学校が夏休みにはいり、近所の公園でラジオ体操が始まった。30代の頃、起業直後で乱れた生活をなんとかしたいと始めたのが洗足池で通年やっているラジオ体操だった。走るようになり、ラジオ体操にはいかなくなったが、夏休みのラジオ体操には時々参加している。それにしてもイマドキの子供たちはカッコいい。
さて、ラジオ体操のあとは少し頭の体操でもしてみるか。
(テック系企業の株価はバブル?を考えてみた)
という事で、全く話は変わるが、米国GAFAMを中心とするテック系企業の企業価値はバブルなのか?そんなことを考えていて面白い本を読んだ。「バブルの世界史」(日本経済新聞出版)である。バブルの生成過程を、市場性、通貨/信用、投機の三要素とバブルに火をつける政治もしくはテクノロジーの有無から見ていくというものだ。
(バブルのメカニズム)
市場性とはバブルの対象の流動性である。会社にしても株式をたくさん発行すればそれだけ多くの人が会社を部分所有することが出来る。売買量は多いほど流動性は高まる。通貨/信用とは余剰のキャッシュの存在有無である。コロナ禍で政府が低金利で資金を市場に流し込むと余剰キャッシュは膨らむ。そして、投機とはマネーでマネーを稼ぐ人の総量である。これらが火事における酸素と燃料と熱にあたり、最近の生成AIのような社会を大きく変えそうな期待感のあるテクノロジーが火花の役割を果たすとバブルが発生するということらしい。
(未公開市場という価値創造エンジン)
さて、テック系企業はバブルか?という問だが、蓋然性は高いと個人的には考えている。というのも、この10年のテック系企業の価値は未公開市場で作られているからである。この未公開市場は三要素と着火点を備えている。しかし、開かれた市場ではない。ユニコーンを筆頭に未公開ベンチャーの値段は、VCを中心とした機関投資家によって付けられている。そして、機関投資家から出資を受けている企業は上場もしくは、事業売却という形で機関投資家の利益を獲得することが定められている。しかし、閉じた市場全体で、需給関係をコントロールすることでバブルの破綻を遅延、もしくは軽減しているように見える。
(バブルとして認知されるとき)
それでも、最終的には高い値段が付いた商品を買ってくれる人や企業、ほかの機関投資家が存在し続けるのか?ということである。
これまでのところ、GAFAMという強力なキャッシュ生成力を持つ企業群を中心に、大きな破綻はなく来ているように見える。一方、未公開企業という高額商品の在庫は積みあがっている。利益の創出を強く求められる上場企業の視点から見ても経済的合理性をもって買収できる未公開企業は多くない。
当然、キャッシュが余っている企業はその資金使途を事業成長に振り向けることが出来るが、基本的なキャッシュ創出力が高くない企業が余剰という意識をもった時点でおそらくかなり危険な投資となるだろう。となると、買収側の体力も長期的にはそがれていくという事になる。このあたりに転換点が見え隠れする。
実際にバブルであるのか、もしバブルであったとすればいつ、どの程度のインパクトがあるのかは特に想定していないが、まぁ、バブルとみておいたほうがよい。そんなところである。
(イノベーションを促すバブル)
なお、バブルは悪いことばかりではないとも本書にあった。資金や能力が集まり新しいことにチャレンジするのでITバブルの崩壊がその後のインターネットビジネスの成熟に寄与したように、テクノロジーや政治の進歩に大きく役立つというものだ。人同様、企業にもそれぞれの役割の果たし方がある。
(機関投資家との対話から知った企業価値に対するスタンスの重要性)
ということで、自分はバブルに乗らない。事業はあくまで、ファンダメンタル、つまりキャッシュの創出力を基礎として会社の価値を考えることとしている。特に、海外の機関投資家との対話を通して求められているポジションが正統派のグロースであることがわかった。グロースにもいろんなタイプがあるが、当社の場合は着実にキャッシュ創出力を高めることが一番わかりやすいと対話を通して理解してきたからだ。
自社の経営を考えるうえで、企業価値を相対比較に求めるのかファンダメンタルに軸を置くのか、このスタンスを決めておくことはとても重要である。
ラジオ体操より頭の体操のほうが疲れるな。(笑)