

BIでは、そんなテーマも扱っています。

ジールシリーズ、もう少し続きます。

 

PS:月齢23日、今日は節分。花粉がきついです。

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経営力を鍛えるアカウンタビリティを考える

 

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どうも釈然としなかったのです。

 

会計とは事業活動を可視化するための手段です。事業活動は会計によって財務諸表という形でビジュアライズ(可視化)されます。一方、経営とは事業活動にかかわるさまざまな利害関係者とのバランスをとり、事業価値を高める活動です。

 

という前提に立つと、経営の役に立つ会計とは、利害関係のバランスと事業価値をリアルに投影したものであるべきです。

 

できあがった財務諸表を見ると、損益計算書は売上で顧客との関係、原価や販管費で取引先や社員との関係、税金で国や自治体との関係が見えます。貸借対照表では、株主資本やその他の事業資産の状況から株主や金融機関との関係が見えてきます。ゆえに、バランスはある程度見ることはできます。

 

しかし、後者の事業価値というものを示すことができません。釈然としないというのは、従来の会計をベースとした発想で中期計画や戦略を作成することで事業価値を可視化ことができるのだろうかという点です。

 

グローバル証券市場では赤字であっても高い株価を形成している会社も少なくありません。証券市場は、会計上の期間損益よりも、将来的に産み出される可能性のある現金、つまり将来キャッシュフローというもので会社の価値を評価しています。

 

決算結果によって株価が下がる場合は、想定している将来キャッシュフローを実現するために必要と考えられているなにかを実績が下回っていることであり、決算結果が赤字であっても高く評価されているのであれば、将来キャッシュフローを産み出す事業要素が獲得できているからです。

 

一方、コーポレートガバナンスコードの適用も始まり、その中でも投資家向けの開示を充実するために中期計画の開示を強く求められています。ROEとかROICという貸借対照表系の指標を使い株主資本の運用力を意識することもできますが、それだけでは経営のリアリティと合致しないと感じています。

 

さらに、現在の会計は過去の事実に関しても、会社の実態を正しくあらわそうと人の解釈や判断が入り込みます。それがかえって事実を見えにくくすることもあります。会計にまつわる不祥事は、会計というディストーションフィールドによる影響も少なくありません。

 

将来キャッシュフローもシンプルに説明できるように事業戦略や中期計画を策定することが経営力を鍛える重要な要素の一つであると考位置づけ、今後のアバントの戦略策定、IR活動を進めていきたいと考えています。 

 

 

PS:今日は天王洲で1kインターバル×5本でした。

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2001年宇宙の旅は「道具」をかく語りき、ビジネスインテリジェンスの目的は?(ジール第2回)

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ビジネスインテリジェンスとは企業経営にかかわる情報の編集手段つまり道具です。ビジネスインテリジェンス、ちょっと長いのでここからはBIと略します。

 

私が道具という言葉から連想するのは、スタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅です。ごらんになった方も多いと思います。制作開始からすでに50年、もはや古典ですね。

 

その冒頭、人類の祖先であろう猿人同士の戦いで、大型動物の骨を使って一方を打ち負かします。勝利した猿人が歓喜して、その骨を宙高く投げると骨が転じて宇宙船になるというシーンはまさに道具の発見と現代の最先端の道具をつなげ、人類とは道具を創るものであることを強烈に印象づけています。

 

BIを企業経営にかかわる情報の編集手段としましたが、目的からイメージするほうがよいかもしれません。たとえば新聞。世の中で起きていることを分野ごとに精通している記者がわかりやすいようにかみ砕き、紙面という情報にパッケージングして届けるものです。社会の情報ですから、ソーシャルインテリジェンスという感じですね。

 

人はなぜ新聞を読むのでしょうか?それは、社会で起きていることを知って、自分の生活に役立てたいからですよね。もちろん人によって役立て方は異なります。一般紙は広く多くの人にとって役立つように、社会全般を網羅するように編集しています。

 

新聞の場合は、社会で起きていることを知りたいというニーズに応えるものですが、ビジネスインテリジェンスは、事業環境で起きていることを知りたいというニーズに応えるものです。

 

それも、業績を高める責任を持つ人、会社の経営者向けという極めてニッチな新聞です。

 

新聞にも、株式新聞のように株の売買に特化した専門紙もありますが。BIによって編集される情報、つまり新聞にあたるものは特定の会社の業績をよくすることを目的とした極めてニッチな情報パッケージです。

