THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

Monochrome in New York

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 春一番が吹いた日に帰国しました。あまりの風の強さで一度目の着陸はゴーアラウンド、通常の離陸以上の加速感と急上昇はなかなかスリリングでした。

出張後半のニューヨークでは先週降った雪が残るセントラルパークで少し写真を撮りました。

 

  

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写真は人を少し避けながらとっていますが、週末ということもあり人出は少なくありませんでした。

 

 

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凍った湖上に無数の雪の塊が載っていました。足下に大量の雪があると自然と雪玉をつくり投げてしまいます。

 

 

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プラザホテル前。白黒写真が似合う街です。

時差ぼけに弱い人のためのシンプルな対策

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昨日サンフランシスコに到着しました。カリフォルニアの晴天を期待していたのですが天候は雨ベース、現在の気温は11度です。今年は雨が多いらしいのですが、心なしか緑が多いように感じます。

時差ぼけに弱い

 海外出張、特に時差の大きな出張は身体へのダメージが少なくありません。時差なんかへっちゃらだよという人もいますが、私は全くだめです。

これまで時差ぼけ対策をいろいろ試してきたのですがいずれも決め手を欠いてきました。例えば、海外出張の三日前から現地の時間に生活リズムを合わせてみる。到着した日はどれほど眠くても夜まで我慢する。到着早々、できるだけ太陽の光を浴びて運動する。睡眠を促すメラトニンを使用する。一般的にいわれている方法は大抵試してきましたが二、三日で時差ぼけ解消ができたことはありません。

毎日が徹夜明け状態

時差ぼけとは、毎日徹夜して昼間仮眠をとって過ごしているようなダルさと、徹夜している時に時折襲ってくる異常な眠さがメインの症状ですが、東京にいるときと同じように一定の時間に眠くなり、朝も一定の時間に自然覚醒するというところまでまで改善されるには2週間程度かかります。

一度現地に身体のリズムがあってしまうと今度は帰国してからの回復にも負荷がかかります。この負荷が馬鹿にならず、時差13~14時間の米国東部出張の場合、平常のコンディションに戻るまで帰国後最低でも1週間から2週間、微妙な差ではあるのですが、完璧に戻ったと感じるまで3週間はかかってしまいます。

人の身体が一日で自然に補正できるのは1時間程度という話をどこかで聞いたことがあるのですが、経験的にもだいたいそんな感じです。

体内時計に素直に従ってみる

そんなこんなでたどり着いたのが「現地の時間に無理に合わせない」という方法です。以前は現地時間に身体のサイクルを無理にでも合わせようとしてかえって睡眠不足が重なり疲労を蓄積していました。また、食事も内蔵の事情を考慮せず無理矢理現地時間で普通にとることで内臓への負担を強め胃腸の不調を増長してしまい体調を崩すことも少なくありませんでした。

シンプルに「眠いときに寝て、食べたいときに食べる。」それだけです。そうすることで時差ぼけの二大要素である睡眠不足と内臓負担を軽減することができます。

もちろん予定があるので簡単ではありませんが、眠いときは時間があれば少し昼寝をしたり、食欲がなければ食事はできるだけ軽く済ませてしまうなどして調整します。そうすることで以前と比べると少しはましになりました。

身体の強さや特性は個人差があります。時差ぼけ対策にかぎらずダイエットや運動パフォーマンスの向上などには様々な方法がありますが自分にあった方法を見つけ出すことは重要であると同時になかなか難しいものです。

とはいえ、私の場合体調不良にとどめを刺すのは酒の飲み過ぎです。結局は酒を控えれば万事良好?いやいや、ほどほどに愉しみながらなんとか元気に過ごしたいものです。

ランナー膝を防ぐ、走るときのイメージとは

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ランナー膝の悩み

今日は風も穏やかなランニング日和でした。次の東京マラソンまで一月少々、少し長めに本番ペースで走っておこうと30キロ走ってきました。20キロと違って30キロになると練習でもなかなか侮れません。特に足首や膝の痛みが出てしまうとその後しばらく回復に時間がかかるので、いかに痛みを出さないように走るかが課題です。

