◇ ニュージェネレーション
四月になり、アバントグループにも新たに新卒のメンバーが20名やってきました。当社の正式な新卒採用は2003年4月入社組からですので、今年で14期ということになります。はじめは新卒といえども、歳の離れた兄弟程度の年齢差だったのでメンバーに対しても兄貴的な感覚でしたが、今ではすっかり親父モードです。
◇ イノベーションのジレンマ
ところで話は変わりますが、事業の継続発展においてイノベーションは欠かせません。私がイノベーションという言葉からまず思い出すのは、「イノベーションのジレンマ」(手元の日本語版は2000年1月発行)という本です。
私の勝手解釈では、著者のクレイトン・クリステンセンという人がイノベーションというものを、すでにあるものを改良していくイノベーション(持続的イノベーション)と、新たな技術やビジネスモデルを背景にすでに存在しているなにかを代替するイノベーション(破壊的イノベーション)に分類し、優良企業という勝ち組企業、つまり大きく成功したビジネスモデルを持つ企業が利益を最大化するための適切な投資活動を追求すると将来を担う破壊的イノベーションを生み出すことができずに衰退するということを言っていたものです。
イノベーションという言葉が中心にあるのですが、成熟企業が新たな成長を作り出す困難さを記したものでもあり、その後の優良企業によるベンチャー企業に対するM&Aブームを見てもイノベーションだけにとどまらずインベストメント、つまり企業の投資方針にも大きな影響を与えた一冊なのではないかと感じています。
◇ イノベーションとは新結合
イノベーションの訳語としては「技術革新」という言葉が一般できでしょうか。だとすると、この訳語がイノベーションの本来持つ意味を限定しているのかもしれません。私にとってのイノベーションは「新結合」です。
法学者で経済学者でもあった小室直樹さんの「資本主義のための革新」、これもイノベーションのジレンマを読んだ頃に熟読した本の一つですが、その中で20世紀前半の代表的経済学者の一人であるシュンペーターにかなり紙幅を割いていたのですが、そこでイノベーションを「新結合」と訳されていたことが背景であると記憶しています。小室さんの著書には当時かなり影響を受けました。
(なにぶんかなり昔の話を記憶ベースで書いているので、こちらは再確認します。)
イノベーションという言葉を読んだり、話したりするときの日本語が「技術革新」であるのと「新結合」であるのは受ける印象がかなり違いませんか?新結合という言葉が持つ語感は、これまであったものが新たに結びつくことで新たななにかが生まれるということです。
スティーブジョブスの有名なスピーチで触れていたConnecting the dotsと同じ感覚です。つまり、原子が結合して分子ができることも、異なる分野の事業が協業することで新たな事業をつくることも、異なる文化同士が出会って新たな文化ができることも、人と人が出会って新たな家族ができることも、すべて「新結合」という文脈では同じものであるということになります。
小室さんの著書のおかげで、当時より私はイノベーションを技術の革新ではなく、ばらばらであった点を結びつけて新たな価値を創造する力であると定義してきました。
◇ 新結合は「うぉー!」から生まれる?
