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「信長の正体」を読んで「歴史学者の正体」を考えてみた

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「信長の正体」(本郷和人)を読んだ。

うーん、深い!

 

先日、著者の本郷さんから頂いた本である。東京大学の史料編纂所教授の著者はとにかく知識量が半端ない。生きる「大日本史」といっても言い過ぎではない。日本歴史上の人物を知り尽くした本郷さんが一番面白いと思う人物が誰なのか、素朴な疑問をぶつけたところ「織田信長」と即答だった。

 

「あっ、そうなんですか?」どれほど珍しい人が出てくるかとの期待と反して、王道中の王道に、驚いた。その時手渡されたものである。

 

小学生の頃、日本史が大好きだった。当時住んでいた茨城県の古河市というところは、縄文土器のかけらが近所の田んぼや畑のあぜ道に転がっていた。変わった文様を持つ土のかけらに興味をそそられ、自宅の庭に小さな土器塚をつくっていた。それが縄文土器であることを担任の先生に教えてもらい、そこから歴史への興味が生まれた。

 

最初に読んだのは、小学館から出ていた日本の歴史だったように思う。まだ漫画化される前だったが、縄文時代から近現代まで一挙に読んだ。そうやって、日本の歴史の面白さにハマったことを覚えている。

 

高校生ぐらいになると、歴史へのアクセスは小説を通したものとなった。代表的な作家は司馬遼太郎である。20代後半まで、小説のみならず、「風塵抄」や「この国のかたち」といった随筆まで、片っ端から読んだ。それまで元素記号のように無機質だった歴史上の人物が小説の中で生き生きと活躍し始めると、いつのまにかそれが本当のことのように錯覚するようになっていた。俗に司馬史観と言われる歴史認識である。

 

その後、歴史小説作家の池宮彰一郎氏の話を直接聞く機会があった。信長を題材にしている「本能寺」を出版されたころだ。「歴史小説家の野望は、歴史上の人物のイメージを一新することである」そんな一言が今でも強く記憶に残っている。その時、自分の歴史認識がかなり司馬史観によっていることを自覚し、すべての歴史文学を、書いた作者のキャラクターや思想の代弁として理解するようになった。

 

さて、本書「信長の正体」であるが、本物の歴史書だった。科学としての歴史学のアプローチで、歴史がつくった人間としての織田信長を紐解いていた。

ここから先は個人的な勝手解釈だが、織田信長という存在は統一国家としての日本のコンセプトをつくった唯一無二のイノベーターだったようだ。今でこそ、日本という国をなんの疑問ももたず概念も実態も受け入れているが、信長以前に、日本を統一国家にするという着想を持ち、実際に行動を起こした人はいないらしい。

 

考えてみれば、今の世界を統一するなんてビジョンをもって動いている人はいない。なんとかファーストと言って、基本的に自分のテリトリーを守るか、理想論だけを掲げて行動を起こさないか、そのどちらかだ。もし、本気で世界統一するために行動を起こす人がいたとしたら、常識的には恐怖しかない。チンギス・ハンだ。

 

戦国時代の武田信玄や上杉謙信も自国ファーストである中、信長だけが天下布武という日本統一を目指して行動したという点で全く異質な存在なのである。ということなのだろう。様々なメディアで数多の信長像が存在し、キャラクターとしての評価をしてしまう私のような人間とはまったく異なる見方である。人物としての面白さが問題なのではなく、歴史に与えたインパクトがすべてだ。本郷さんがなぜ「信長が断然おもしろい」と即答したのか、少しわかった気がする。

 

本郷さんの歴史学に対する愛とイノベーションへの挑戦にあふれた一冊だった。著者自ら「会心の一冊」と言うだけに、本当の歴史学に触れられる価値のある一冊である。

ご馳走様!