THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

そもそも、公器としての会社とは

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◇ コーポレートガバナンス強化の目的は

コーポレートガバナンスに関する話題が増えました。上場企業に対するガバナンスコードの適用や、それにともなう社外役員を筆頭とした外部の発言力の向上も背景にあると思いますが、そもそもなぜ上場企業の経営者に対して外部からの牽制機能がこれほど重視されるのでしょうか。

長らく続く日本経済の低迷を脱却するために、国際的に見て稼ぐ力が弱い日本企業の経営者に外部からプレッシャーをかけて稼げる会社にしようということが背景です。

経営者が、職務に対する暴走と怠惰を長期にわたり補正して価値創造に集中するには、良質のフィードバックが得られる経営者の対するコーチ陣の確保と、自立的に経営者の暴走と怠惰が修正できない場合はそれを強制的に修正する力をもつ仕組が欠かせません。

ガバナンスの強化は、職務に忠実な経営者であれば自身を含むすべての関係者にとってプラスに働くはずです。ただし、経営者ならびにコーチ陣が会社をどのように位置づけるかによって、その結果として生じる社会の姿はかなり違ったものとなるでしょう。

  

◇ そもそも企業をどう位置づけるのか

企業とは営利を目的とした組織です。現在のグローバル資本主義はひたすら企業の収益向上を突き詰めるものです。大航海時代のスペインやポルトガルが新大陸などへ大船団を送り富の簒奪を行ったことや、帝国主義時代のイギリスなどの列強諸国が植民地政策を通してやはり世界中から富を集めたようなことが、現在も姿を変えながら続いているように思えてなりません。資本主義経済における企業とは、往時の船団やそこから生じた国策会社の延長線上にあります。

一方、日本の会社は、明治期に欧米と対等な関係を獲得するために国際法に準拠し欧米なみの法律を持つことが必要だったため、法的には同等の立て付けとなっていますが、それ以前より育まれてきた組織を社会の公器と位置づけ個人のためよりも社会のためにあるという共同組合的な感性をもって実際には経営されてきました。日本に100年以上続く会社が約26000社と、他国と比べて圧倒的に多く存在していることはその査証の一つと言えます。

 

◇ 公器が増えれば社会はよくなる

では、公器とはどのようなものなのでしょうか。私は、「良質な雇用を増やせる組織」であると考えています。会社は公器であるべきということは社会人になる前から持っていた思想ですが、公器が良質な雇用を増やすことできる組織であるという考えは時間をかけてたどり着いたものです。

終身雇用を言っているわけではありません。一つの会社が人の一生の成長機会を提供することが難しい時代です。よって、人の成長を促すための流動性は必要です。しかし、流動性の向上が不安定な雇用を増やすことになっては本末転倒です。

また、収益性を犠牲にしてもいけません。価値の創造を追求し、収益性の向上を伴う良質な雇用の増大を目指すというものです。

日々の経営判断において「カネ」を第一の置くのか、公器として「人」を第一に置くのかによってその結果から生まれる会社と社会はかなり異なるものとなるでしょう。おそらく、その違いは経済格差というもので現れると思います。

会社を公器と位置づけ、実業、つまり良質な雇用の増大を伴う事業の拡大を徹底するために経営者を集中させるためのガバナンスとして日本のコーポレートガバナンスが進歩することを願いつつ、自分のできることとして、日々、公器としての経営判断を徹底するように社内外のコーチ達と切磋琢磨しています。

 

 

 

連結会計、コーポレートガバナンスのための会計①

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先日、とある取材がありました。その取材は「連結会計とは」との問いから始まりました。そこでは、会計ビックバンとよばれた2000年以降、企業会計では当たり前となった連結会計を、今また改めて触れる時期であることを意識しながら話をしました。

 「コーポレートガバナンス」という話題が企業経営において大きく取り上げられるようになったことが背景です。2015年6月よりコーポレートガバナンスコードがすべての上場企業に適用されました。社会の経済において重要な要素である会社の発展のために、経営者が暴走することも怠けることも許しませんよという当たり前とも言える暗黙の了解をあえて明確にしたものです。

 現在のガバナンスの論点は社外役員などからの牽制機能に注目が集まっていますが、それは人間の健康管理で言えば定期的にお医者さんに健康状態を見てもらうようなものです。その場の見立てやアドバイスも重要ですが、健康は日常の自己管理でつくられるものですからそれだけでは不十分です。