膝の痛みに悩まされるようになったのは2014年に90キロ程度のトレイルランの大会に出たときからです。富士山の周りの山々を約二日以内にぐるっと回るUTMF(Ultra Trail Mt.Fuji)というレースのハーフ版STY(Sizuoka to Yamanashi)というレースです。序盤にあったなだらかに下り続けるコースを30キロ程度ゆっくりと走っているうちに右膝の外側に痛みが生じてから登りではなんとかなるものの、本格的な山の下りは痛みでどうにもならなくなりました。走力不足とも相まって50キロ地点で夜の12時に関門リタイアとなりました。(ちょいちょいリタイアしています)

その後の診察では膝そのものに故障はなく、腰から膝にかけてある腸脛靱帯が炎症を起こしているということでした。ランナー膝ともよばれるランナーにはよくある故障です。

正しい姿勢がイメージできない

それ以降、この痛みを再発させないようにテーピングなどを含めあれこれ試してきました。しかし、結局のところランニングフォームにつきるということで、体幹をうまくつかって走れるようにと取り組んできたのですが、いまだに身についていません。長年の生活を通して身についた姿勢の悪さはそう簡単には矯正できないようです。そもそも、正しい姿勢?をイメージすることすらできません。

私の基本姿勢は学生時代の本業がギタリスト(冗談です、ただバンドやっていた程度です)だったこともあり、ギターを持ってソロを弾いている骨盤が上を向いている姿勢がすべての基本姿勢になっています。太ももを少し前に出しギターをそこへ乗せるような感じですが絵じゃないとわかりにくいので適当な画像がないかとググってみたら、みなさん思いの外姿勢がよろしいようで。単に自分の姿勢が悪かったことに今!気づきました。(苦笑)

そんな筋金入りの腰抜け姿勢をいかに正常にするか。それが課題です。インナーマッスルと呼ばれる深部の筋肉はある程度動かせるようになってきたのですが、それらを連動させるためには無意識に正しい姿勢をとれるように身体に覚えてもらわないとなりません。そこで今日はそれができるイメージはないかと探りながら走っていたのですが、ちょっと効果がありそうなイメージを発見しました。

ケンタウロス

それは「ケンタウロス」です。そうです、半人半獣のあれです。自分の脚が前脚の二脚で、さらに後ろ脚があることを意識すると自ずと骨盤が前傾し、大臀筋からハムストリングスが以前よりも動かしやすくなり、膝の痛みも出さずに走ることができました。大臀筋を強く意識しながら走っているうちに、なんとなくその後ろにさらに身体があるような感覚になってきたことから生じたイメージです。

我ながらなにをイメージしているのだろうかと皇居の堀端を苦笑しながら走っていました。とはいえこれはいいかも!ということで、東京マラソンに向けて、「ケンタウロス」イメージで練習していこうと思います。

道には知恵の言葉があふれている

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初詣

信心を持とうがもつまいが、正月ともなると初詣に赴きます。信仰と言うよりは年中行事の一つです。私たちは暦に沿って日頃から生活をしていますが、昔ほど自然とのかかわりが薄くなっているせいでしょうか、暦に対する情緒性は薄くなっているように思います。

そんな自覚も有り、以前と比べ少しまじめに初詣するようになってきました。まじめといっても、自分が住んでいる場所の氏神様へ詣でるという程度です。

以前の初詣では今年の目標や抱負を神前で宣言するようにしていましたが、最近はただありがとうございます、がんばります。という挨拶の機会になっています。正月に親戚や古い友人に会うような感覚に近いかもしれません。

そんな距離感のほうが日本の神様には合っているように感じます。いずれにせよ、普段おろそかにしている本来身近なつながりを感じるよい機会です。

書き初めの言葉

普段筆を握ることは全くありませんが、気が向いた年は書き初めなるものもしています。特にテーマやフォーマットが決まっているわけではないので毎年適当です。今年は「実の如く自心を知る」如実知自心にしました。

普段走っている道にあるお寺さんで見かける言葉です。はじめは「実の如く息を知る」と読んで、なんのことだろうと疑問に思い調べてみると息でなく自心の間違いでした。そんな縁で意味も知ることとなりなかなか印象深く心に刻まれていたことが背景です。