 

そんな新聞では商売になりませんからだれも発行してくれないですよね。だから社内報や学級新聞のように自分たちでつくるしかありません。でも、いざ毎日会社業績をあげるための新聞をつくろうとしたらどうでしょう。社内報のように、社内で起きていることの広報ではなく、業績をあげるために貢献することを目的とした新聞です。なんかとても難しそうですよね。

 

だから、それを助けるための道具が必要なのです。そして、その道具こそBIです。ではBIどんな道具なのでしょうか?新たな技術との関係も深いので、次回以降で、それらのトピックも併せながらBIの世界に触れていきます。

 

PS:少し日の出が早くなってきましたね。

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エヴァンゲリオンファンの集団?ジールという会社

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先日、アバントグループのジールにてオールスタッフミーティングがありました。ジールはビジネスインテリジェンスソリューションを企業に提供するB2Bサービスカンパニーです。

 

と書き始めたのですが、あれ?これって業界関係者以外にはまったくなにやっている会社かわからないのでは?と不安になり、今回はIT業界以外の方にもなんとなくジールについてわかっていただきたいと何回かに分けて解説風に書いてみようと思います。

 

アバントグループの事業会社の一つ、ジール(ZEAL:熱意、情熱、とにかく熱い集団なのです)は会社のロゴに「BI EVANGELIST」というスローガンを入れています。

 

「BI EVANGELIST」が意味するところは直訳よろしく、ビジネスインテリジェンスのエヴァンジェリストが集まった会社だということです。

 

エヴァンジェリストという言葉は、本来キリスト教の福音伝道者を指すものですが、転じて、信じるものを世の中に広めるという活動を行う人も指すようになりました。

 

日本ではエヴァと言えば、エヴァンゲリオンですね。私もかなりはまりました。宇宙戦艦ヤマトから始まったアニメ好きもファーストガンダム以降は一段落していたはずだったのですが、とある偶然がかさなりどっぷりつかってしまいました。

 

ストーリーや世界観の面白さもさることながら、日本語明朝体を前面に押し出したNERF本部やEVAコックピットの情報系デザインに日本発BIデザインの未来を夢見ていました。

 

さて、エヴァンジェリストに戻します。記憶ベースですが、たしかこの言葉は2000年代中頃からマイクロソフトがエヴァンジェリストという職種をもうけてからIT業界に広がり、いまではだいぶ一般的になってきましたが、あくまで業界内の話なのでIT業界以外の方々「はなんのこっちゃ!」と思われるかもしれません。

 

むしろ、熱狂的なエヴァファンのことですといったほうが通用しやすいですね。(T_T)

 

閑話休題(それはさておき)、ジールは本来の意味のエヴァ、ビジネスインテリジェンスが会社をよくすると信じている人が集まり、その価値を社会に広めようとしている会社です。

 

それでは次回、ビジネスインテリジェンスの正体に迫ってみます。

サービス、サービス!

 

PS:とうとう雪ふっちゃいましたね、今日はおとなしく皇居20K走にしました。

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技術は文化の上で活きる、和魂洋才のススメ

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先日、神主の岡本彰夫さんのお話を伺う機会がありました。2013年まで春日大社の権宮司を務められた方です。春日大社は768年の創設、1200年以上にわたり人々が大切に受け継いできた有形無形の財産の一つ形です。日本文化のエッセンスの一つともいえるでしょう。

 

私は子供の頃から日本の文化が好きでした。歴史に興味持ったのは身近に縄文土器が当たり前のように転がっていたこともあったかもしれません。中学まで茨城県の古河というところで育ったのですが、自宅から歩いて行ける畑や田んぼを歩いていると、素焼きの土器の破片がごろごろ転がっていました。

古河市観光協会 こがナビ (縄文時代はこの辺まで海が入っていたようです)

 

専門家の鑑定を受けたわけではないので、今となっては、真偽のほどはわかりませんが、一つや二つという量ではなく、バケツ一杯程度は自宅の庭にあったと記憶しています。量からするとおそらく最近つくられたものがほとんどだったのかもしれません。それでも、中には縄文時代を空想するに足るだけの魅力ある破片もありました。

 

土器の破片を集めるだけでは面白くありません。どの時代のものなのか、どんな用途でどんな人々がつかっていたのか、そういったことを空想することが愉しく、日本史の本を買ってもらって調べていました。そうしているうちに、自ずと古事記や日本書紀へ、そして神話の世界から日本の歴史、文化へと次第に関心が広がり誇りをもつようになりました。