 連結会計は会社が健康であるための自己管理ツールです。そして、そのツールは開示という情報を外部公開することによって本来の価値を発揮することができるという性格を持っています。

 このコーポレートガバナンスのための会計である連結会計について、実務ではなく大まかな概要をこれから数回にわけて触れてみたいと思います。初回は、生まれた背景についてです。

 

◇ 米国生まれの連結会計

現在の会計の基本をなす、人類最高の発明の一つとドイツの文豪ゲーテに言わしめた複式簿記の歴史は古く12世紀頃には存在していたようです。複式簿記は商売を営む上で必要なすべての活動をなにかとなにかの取引として記録するものです。

 すでに実学として存在していた複式簿記の考え方を社会の健全な発展に役立てようとイタリアの数学者ルカ・パチョーリが「スムマ」という著書にして出版したことから、複式簿記といえばパチョーリというイメージがあります。スムマはパチョーリが思ったほどは売れず、重要性は認められたものの、実社会においてはだれもが使いたくなるような技術では無かったそうです。

 複式簿記によって記録された取引は、財務諸表と呼ばれる複数種類の集計表に一定の期間ごとで集計されます。パチョーリの生きた大航海時代であれば、船団の航海ごとに成果を分け合うために集計すればすみましたが、継続的に事業活動を行う株式会社はそうはいきません。目的や強制力はそれぞれですが多くの会社は年や三ヶ月や月ごとに財務諸表を作成しています。

 これらの財務諸表を結合する連結財務諸表は19世紀後半に米国の鉄道会社によって報告されるようになりました。

 米国全土の鉄道が広がるに際してたくさんの鉄道会社が生まれました。鉄道はお互いがつながり同じサービスが提供されるほうが便利です。また、鉄道を敷くには大きな資本が必要ですから、ばらばらに経営したり資金調達するよりも、一緒にやったほうがよいわけです。

 ところが、当時は現在以上に州の権限が強かったので、それぞれのローカル法に準拠してつくられた会社を法的に吸収合併して一つの会社とするよりも、個々の会社をそのまま持ち株会社にぶらさげる形で資金調達と経営の統一を図るほうが合理的だったことからグループ会社型の経営統合が進みました。一度できあがった会社を一つに統合するのは簡単なことではありません。

 そこで、資金調達のための投資家に対する説明をしやすくするために、連結会計という異なる会社を結合する会計表現が生まれました。その後、20世紀に入り米国では本格的に連結会計が普及しますが、初期段階の普及の背景には情報を開示する企業側にとってメリットが大きかったことが背景にあります。社会的にも、為政者自体が今よりも暴走と怠惰を容認していた時代です。

 とはいえ、連結会計とは開示のために生まれた会計であるということが原点です。その意義は、開示という行為がもたらす意味がインターネット時代に入り大きく変わったことによって大きく変容することになります。(続く)

 

 

 

 

 

 

うぉー!を増やす! トランスジェネレーション!

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◇ ニュージェネレーション

四月になり、アバントグループにも新たに新卒のメンバーが20名やってきました。当社の正式な新卒採用は2003年4月入社組からですので、今年で14期ということになります。はじめは新卒といえども、歳の離れた兄弟程度の年齢差だったのでメンバーに対しても兄貴的な感覚でしたが、今ではすっかり親父モードです。

 

◇ イノベーションのジレンマ

ところで話は変わりますが、事業の継続発展においてイノベーションは欠かせません。私がイノベーションという言葉からまず思い出すのは、「イノベーションのジレンマ」(手元の日本語版は2000年1月発行)という本です。

私の勝手解釈では、著者のクレイトン・クリステンセンという人がイノベーションというものを、すでにあるものを改良していくイノベーション(持続的イノベーション)と、新たな技術やビジネスモデルを背景にすでに存在しているなにかを代替するイノベーション(破壊的イノベーション)に分類し、優良企業という勝ち組企業、つまり大きく成功したビジネスモデルを持つ企業が利益を最大化するための適切な投資活動を追求すると将来を担う破壊的イノベーションを生み出すことができずに衰退するということを言っていたものです。

イノベーションという言葉が中心にあるのですが、成熟企業が新たな成長を作り出す困難さを記したものでもあり、その後の優良企業によるベンチャー企業に対するM&Aブームを見てもイノベーションだけにとどまらずインベストメント、つまり企業の投資方針にも大きな影響を与えた一冊なのではないかと感じています。