普段身近にある神社やお寺さんに掲げられている言葉には味わい深いものが多いですね。朝ランのコースにある神社とお寺を数えると、わずか5キロのコース上に10軒(社)以上もあります。キリスト教会も2軒あります。折に触れ、そこで見かける「和言愛語」や「大丈夫」といった数々の言葉に励まされています。

大切なことはいつも身近にある

技術進歩やグローバル化という大きな変化の中にあって、つい焦りや不安が強くなるなか、しっかりと日々を生きていくうえで大切なことは意外に身近なところや人にあることを日増しに感じるようになってきました。

ネットの力でたくさんの人とつながることができるようになっても深く接することができる人の数には限りがあります。グローバル化が進んでも文化の多様性が失われることはありません。人間中心で物事を考えると変わらぬこともたくさんあります。

それゆえに、新たな技術やグローバルの流れをとらえるだけでなく、身近にある機会にも敬意と関心を払っていくことが変化に翻弄されない一つの方法であるように感じています。

さて、今年も仕事始めの1月4日に品川オフィスのメンバーと初詣に行ってまいりました。先人の知恵もお借りして今年もいい仕事を増やしていきたいと思います。

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メガネ万歳2016! 今年もっともインパクトのあった一冊

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印象に残る本ってなんだ?

今年もメガネのおかげで沢山の活字に触れることができました。そこで今年も印象に残った本をご紹介しようとふり返ってみたのですが、今年は一冊の本の影響を強烈に受けていたことがわかりました。

書籍や新聞雑誌、インターネットからの文書情報を対象に、その情報に触れたことで思考をぐるぐるさせたかそうでなかったかを縦軸とし、日常の行動に影響を与えたかどうかを横軸にして、触れた情報量をおおざっぱにプロットしてみたところ次のようなグラフができました。

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人間は普通に生きていくだけでもたくさんの情報にふれて常に判断を繰り返しているので新聞やニュース関連のWebのように毎日ふれいているものを中央においてみました。dの円がそれに当たります。一番身近な情報グループですので円の大きさが示す情報量も最大です。社会的に大きな事件や事象が発生してそれが自分にとっても重要でかつ緊急なことであれば新鮮な情報を欲しますのでdはより大きくなります。また、その他の活動に対する余裕がなくなると他のグループは小さくなりばらつきも中央によってくるでしょう。

そんなきわめて主観的かつ相対的な視点でざっくり分けてみました。cはビジネス関連でよく売れている書籍や雑誌が該当しています。bになると世の中で売れているかどうかは関係なくなります。問題意識を掘り下げていく上で読んだ本が中心です。cとbについてはある程度自分の意思や興味がはじめに有り、意図的に読んだ本ばかりです。

偶然の出逢い

今回aに該当する一冊は人から進められて読んだ本でした。精神科医で当社の産業医でもある松崎一葉さんからのススメでした。世の中人も会社も健康ブームといっていいような時代ですが、当社も組織としての健康をしっかり築いていこうと様々な取り組みを始めています。その取り組みに松崎さんからもご指導をいただいています。その中で試験的に実施した心理分析テストに私自身も参加したときのことです。結果のフィードバックでこの本を読むといいと勧められたことがきっかけでした。

読みやすい本で、一度読み始めるとノンストップで読み切ったのですが読後しばらく軽い鬱になりました。最初は文章に書かれていた事象を心の中でイメージに変換しその想像した映像になんとも言えないやるせなさを感じていた程度だったのですが、数日経つと「この感情はなんだろう」と内省せずにはいられないような感覚に陥っていきました。

そして二週間ほどの軽い鬱状態が続いたあと、次第に夜霧が晴れるように心が軽くなっていきました。その二週間は「人生に意味はない」ということがなんとなく腹落ちするまでにかかった時間でした。

人生の意味は自らつくるもの

「人生に意味はない」というとネガティブに聞こえるかもしれませんが、人生の意味は最初から存在しているのではなく、自分でつくるものだという前向きなものです。

宇宙や自然そのものには本来意味など存在していなかった。そこに意味を持たせたのは人間である。しかし「意味」というものを自ら産み出したことを人間は次第に忘れてしまった。だから、意味を探してしまうのだ。人生にはそもそも意味など存在していない、だからそこ自らその意味を創るのだ。そんな風に勝手解釈して受け入れました。

