船旅に出る両親を埠頭まで見送ってきた。
巨大な船を眺めながら、自分はこういった旅は苦手だと感じた。
『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)を読んだところだった。「退屈」という感情を哲学するものだ。哲学とは「問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営み」と序文にある。
普段放置してしまいがちな心にささる棘のようなものを「問題」として特定し、心が安定するためにその正体を明らかにするということだろう。
なにかに「没頭する」ことが心の安定に欠かせないと考えてきた自分にとって、それ自体に問題意識を促すよい刺激になった。
併せて、『疲労とはなにか』(近藤一博)も読んだ。こちらは、疲労や疲労感というものの原因を「ウィルス」から紐解くというもの。人類でホモ・サピエンスだけが生き残ったことに、「不安」を強くするウィルス起因の遺伝子も強くかかわっているのではという話まで広がる。
哲学と科学という異なる分野であるが、両者はつながっているように思えた。私にとって、哲学で取り上げられている退屈という感覚は、行動に大きな影響を与える不安という情動の延長線上にあるからだ。
さまざまな不安から逃れるために、自分を駆り立てる環境をつくり、その環境で生き抜くために身体にもストレスをかける。没頭のあまり、本当の疲労を蓄積してしまうことも少なくない。GWのような休みはこの疲労が露出することも少なくない。
健全な没頭が自らを健康にするという本当の「自靖自献」に至るまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。