 

◇ イノベーションとは新結合

イノベーションの訳語としては「技術革新」という言葉が一般できでしょうか。だとすると、この訳語がイノベーションの本来持つ意味を限定しているのかもしれません。私にとってのイノベーションは「新結合」です。

法学者で経済学者でもあった小室直樹さんの「資本主義のための革新」、これもイノベーションのジレンマを読んだ頃に熟読した本の一つですが、その中で20世紀前半の代表的経済学者の一人であるシュンペーターにかなり紙幅を割いていたのですが、そこでイノベーションを「新結合」と訳されていたことが背景であると記憶しています。小室さんの著書には当時かなり影響を受けました。

(なにぶんかなり昔の話を記憶ベースで書いているので、こちらは再確認します。)

イノベーションという言葉を読んだり、話したりするときの日本語が「技術革新」であるのと「新結合」であるのは受ける印象がかなり違いませんか?新結合という言葉が持つ語感は、これまであったものが新たに結びつくことで新たななにかが生まれるということです。

スティーブジョブスの有名なスピーチで触れていたConnecting the dotsと同じ感覚です。つまり、原子が結合して分子ができることも、異なる分野の事業が協業することで新たな事業をつくることも、異なる文化同士が出会って新たな文化ができることも、人と人が出会って新たな家族ができることも、すべて「新結合」という文脈では同じものであるということになります。

小室さんの著書のおかげで、当時より私はイノベーションを技術の革新ではなく、ばらばらであった点を結びつけて新たな価値を創造する力であると定義してきました。

 

◇ 新結合は「うぉー!」から生まれる?

さて、Connecting the dotsが価値を創造するとなると、そもそもdots、つまり点が複数必要です。であれば、たくさんの経験、点を増やそうということになりますが、それだけでは新結合が生まれません。それを結びつける力がより重要なのです。

たとえば、同じ講演や本を読んでも、そこから何かを得られる人と、そうではない人がいた場合、前者の方が結合力が強いということになります。なにかから意味を見いだす力は以前触れた「有意味感」と同様です。経験の多さもさることながら、限られた経験からも価値を見いだす力、創造力が欠かせません。

では、結合、コネクトする力はどこから生まれるのでしょうか。パッションというよりももっと根源的なデザイア(欲望)というところにあるように思います。異なる点を結合するのはかなりのエネルギーが必要です。実際問題、普通に生活できていればわざわざ使わなくてもよいエネルギーです。そのエネルギーを生み出すのは理屈ではなく、思わず声を出して走りたくなるような情動、「うぉー!」っていうなにかが必要です。

イノベーションにつながるデザイアとは、この「うぉー!」が個人だけにとどまらず人や技術などの点を結びつけるまで強くなるものでしょう。起業家の共通項を調査した資料(すいません、こちらも記憶ベースです)で、その一つに「理不尽に対する怒り」のようなことが書いてあったことが印象に残っているのですが、言い換えると周囲の共感、協力を得られる問題解決に対する純粋なリーダーシップというものですが、これなどイノべーションを産み出す「うぉー!」の典型例ですよね。

 

◇ トランスフォーメーションの限界

イノベーションを継続的に産み出すための組織変革に、組織のトランスフォーメーションという言葉を使う場合があります。組織を変革する、新たな環境に適応するように脱皮するというような文脈で利用します。

事業再編のように業務組織のあり方を見直したり、システムの導入によりITを活用して業務プロセスの無駄を減らしたり、ワークシェアリングや自宅勤務のように仕事の仕方を変えたり、女性や高齢者の積極活用など人員構成を見直したりその対象とする範囲は大変幅広いものです。

組織の脱皮、労働環境の改善はもちろん重要なことです。しかし、このトランスフォーメーションは持続的イノベーションと同様、事業の継続発展に欠かせない破壊的イノベーションを取り込むには不十分であると感じています。便利さや合理性の追求だけではイノベーション、新結合を産み出すだけのエネルギーをつくることができないからです。なにか、組織的情動が足らない感じがします。

企業ではM&Aはトランスフォーメーションを誘発する大きな環境変化をつくる一つの手段ですが、新結合につながる例は極めてまれであり、トランスフォーメーションの範囲内、つまり規模のメリットによる合理化や事業ポートフィリオの入れ替えにとどまることが大半という印象があります。結局のところ、内発的に「うぉー!」を産み出せるようにならないと、いずれ限界がくる。そう強い危機感を持っています。