わかったように書いていますがなんとなくそんな感じという程度です。それでも、インパクトは大きいと感じています。むしろこれから効いてくるのかもしれません。

自然をありのままに見ていくと、人間から見て残酷な世界が広がっています。そんな現実と人間社会のギャップや、自分自身の理想と現実のギャップに無自覚の強いストレスを感じていると松崎さんに看破されたようです。

言葉でのフィードバックはほとんどありませんでした。処方箋としての本を一冊薦められただけといっていいのですが、その処方箋の効き方はテキメンでした。最高の名医です。 

V・E・フランクルという精神科医の書いた本

さて、その本ですが、Viktor Emil Franklの「夜と霧」です。初版は1947年です。ユダヤ人精神科医が収容所での体験を記したものです。究極の体験を書いたものからは強い刺激を受ける場合が多いですね。モーリス・エルゾーグの「処女峰アンナプルナ」という登山体験記も昔読んで読後しばらく軽い鬱になった本の一つです。

いずれも当事者が書いた実体験です。フィクションとは一線を画すなにかがあります。アンナプルナは登山家が書いていますが、夜と霧を書いたのは精神科医です。冷徹に人間というものを見つめています。

 今年も印象に残った三冊+一冊を手元に持ってきて書き始めたのですが、フランクルが突出しすぎていたようです。今年は、「夜と霧」この一冊とすることにします。

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自分の身体との対話がもたらすスマートエイジング

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上野原秋山トレイルを走ってきました

今日は上野原秋山トレイルを走ってきました。冬の陽光の中、晩秋の風情残る落ち葉の絨毯の中のランニングクルーズです。今年最後のレースは昨年同様、一年のご褒美にように気持ちのよいレースでした。

今年は2月の東京マラソンを始めに、フルマラソン2本、ハーフマラソン1本、ロングトレイル(50キロ超)1本、ミドルトレイル1本(30キロ超)そしてショートトレイル6本の合計11レースに参加しました。多少のばらつきがありますが、ほぼ月1本のペースです。

ロングトレイルのように10時間を超えて走るものは身体へのダメージが大きいので今年は1本にしました。一方、ショートトレイルは高負荷をかけられる割にはダメージが小さいので回数を増やしました。

トレランを始めた頃は、ミドル以上の長距離レースに出ることに楽しみを見いだしていたため常にオーバートレーニング状態だったのですが、ショート中心の今年は比較的良好なコンディションを維持することができました。

そんなこともあり、今日の上野原秋山トレイルのようにショートのほうが単純に楽しいと思えることが増えてきました。

走っている時に考えていること

私にとってのレースの醍醐味は、走りに集中できることです。普段のトレーニングではなかなか集中することはできません。気がつけばあれこれ考えながら走っています。あまりに集中できないので今ではそれでいいと割り切っています。

ところが、集中できないと「自分の身体との対話」ができません。自分の身体との対話とは、その時のコンディションや身体の動きコースや天候、これまでの経験や知識などを総動員して瞬間瞬間の動きをコントロールする総合的な動作です。

本来歩いたり走ったりという行為は普段なにも考えずに自然にしていることです。ところが、トレイルのレースでリタイアを重ねるうちに自己流や勢いでは問題解決することができず、いろんな方のアドバイスや知識を取り込み活かすようになるほど動作を産み出す人間の身体というものが面白く感じられるようになりました。

その実験台が自分自身であり、実験場がレースです。自分の身体と対話しながら、自分の身体に起きていることを知識とつなげて実験していくことはとても楽しいものです。

レースは健康管理を結果からプロセス中心に転換する

仕事のみならず生きていくためにはなによりも健康第一であるということを本気で思い始めたのは10年ほど前のことです。当時の仕事の負荷に身体が耐えられなくなりつつあった課程で、結局は心身の健康がすべてだと考えるようになりました。

もちろん当時も健康には気を遣っていました。しかし、人間ドックの検診結果に悪いものがあっても日常生活に影響を及ぼすことがなければ、習慣をあらためることはありませんでした。成人病予備軍の状態を当たり前のように受け流していました。