 

一方、社会人としての第一歩が欧米系の文化を持つ会社であったことから、実際の経営制度、システムの体験は米国式によるものでした。強い個人を前提とし、会社は財務的成果を最大にするための機能であるような経営です。

 

この考えは、福沢諭吉が残した「一身独立して一国独立する」という考え方にも通じると、違和感なく受け入れていました。一身独立して一国独立するという考えは今でも私にとっては行動の基本を為しています。

 

ところが、強い個人を前提とする経営というあたりが実際に経営者となってからの経験からもどうもかみ合わないというか、システムで言うと普段Windowsで使っているMS-EXCELを、MacOS使うときのような違和感を覚え続けてきました。

 

その違和感を解消しようと、改めて日本の文化というものを理解することに関心を持つようになりました。どれほど西洋的な経営技術を学ぼうとも、心は日本で生まれ育った自分にとって日本にある文化の影響を濃厚に反映したものであり、その理解なくしては技術もうまく使えないという考えです。これが岡本さんのお話を伺うことへの動機の一つでもありました。

 

会社の健康が心技体、つまり心としての経営哲学、経営技術や顧客に対する貢献価値の源としての技術、そして人・モノ・カネという事業資産である体がバランスよく機能している状態であると考えると、日本文化というものを三つ子の魂のごとくOSとして持つ会社は、その会社がたとえフランス国籍であれ、アメリカ国籍であっても和魂洋才を追求するほうが健康であることができると考えています。

 

岡本さんのお話は、日本文化の博覧会です。浄瑠璃から仏教、季節ごとの節目からしめ縄の意味、次から次へとまさに生きた人格を通したインスピレーションのシャワーを浴びているかのごとくでした。

 

そんな岡本さんのお話の中の一つに「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」というのは西洋の考えである。東洋はその逆で「魂を健全にすれば自ずと肉体も健全になる」というお話がありました。

 

「ん?」そこからしばらく思考が混沌としました。

 

そして、「ん!」と納得しました。十数年前、少し鬱状態にあったとき、そのメンタルの回復手段を試行錯誤した結果、山によく登るようになりました。その効果はそれまで試したあらゆる手段と違い、少しずつではありましたが、確実にメンタルの回復をサポートするものでした。真因は別にあるので、その解決なくして本格的な回復は困難なことはわかっていたのですが、それでも登山というリフレッシュ方法がなければもっとひどい状態に陥っていたかもしれません。

 

そんな体験から、メンタルを整えるにはまず身体からということで腹落ちしていたのですが、それを私は「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」であると考えていました。しかし、岡本さんのお話を伺って、私がやっていることは、身体を強くすることが目的ではなく、メンタルを整え、鍛えるための身体に負荷をかけているだけであり、「魂を健全にすれば自ずと肉体も健全になる」の文脈に沿ったものであることに気づきました。おそらく、単純に健康な身体を求めていたら、心の与える影響はより限定的だったと思います。

 

お話にはこんな件(くだり)もありました。「修験者をはじめ、修行をしている人は自分のためではなく、なにか、もしくは誰かのために修行している。」つまり、心、メンタルをよくするには、利他というスタンスがはじめの一歩である。その利他の精神を強くするためには、修行という肉体の鍛錬の欠かせないが、利他でないと修行が続かないということです。なるほど。確かに自分の記録だけを目的に走っているときは案外よい結果がでない。時にはリタイヤすらありますが、誰かのため、何かのためという自分以外への願いを持つとよりよい結果につながっているというのは体験的事実です。

 

では、洋魂というものがあるならば、それは利己であるかというとその限りではありません。私は子供の頃からカトリックの日曜学校にも通っていたので神父さんとの交流も当たり前のようにありましたが、その教えは利他そのものでした。ただ、私にとっては文化としてのキリスト教が日常になかったために、そこで感じた利他力を消化しきれず、生活の一部として取り込むことはできませんでした。

 

おそらく西洋的という「健全なる肉体」の話も、本来的にはキリスト教、なかでも現代の資本主義の基本をなすと考えられているプロテスタンティズムの文化的理解がないと間違った運用となってしまうかもしれません。むしろ、その文化の中にいない以上は本質的な理解はかなり困難と考えて理解を進めるほうがよいのかもしれません。

