◇ 身体は食べたものでできている
以前、二ヶ月で一割体重を減らす方法というテーマで触れましたが、そのダイエット方法は一言で云うと「食の見直し」によるダイエットです。健康のための食というテーマに関心をもったのはこれが初めてでした。
以前はせいぜいカロリーを気にする程度で、加齢により基礎代謝が落ちて内臓脂肪を中心に太ってくると、食を改善するのではなく、運動により消費カロリーを増やすことでバランスをとっていました。
しかし、トレイルランを始めてから、従来の生活の延長線上では超えられない壁がいくつもあり、その克服方法を試行錯誤するうちに運動で負荷をかける以上に、リカバリーの重要性に気づかされ、その延長線上で食に関心が及ぶようになりました。
ようやく試行錯誤が始まったばかりなので自分なりの食に関する一家言はまだ持ち得ていないのですが、ただ「身体は食べたものでできている」という、至極当然な基本原則を普段から強く意識するようになりました。
◇ ミレニアル世代
ところで先日、経済同友会から送られてきたレポートを眺めていたところ、興味深いものがありました。
ミレニアル世代と呼ばれるおおよそ1980年から2000年に生まれた世代が社会の中心を為す時代にむけて、旧世代はその変化をどのように認識して対応すればよいのかということをまとめた報告書です。
ほぉ、そんな世代論があるのかと調べてみると、私はジェネレーションX世代だそうです。日本では「新人類」。ふと、原宿がタケノコ族の聖地だった時代が蘇りましたが、そんな言葉もあったなという程度です。だいたい、そんな名前がつけられていた時代は、社会からどのように呼ばれようとそんなことはお構いなしでした。現在のM世代のみなさんも同様でしょう。
とはいえ、かつての新人類も、すでに旧人類です。
◇ ネイティブであること
ミレニアル世代の報告書に興味を覚えたのは、事業モデルのライフサイクルの考え方とリンクするものがあったからです。
私は、自分たちが属する事業環境の変化を捉える上で、ホストネイティブ、クラサバネイティブ、クラウドネイティブと勝手に命名して各世代の思考や消費行動、ビジネスモデルの違いなどをおおまかに眺めているのですが、ミレニアルの話は、まさにクラウドネイティブと呼んでいる世代のことでした。
私が社会人になった頃はちょうど、ホストコンピュータやオフコンと呼ばれたビジネス専用機に占有されていた企業の情報処理において、パーソナルコンピュータの利用が始まろうとしていた時代でした。
私たち新人類世代は、中学や高校生の頃にAppleIIを知り、学生時代からNECの88や98をはじめとしたIBMPC互換機になじんでいたので、社会に出た頃にはパソコンは特別な存在ではありませんでした。
そういう環境で育ってホストベースのシステム開発に携わると、価格性能比を中心に早期にダウンサイジングが進むだろうと言うことは考えるまでもなく感覚として理解し、クライアントサーバー型と呼ばれる、パーソナルコンピューターの延長線上でくみ上げるシステムが中心となっていく一連の波に自然体で乗っていくことができました。
一方で、クラサバネイティブの私たちから見れば、ホストネイティブと勝手に呼んでいる社会人になる前からパソコンに触れていない世代のパソコンビジネスのとらえ方を、感覚的に違うんだよなぁと当時感じていたことを記憶しています。
英語などの語学ではネイティブという言葉は一般的ですが、日本で社会人になるまで日本語だけで生活をしてきた人が、どれほど英語の勉強をしても、ネイティブにはなれないのと同じように、ものの考え方に影響をおよぼす思想や技術においてもネイティブ性があることを感じた原体験です。
◇ デジタルネイティブ
そのような経験から、個人と情報とのかかわり方ががらっと変わったインターネットに子供の頃から触れている世代はあきらかに自分がネイティブとなることができないと感覚的に理解しています。
もちろん、デジタル化の恩恵は受けていますし、活用もしていますが、デジタル情報として見る新聞の情報と、紙の新聞を通して得る情報は、文字情報としては同じはずなのですが、机に新聞を広げ、全体を俯瞰しながら記事を読むほうが、なぜか思考が活性化します。
本も同様です。出張などではキンドルもかなり便利なのですが、気に入ったものは紙の本も買ってしまいます。紙の上の活字から得るインスピレーションと、デジタル化した情報から得るインスピレーションは情報としては全く同じはずなのですが、なぜか違います。慣れの問題もあるかもしれませんが、不思議なものです。
◇ 情報とのかかわり方と世代論
世代論を見ていると、世代という分類が生じる背景には、情報メディアと個人の関係も影響しているように思います。
私たちの世代は、テレビや雑誌の影響を強く受けました。情報はマスコミから一方的に与えられるものであり、個人から発信することは困難でした。
それゆえ、一方的に送られてきた映像やライフスタイルに対する感度が高く、パターンはいくつかありましたが、皆が同じようなスタイルを目指す傾向が強かったように思います。映画「私をスキーに連れてって」とその後のスキーブームで、関越渋滞50キロ当たり前状態などその一つです。一方で、個人情報の発信は、車を代表とするモノやファッションを通して物理的に自己主張していたように思います。
ミレニアル世代は、個人が情報発信の主役です。はじめからそのような情報とのつきあい方を習得している世代ということです。私にとって現在の情報環境は、情報への向き合い方が従来と変わっていないので、あまりにも多様な情報とどのようにかかわっていけばよいのか未だイメージできていません。
ネットでいろんな情報にアクセスしているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。しかも、本を読んだときの読後感のようなものが残らないわりに、なんとなくそこから得た情報に引きずられてしまうようなことも少なくありません。そんな時は、情報断食してしまいたくなります。
◇ 心は五感を通して得た情報からできている
ここでようやく文頭の話題に戻るのですが、そんな状況が食と身体の関係と同じように最近感じるようになりました。食べ過ぎや飲み過ぎで翌日つらい思いをしている状況や、腹が減っているからと、身体によいかどうかなど考えずにカロリーの高いものを食べ続けたりしてるうちに体調がおかしくなるような、そんな感覚です。
身体が食べたものからつくられているように、人間の心は五感を通して得た情報からできている ということです。
そう考えると、心の健康に役立つ情報とのかかわり方ということが重要なテーマになります。
人間には本来、Sense of wonderという、子供の好奇心のようなものが備わっています。食欲や睡眠欲と同じような本能的なものです。しかし、成長するにつれ、その感覚は次第に弱くなってしまいます。経験を通して情報を蓄積するにつれ、生きていく上で必ずしも必要ではなくなるからでしょう。
しかし、こころの健康とは、このSense of wonderを維持し続けることであるように感じています。情報は、視覚や聴覚からだけ得られるものではありません。食において、結局はバランスであることと同じように、情報とのかかわり方においても、五感を総動員して得る情報がよいのだろうかなどと思案しています。
世の中はデジタルネイティブの時代に移行してきます。旧世代がその時代を生きていくには、ネイティブではないことを自覚した上で、心の健康に役立つ情報とのかかわりを意識していくことが重要なのではないかと、そんなことを考えています。