トレランなどのレースに参加するようになってからは自分の限界値を知るだけではなく、自分の身体との対話を通してこれまで以上に身体の動かし方から食、睡眠まで工夫するようになりました。その結果レースの結果だけでなく、人間ドックの数値もあきらかに改善しました。

人間ドックも重要ですが結果中心の健康管理にしかなりません。一方、このように定期的に自分の身体と対話する機会をもつことで日々の生活プロセスが健康管理が中心になるため、身体のエイジングが顕著になる中年以降の健康管理にはとても役に立つと感じています。

余談ですが、今年のショート中心のレース結果から「人間の身体における老化とは、リカバリー能力の低下である。高負荷に耐えられなくなるのではなく、高負荷に対する回復力が低下するのである。」という説はかなりの確率で正しいと実感しています。ここに自然に反するアンチエイジングではなく、自然を受け入れるスマートエイジングの方向感があると思います。

 

さて、昨年の上野原秋山トレイルから始まったブログですが、今日から二年目に入ります。これからも健康第一で無理せず対話を楽しんでいこうと思います。

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東洋的スーパーリカバリーメソッド実験中

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富士山マラソンに参加してきました

今日は第5回富士山マラソンを走ってきました。初めてのフルマラソンが富士山マラソンの1回目だったこともあり、以来毎年参加しています。河口湖と西湖を外周するコースで11月の最終日曜日に開催されるので、天候に恵まれると富士山と紅葉と湖を堪能しながら走ることができます。

また、リゾートマラソンらしくエイドステーションもかなり充実しています。レース途中でも、味噌汁、おにぎりをはじめ、かなりしっかり腹ごしらえができます。ゴール近くでは地元名産の吉田うどんまで振る舞われます。

今年は先日の雪の影響で開催が危ぶまれ、今日も朝から雨模様という状況であったにもかかわらずスタートする頃には日差しも戻り、雲がかかってはいましたが富士山も姿を見せていました。エイドステーションにもしっかりお世話になりながら、なかなか気持ちよく走ることができました。

なぜかペースが上がらない

それほど恵まれた環境ではあったのですが、今日は最初からペースがあがりませんでした。体調が悪いわけではありません。オーバートレーニングになるほど身体に負荷もかけていません。気力についても普段と特段違いはありません。粛々と走るのみと臨んでいました。

走り始めてから血流が全身に回り始めるまで少し時間がかかるので、いつものように最初は抑え気味であっても数キロ走ってからは安定するだろうとそのときを待っていたのですがいつまでたってもまったくペースが上がってきません。

「あれか?」「そんなに影響あるのか?」「うーん」頭の中で自問自答です。普段と一つだけ違いがあるとすれば、昨日「鍼灸治療」を受けたことです。これまで鍼灸治療の経験は無かったのですが、身体のリカバリーに効くのだろうかと興味をもって自分の身体で実験してみようと体験してきたものです。

東洋的アプローチも面白い

治療中に鍼治療の理屈を簡単に教えていただいたのですが、なかなか奥が深く正直よくわかりませんでした。ただ、患部に物理的刺激を与えて回復させるという点では、負荷をかけ筋繊維を破壊してより強くしていくスーパーリカバリー(超回復)という筋トレと同じ原理をより繊細に特定部署に与えているのだろう程度に考えていました。

にもかかわらず今日の状況です。「それにしては、ちょっとインパクトが強くないか?」と走りながらとても気になりました。オーバートレーニングのときの筋疲労であれば心拍数が上がります。しかし、今日は心拍数は同じペースでも普段よりも低いほどです。無理矢理ペースを上げると鍼を脹ら脛に打った場所チクッとした刺激が入り、そのまま力が抜けてしまい失速するのです。それでいて、一定のペースであればなんの問題もありません。

患部がリカバリーするまで無理しないようにリミッターが入っているような感じでした。さすがに長時間走り続けているうちにリミッター効果も麻痺したのか、残り5キロでようやくペースを戻すことができました。

さて、この東洋的スーパーリカバリーメソッドとも言える鍼灸治療。今後の効果の是非について楽しみが増しました。