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年をとるのは大変だ!:「人生後半の戦略書」と「人生の五計」

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「From Strength to Strength」『人生後半の戦略書』(Arthur C. Brooks)を読んだ。

夜行の機内で「死んだほうがましだなんて言わないで」と年配の女性がだれかに小さな声で囁いている、そんな話を偶然聞いたところから始まる。人生に後悔が多いのだろうか、想像は膨らむ。ところが、目的地で目にしたのは米国の国民的英雄が颯爽と降りていく姿。会話の内容と外形的な態度のギャップ(認知的不協和)に強い問題意識を持ったという。

 

社会科学者でもある著者はこの体験をきっかけに、何かに没頭して生きてきた人が年齢を重ねても幸せを感じる生き方を学術的に探究することになる。そのエッセンスが本書につづられている。人生のフェーズによって自身がもっとも活き活きとできるよう、価値観と行動を変容させようというものである。社会科学から脳科学、哲学、神学、歴史、伝記や取材と膨大な情報に基づいた文章は、さすがに読み応えがある。しかし、そのエッセンスは古来不変なものであった。

 

例えば、郷学の安岡正篤の著書に「人生の五計」がある。宋の官吏、朱新仲の教訓である。人生を「生計」「身計」「家計」「老計」「死計」という五つの視点でとらえ、それぞれの指針を整理して行動するというものだ。生計とは、いかに生きるべきかという本質的な問い。身計とはいかに社会に役立つか。家計とは家庭の治め方。老計は、いかに年をとるか。そして死計、いかに死すべきか。死生一如の死生観とされている。

 

この五計、現在の私にとって最大の関心所は「老計」である。昔の同級生や年の近い友人、特にお互いに弱音を吐ける、愚痴を言い合えるような間柄であると、数年前からこの「老計」に関する話題ばかりである。心身の変化は確実に感じているのに、その現実というか、変化を受け入れられない。どうしてもジタバタする話になる。

 

しかし、「人生後半の戦略書」のような本を読むと、ある程度処方箋に関するノウハウは社会的に蓄積されており、それにもかかわらず私たちは個人的に思考のループにはまっているだけのように感じる。

 

自身を振り返ってみても、人生は環境適応の日々である。適応のむつかしさや変化率に違いはあれど、現状を追認するのではなく、主体的に変化に適応する行動に集中することで日々はより充実する。一番まずいのは、思考のループにはまり行動しないことだ、とクリアにわかっている。にもかかわらずなかなか行動が出来ないとするなら、これは「老衰」である。

 

「老計」とは、老衰ではなく、老熟するためのものだ。そして、年をとることを楽しく、意義のあるものとするための行動方針である。その基礎には建設的な諦め「悟り」があり、若い時にはわからなかった、人生の妙味を知るだけの経験があるようだ。これを「人生後半の戦略書」では「結晶性知能」と呼び、年齢を重ねてなお成長できる能力としている。以前触れた、ロバート・キーガンの「自己変容型知性」も同種のものだろう。いずれにしても、老熟を楽しみ、それを他者に還元していくことが自然な生き方なのだろう。

 

結局のところ、変化に適応するための行動に集中することに尽きる。しかし、その行動はこれまでの感覚ではかなり地味であり、つまらないことの積み重ねとなる。まだまだ人生の妙味を理解するに至っていないということか。まだまだ、である。