「熟達論-人はいつまでも学び、成長できる-」(為末大)を読んだ。
私はオタクが大好きだ。なにかを深く突き詰めていく人に強く惹かれる。著者は間違いなく超一流のオタクである。
本書には、多様な読み方がある。世界のトップアスリートであった著者の体験に基づく人間成長の解説書という側面もあれば、リアルなアスリートの葛藤と思考に触れる物語としても読める。読み進めるにつれ、いつのまにか後者の視点で読んでいた。
世界に通用するパフォーマンスを目指して、いくつも壁にぶつかり、その都度アプローチを変えて自己変容していく物語である。しかし、その熟達への道は、特定の競技への熟達というより、人間としての生き方の熟達である。
人間としての熟達を考えると、昨日戸隠のトレイルを走ってきたこともあり、山伏の修行のための修験の道を思い出す。古来、人間としての熟達のためにたくさんの人々が歩いてきた古道を走ると不思議と清々しい気持ちになる。
本書の中に「熟達」の喜びとは「身体を通じて(自分の扱い方が:注:勝手解釈)わかっていくことにある」とあった。修験道とも通じる。
なお、本書では、「熟達に至っても人生が劇的に変わるわけではない。」と言い切っている。ただし、「空」と著者が表現する、いわゆるゾーンに入る体験をすると、その感覚が身体的にわかるそうだ。その感覚を活かす生活とは、「今に生きる」である。
勝手な解釈だが、その感覚を人生に活かせば、人生の品質、つまりクオリティ・オブ・ライフが向上すると理解した。なにかに勝つとか、社会的に成功するという相対的なものとは一味違う。
著者が現在の私の年齢となる12年後、その時の最新作を読んでみたいと思った。
ご馳走様!