 

◇ うぉー!を増やす、トランスジェネレーション

そんな危機感のもと、持続発展する企業を目指すのであれば、「トランスジェネレーション」という視点が欠かせないと考えるようになりました。

世代をつなぐ人間としての義務を果たすということです。

江戸時代のように、「そろそろ隠居でもして・・・」というのとは違って組織としての「うぉー!」の最大化に生き物としてのライフサイクルを意識しながら取り組むというものです。家族であれば普通に行われていることです。

前回のブログで、経済活動の変遷は単なる技術的な変化だけではなく、世代(ジェネレーション)のネイティブ性、つまりある一定の世代において同じような経験や情報を共有した集団の持つ価値観や行動習慣のインパクトも大きいということに触れましたが、社会的イノベーションとは、新たな世代が過去から引き継がれてきた技術を自分たちの価値観にアップデートしたものと見ることができるように思います。

言い換えると、イノベーションは、技術そのものの発明進歩によってのみではなく、新たな価値観を持つ世代との結合によって破壊力を持つということです。

となると、組織トランスフォーメーションにおいてイノベーションにとって重要なことは世代を超えた結合を新たな世代に向けた一方向のベクトルで加速させることであるということになります。

この世代を超えた結合を推進するには、世代間の点をつなぐことへ「うぉー!」となる人々が欠かせません。

イノベーションの議論においてテクノロジーの影響や、イノべーションを産み出す組織のあり方に関する話はたくさんありますが、もし、教科書どおりにやっても結果がでないのであれば、ともすれば組織の重しとなる人々が、「うぉー!」の最大化に「うぉー!」となっていないことに問題があるのかもしれません。

「うぉー!」っていうのは、自分のデザイアの延長線上からしか生まれません。それができなければ本当にご隠居様です。

なんだか、叫んでばかりでなにを書いているのか訳わからなくなってきましたが、新卒の新たなメンバーを前にして、トランスジェネレーションへの「うぉー!」の体温が上がりましたという話です。

 

食と情報、人間は五感から得た情報でできている?

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◇ 身体は食べたものでできている

以前、二ヶ月で一割体重を減らす方法というテーマで触れましたが、そのダイエット方法は一言で云うと「食の見直し」によるダイエットです。健康のための食というテーマに関心をもったのはこれが初めてでした。

以前はせいぜいカロリーを気にする程度で、加齢により基礎代謝が落ちて内臓脂肪を中心に太ってくると、食を改善するのではなく、運動により消費カロリーを増やすことでバランスをとっていました。

しかし、トレイルランを始めてから、従来の生活の延長線上では超えられない壁がいくつもあり、その克服方法を試行錯誤するうちに運動で負荷をかける以上に、リカバリーの重要性に気づかされ、その延長線上で食に関心が及ぶようになりました。

ようやく試行錯誤が始まったばかりなので自分なりの食に関する一家言はまだ持ち得ていないのですが、ただ「身体は食べたものでできている」という、至極当然な基本原則を普段から強く意識するようになりました。

 

◇ ミレニアル世代

ところで先日、経済同友会から送られてきたレポートを眺めていたところ、興味深いものがありました。

www.doyukai.or.jp

ミレニアル世代と呼ばれるおおよそ1980年から2000年に生まれた世代が社会の中心を為す時代にむけて、旧世代はその変化をどのように認識して対応すればよいのかということをまとめた報告書です。 

ほぉ、そんな世代論があるのかと調べてみると、私はジェネレーションX世代だそうです。日本では「新人類」。ふと、原宿がタケノコ族の聖地だった時代が蘇りましたが、そんな言葉もあったなという程度です。だいたい、そんな名前がつけられていた時代は、社会からどのように呼ばれようとそんなことはお構いなしでした。現在のM世代のみなさんも同様でしょう。

とはいえ、かつての新人類も、すでに旧人類です。

 

◇ ネイティブであること

ミレニアル世代の報告書に興味を覚えたのは、事業モデルのライフサイクルの考え方とリンクするものがあったからです。

私は、自分たちが属する事業環境の変化を捉える上で、ホストネイティブ、クラサバネイティブ、クラウドネイティブと勝手に命名して各世代の思考や消費行動、ビジネスモデルの違いなどをおおまかに眺めているのですが、ミレニアルの話は、まさにクラウドネイティブと呼んでいる世代のことでした。