日経BPクラシックス プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 | マックス・ウェーバー, 中山 元 | 本 | Amazon.co.jp

 

なんとなく、東洋西洋をはじめ、資本主義や社会主義、キリスト教やイスラムの話など様々な対立概念はあくまで文化的ものであり、人間として利他が共通善であるということはゲーテのファウストあたりを読んだ頃から右脳(直感)的に個人的な仮説として結論づけていたのですが、ポール・J・ザックの「経済は競争では繁栄しない」はそれを左脳(論理)的に納得させるものでした。その講演はTEDでも人気です。

 

www.ted.com

 

ポール・ザックは、人類という種族が現在にいたるまで繁栄することができたのは、他者への共感力と利他性にあるとオキシトシンというホルモン分泌状況の調査研究を背景として主張しています。この考えにインスパイアーされるとすると、共感力、利他性という二つの要素を促すことができた文化のみが現在でも生き残っていると考えることもできます。

 

となると、西洋とか東洋ということではなく、それぞれが開発した技術を、自分たちにあった利他を促す環境としての文化をしっかり理解して活用することができた人、組織、国、地域というものがこれからの世界をリードしていくことになるのかもしれません。

 

技術は文化の上で活きる、他文化で産み出された技術を間違った使い方で使うこととならぬようにも、もっと和魂を磨きたい、岡本さんからそんなインスピレーションを頂戴いたしました。

 

 

今年もやります、富士登山競走チャレンジ!

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年始から春先にかけて、トレイルランはオフシーズンです。マラソンは比較的冬のスポーツというイメージがありますが、トレイルの場合は私の中では夏のスポーツです。山を走るというだけに、登山と同じですね。

 

もちろん登山の場合はむしろ冬山のほうが好きだという人も少なくないでしょう。以前は私もそうでした。人も動物もいない静かな山の中に入ると心身が研がれているように感じました。

 

LOWAの冬山用登山靴にPetzlの12爪アイゼンを装着し、Black-diamondのピッケルをもって登るような山は格別でした。といっても、ほとんどが日帰り登山の範囲、丹沢山系や奥多摩です。少なくとも八ヶ岳まで足を伸ばさない限りPetzlやBlack-diamondの出番はありません。冬山装備でもっとも出番が多かったのがGrivelの4爪軽アイゼンでした。

 

高尾山のような雪がほとんど積もらない低山でも、日の当たらない斜面がアイスバーン状になっていることもあり、これが意外にやっかい。アイゼンやストックがなければ思わず尻グリセード(グリセード:

kotobank.jpとなることもあります。

 

そんな冬場でも、軽アイゼンを一つ携帯していれば安心です。むしろアイスバーンを見つけるとニヤリ、AWDの車にスタッドレスタイヤを装着して雪道に入るような軽い高揚感を覚え突っ込んでいきます。そして通常の地面では得られない凍った路面に強いグリップを心地よく感じながら快適に山行を堪能できます。

 

わずか片側四つの爪だけで得られる安心感は絶大。低山であっても冬場はお守りとして常にリュックに入れていました。「登山のお守り、夏は熊鈴、冬アイゼン」といったところでしょうか。

 

余談はさておき、トレイルランの場合、冬山は防寒対策だけでも走りにくくなりますが、アイスバーンなどのトレイル状況により走ること自体が難しくなるのでオフになります。今年は暖冬のため近郊の山には雪が全く着いていないのでまだまだ走れますが、今は春先から始まるシーズンに向けオフにしています。なんといってもシーズンのクライマックスは富士登山競です。そこに向け段階的に走力をビルドアップしていきます。

 

www.fujimountainrace.jp

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富士登山競走は富士吉田市役所をスタートとして、昔ながらの富士登山道を使って山頂まで走って、歩いて、よじ登るというものです。距離は21キロとそれほど長距離ではないのですが、標高差3000メートルのひたす続く登り道を、しかも制限時間が4時間半以内で走り、歩き抜くのは私にとっては至難の業です。(冒頭の写真は、ロードから登山道に入る馬返し)

 

私は2012年の第65回から参加しているのですが、第一関門の五合目制限時間の2時間20分をクリアしたことすら一度もありません。辛うじて66回大会で2時間26分だったので今年も山頂コースへのエントリー資格がありますが、来年からは2時間25分以内とエントリー資格へのレベルがあがるので、来年以降の山頂挑戦すら難しいのが実情です。

 