さて、Connecting the dotsが価値を創造するとなると、そもそもdots、つまり点が複数必要です。であれば、たくさんの経験、点を増やそうということになりますが、それだけでは新結合が生まれません。それを結びつける力がより重要なのです。
たとえば、同じ講演や本を読んでも、そこから何かを得られる人と、そうではない人がいた場合、前者の方が結合力が強いということになります。なにかから意味を見いだす力は以前触れた「有意味感」と同様です。経験の多さもさることながら、限られた経験からも価値を見いだす力、創造力が欠かせません。
では、結合、コネクトする力はどこから生まれるのでしょうか。パッションというよりももっと根源的なデザイア(欲望)というところにあるように思います。異なる点を結合するのはかなりのエネルギーが必要です。実際問題、普通に生活できていればわざわざ使わなくてもよいエネルギーです。そのエネルギーを生み出すのは理屈ではなく、思わず声を出して走りたくなるような情動、「うぉー!」っていうなにかが必要です。
イノベーションにつながるデザイアとは、この「うぉー!」が個人だけにとどまらず人や技術などの点を結びつけるまで強くなるものでしょう。起業家の共通項を調査した資料(すいません、こちらも記憶ベースです)で、その一つに「理不尽に対する怒り」のようなことが書いてあったことが印象に残っているのですが、言い換えると周囲の共感、協力を得られる問題解決に対する純粋なリーダーシップというものですが、これなどイノべーションを産み出す「うぉー!」の典型例ですよね。
◇ トランスフォーメーションの限界
イノベーションを継続的に産み出すための組織変革に、組織のトランスフォーメーションという言葉を使う場合があります。組織を変革する、新たな環境に適応するように脱皮するというような文脈で利用します。
事業再編のように業務組織のあり方を見直したり、システムの導入によりITを活用して業務プロセスの無駄を減らしたり、ワークシェアリングや自宅勤務のように仕事の仕方を変えたり、女性や高齢者の積極活用など人員構成を見直したりその対象とする範囲は大変幅広いものです。
組織の脱皮、労働環境の改善はもちろん重要なことです。しかし、このトランスフォーメーションは持続的イノベーションと同様、事業の継続発展に欠かせない破壊的イノベーションを取り込むには不十分であると感じています。便利さや合理性の追求だけではイノベーション、新結合を産み出すだけのエネルギーをつくることができないからです。なにか、組織的情動が足らない感じがします。
企業ではM&Aはトランスフォーメーションを誘発する大きな環境変化をつくる一つの手段ですが、新結合につながる例は極めてまれであり、トランスフォーメーションの範囲内、つまり規模のメリットによる合理化や事業ポートフィリオの入れ替えにとどまることが大半という印象があります。結局のところ、内発的に「うぉー!」を産み出せるようにならないと、いずれ限界がくる。そう強い危機感を持っています。
◇ うぉー!を増やす、トランスジェネレーション
そんな危機感のもと、持続発展する企業を目指すのであれば、「トランスジェネレーション」という視点が欠かせないと考えるようになりました。
世代をつなぐ人間としての義務を果たすということです。
江戸時代のように、「そろそろ隠居でもして・・・」というのとは違って組織としての「うぉー!」の最大化に生き物としてのライフサイクルを意識しながら取り組むというものです。家族であれば普通に行われていることです。
前回のブログで、経済活動の変遷は単なる技術的な変化だけではなく、世代(ジェネレーション)のネイティブ性、つまりある一定の世代において同じような経験や情報を共有した集団の持つ価値観や行動習慣のインパクトも大きいということに触れましたが、社会的イノベーションとは、新たな世代が過去から引き継がれてきた技術を自分たちの価値観にアップデートしたものと見ることができるように思います。
言い換えると、イノベーションは、技術そのものの発明進歩によってのみではなく、新たな価値観を持つ世代との結合によって破壊力を持つということです。
となると、組織トランスフォーメーションにおいてイノベーションにとって重要なことは世代を超えた結合を新たな世代に向けた一方向のベクトルで加速させることであるということになります。
この世代を超えた結合を推進するには、世代間の点をつなぐことへ「うぉー!」となる人々が欠かせません。
イノベーションの議論においてテクノロジーの影響や、イノべーションを産み出す組織のあり方に関する話はたくさんありますが、もし、教科書どおりにやっても結果がでないのであれば、ともすれば組織の重しとなる人々が、「うぉー!」の最大化に「うぉー!」となっていないことに問題があるのかもしれません。
「うぉー!」っていうのは、自分のデザイアの延長線上からしか生まれません。それができなければ本当にご隠居様です。
なんだか、叫んでばかりでなにを書いているのか訳わからなくなってきましたが、新卒の新たなメンバーを前にして、トランスジェネレーションへの「うぉー!」の体温が上がりましたという話です。