私が社会人になった頃はちょうど、ホストコンピュータやオフコンと呼ばれたビジネス専用機に占有されていた企業の情報処理において、パーソナルコンピュータの利用が始まろうとしていた時代でした。

私たち新人類世代は、中学や高校生の頃にAppleIIを知り、学生時代からNECの88や98をはじめとしたIBMPC互換機になじんでいたので、社会に出た頃にはパソコンは特別な存在ではありませんでした。

そういう環境で育ってホストベースのシステム開発に携わると、価格性能比を中心に早期にダウンサイジングが進むだろうと言うことは考えるまでもなく感覚として理解し、クライアントサーバー型と呼ばれる、パーソナルコンピューターの延長線上でくみ上げるシステムが中心となっていく一連の波に自然体で乗っていくことができました。

一方で、クラサバネイティブの私たちから見れば、ホストネイティブと勝手に呼んでいる社会人になる前からパソコンに触れていない世代のパソコンビジネスのとらえ方を、感覚的に違うんだよなぁと当時感じていたことを記憶しています。

英語などの語学ではネイティブという言葉は一般的ですが、日本で社会人になるまで日本語だけで生活をしてきた人が、どれほど英語の勉強をしても、ネイティブにはなれないのと同じように、ものの考え方に影響をおよぼす思想や技術においてもネイティブ性があることを感じた原体験です。

 

◇ デジタルネイティブ

そのような経験から、個人と情報とのかかわり方ががらっと変わったインターネットに子供の頃から触れている世代はあきらかに自分がネイティブとなることができないと感覚的に理解しています。

もちろん、デジタル化の恩恵は受けていますし、活用もしていますが、デジタル情報として見る新聞の情報と、紙の新聞を通して得る情報は、文字情報としては同じはずなのですが、机に新聞を広げ、全体を俯瞰しながら記事を読むほうが、なぜか思考が活性化します。

本も同様です。出張などではキンドルもかなり便利なのですが、気に入ったものは紙の本も買ってしまいます。紙の上の活字から得るインスピレーションと、デジタル化した情報から得るインスピレーションは情報としては全く同じはずなのですが、なぜか違います。慣れの問題もあるかもしれませんが、不思議なものです。

 

◇ 情報とのかかわり方と世代論

世代論を見ていると、世代という分類が生じる背景には、情報メディアと個人の関係も影響しているように思います。 

私たちの世代は、テレビや雑誌の影響を強く受けました。情報はマスコミから一方的に与えられるものであり、個人から発信することは困難でした。

それゆえ、一方的に送られてきた映像やライフスタイルに対する感度が高く、パターンはいくつかありましたが、皆が同じようなスタイルを目指す傾向が強かったように思います。映画「私をスキーに連れてって」とその後のスキーブームで、関越渋滞50キロ当たり前状態などその一つです。一方で、個人情報の発信は、車を代表とするモノやファッションを通して物理的に自己主張していたように思います。

ミレニアル世代は、個人が情報発信の主役です。はじめからそのような情報とのつきあい方を習得している世代ということです。私にとって現在の情報環境は、情報への向き合い方が従来と変わっていないので、あまりにも多様な情報とどのようにかかわっていけばよいのか未だイメージできていません。

ネットでいろんな情報にアクセスしているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。しかも、本を読んだときの読後感のようなものが残らないわりに、なんとなくそこから得た情報に引きずられてしまうようなことも少なくありません。そんな時は、情報断食してしまいたくなります。

 

◇ 心は五感を通して得た情報からできている

ここでようやく文頭の話題に戻るのですが、そんな状況が食と身体の関係と同じように最近感じるようになりました。食べ過ぎや飲み過ぎで翌日つらい思いをしている状況や、腹が減っているからと、身体によいかどうかなど考えずにカロリーの高いものを食べ続けたりしてるうちに体調がおかしくなるような、そんな感覚です。

身体が食べたものからつくられているように、人間の心は五感を通して得た情報からできている ということです。

そう考えると、心の健康に役立つ情報とのかかわり方ということが重要なテーマになります。

人間には本来、Sense of wonderという、子供の好奇心のようなものが備わっています。食欲や睡眠欲と同じような本能的なものです。しかし、成長するにつれ、その感覚は次第に弱くなってしまいます。経験を通して情報を蓄積するにつれ、生きていく上で必ずしも必要ではなくなるからでしょう。