それでも、今年もチャレンジします。理由を問われると「神事だ」と答えています。新年の始まりにぞれぞれの願いを祈願するために神社やお寺に参拝にいくのと同じです。

 

アバントは7月が新年度の始まりです。その月に開催される富士登山競走で、富士山という霊峰の山頂に向かいひたすら走るという行為は一年の事業の発展を願う祭りだ。私にとってはそんなおもいを持って走る特別なレースです。

 

これで私が山頂までクリアできれば格好いいのですがそうはいきません。だからこそチームで目指します。事業と一緒です。そして、こういった活動が、人々に長く引き継がれ文化と転ずる祭りのように、健康第一で成長を志向するアバントの文化の一つになるとよいなと思っています。

 

昨年は当社CFOの春日さんが山頂ゴールしました。そこに至るまでのドラマを含めその成果に心から感動しました。私自身、毎回結果が振るわず、次第に年齢のせいにして参加することだけに意義を見いだしかけていたのですが、その感動から「よし、やれるだけやってみよう」というパッションに火がつきました。これからの約7ヶ月はこの祭りに向けたトレーニングとしてのトレイルランをメインにします。

 

今年は山頂挑戦権を持つメンバーがアバントグループで6名となりました。山頂コース以外にも五合目コースへの新たなチャレンジャーも増えるとより愉しくなります。当社では走る以外にも歩いて登る富士登山も毎年やっています。走る、歩く、見る、いろんな楽しみ方のある霊峰富士山。今年もお世話になります!

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健康第一、最善のペースで前進すること

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当社は本日1月4日が仕事始めです。グループ各社、拠点は東京だけで、品川、目黒、大森、新宿、虎ノ門、名古屋は名駅、大阪は堂島と分散型のオフィス構成を取っているために、仕事始めの様式も各所各様です。品川オフィスでは、本社オフィスをこちらに移転して以来、近隣の品川神社に希望者と参詣しています。

 

品川神社までは徒歩圏なのですが、品川港南口にあるオフィスから北品川にある品川神社までは城南五山の八ツ山に集中する幹線道路と鉄道をうまく越えていかないと思いがけず時間がかかってしまう若干迷路の様相を呈し、毎回ルートを変えつつも、今ひとつスムーズにたどり着けませんでした。

 

http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail405.html?sights=yatsuyama (約150年前の当地)

 

今年は、公共の交通機関でいける関東近隣の山という山を踏みならしているアバントの監査役、野城さんによる事前のルートファインディングにより、最短かつ信号も品川神社へ渡る第一京浜のみ一つという集団がばらばらにならないルート設定でスムーズ参詣することができました。

 

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普段人が歩いていることなど見たこと無いような歩道橋の階段とアンダーパス歩道の組み合わせで、八ツ山の地形を反映したブラタモリのタモリさんが喜びそうな実際に歩いてみないとわからない絶妙なコースです。

 

毎年いくつかの信号で集団が分断されてしまうことについてちょっとしまらんなぁと感じていただけに、ちょっと感動しました。

 

野城さんは私の登山の師匠です。12年以上前、私がカメラをしょって山に登り始めた頃(はじめは普通に歩いていました)、奥多摩や三ツ峠、丹沢山系などに連れて行っていただき、登り方も野城さん仕込みです。

 

野城さん流というのは、基本的に休まず登り続けるという登山方法です。そのかわり、ペースはゆっくりです。曰く、下手にペースを上げて休憩するよりよっぽど楽だ。とにかく息をあげなければいくらでも歩ける。そういうものでした。今となっては、乳酸閾値を超えないように行動し続けるという理想的な長距離歩行スタイルであることがわかりましたが、そんな知識も無い頃に心地よく歩ける方法を簡単に教えていただいたのは登山を続ける一つの要因となったと思います。

 

登山にかかわらず、続けていくことに対して、ペースというものはとても大切です。会社の継続においても、人も組織も健康であるためには、いたずらにペースを上げるのではなく、その人、その組織にとっての最善のペースというものを見つけ出し、そのペースを次第に向上させる段階的な進歩をしっかり行うということが本当に大切であると考えています。

 

健康は、心技体、それぞれがバランスよく十分である状態でしょう。気力があり、体力があり、他者に役立つ技術がある。それらが増進するようなペースを見つけることができれば、個人も組織ももっと力を発揮することができるようになります。

 

本年も、健全な成長を促すペースを重視し、人と組織の健康の増進を伴う事業成長を目指して参ります。

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