しかし、こころの健康とは、このSense of wonderを維持し続けることであるように感じています。情報は、視覚や聴覚からだけ得られるものではありません。食において、結局はバランスであることと同じように、情報とのかかわり方においても、五感を総動員して得る情報がよいのだろうかなどと思案しています。

世の中はデジタルネイティブの時代に移行してきます。旧世代がその時代を生きていくには、ネイティブではないことを自覚した上で、心の健康に役立つ情報とのかかわりを意識していくことが重要なのではないかと、そんなことを考えています。

 

 

有意味感、May the force be with you.

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10年ぶりにインフルエンザに罹患し寝込んでいるうちに辛夷(こぶし)が満開になっていました。風邪を併発してしまい、思ったより回復に時間がかかりましたが、ようやく全快です。東京の桜も来週には満開でしょうか。いよいよ春本番ですね。

この春という季節、当社は6月決算なので年度末ではありませんが、上場企業の約7割が3月決算であり、学校も原則4月始まりなので日本で生活する人にとってはもっとも多くの人の環境が変わる季節と言えるでしょう。

環境変化にはストレスがつきものですが、ストレスを産み出す変化は新年度のように人間が決めることばかりではありません。むしろ、そういった人間の作り出したサイクルを遙かに超えた変化がランダムに起きるのが現実です。

 

◇ ストレスと共存する力

ところで、「有意味感」という言葉をご存じでしょうか。意味はそのまま、状況やものごとから意味を見いだす感覚です。先日、筑波大学医学医療系教授の松崎一葉先生とお話する中で教えていただいたキーワードの一つです。

松崎先生は産業精神科医として職場におけるメンタルヘルスの健全性を高めるために様々な研究を実践中心に行っておられます。その中でも、労働環境としては究極の閉鎖環境にある宇宙飛行士のメンタルヘルスケアを通したご経験から、ストレスと共存できるメンタリティに有意味感が欠かせないと伺いました。

私たちは通常なにかにストレスを感じると、その原因とは別のことをしてバランスをとろうとします。スポーツをすることや、映画や料理、人と会うこと、新たな刺激を得ること、人それぞれ、さまざまな解消方法があるでしょう。

しかし、宇宙飛行士の労働環境は、簡単にどこかへ出かけたり、見知らぬ人とであったりといった気分転換はできません。そういった環境で健全なメンタルを維持するために有意味感が欠かせないということです。

 

◇ 宇宙飛行士は有意味感の塊

そういえば、有意味感の塊みたいな映画、今やっていますね。オデッセイ(原題:The Martian)です。やたら前向きで気持ちがよいので、出張中の機内でBGM代わりに二回見た上で、映画館へも見に行きました。

クリストファー・ノーラン監督のインターステラー(Interstellar)では太陽系圏外の惑星ひとりぼっちの役を演じたマット・デイモンが、今度は火星ひとりぼっちを演じています。いずれも有意味感は共通項です。

オデッセイでは生きて帰るためにジャガイモの栽培を行うことから始めるのですから、その前向きさがたまりません。劇中で使っている選曲も、デヴィット・ボウイのスターマンからABBAのウォータールー、グローリア・ゲイナーのI Will Surviveなど元気がでる曲ばかりです。

しかし、インターステラーではかなりネガティブなというか、他人の犠牲をいとわない暗い有意味感であったのに対し、オデッセイは正反対に極めて明るい有意味感です。

 まるでスターウォーズのフォースのように、有意味感にもダークサイドとライトサイドがあるのかもしれません。

 

◇ 事実と向き合う力

この有意味感ですが、私自身強く共感するものです。しかし、自分のこれまでを振り返ってみると、かなり苦労しながら体得してきたように思います。というのも、私の場合、生来というよりは、ストレスをその原因と向き合うことなく解消もしくは軽減できた試しがないという経験から必然的に有意味感を求めてきたように感じるからです。

事実を棚上げして一時的に忘れるような発散方法は、その後のリバウンドが激しかったので20代でやめました。その後はむしろ、事実と向き合う気力や体力を養うための環境を求めるようになり、試行錯誤しながら自分にあった方法を探してきました。

向き合うとは、状況を受け入れるということですが、受け入れることイコールあきらめるということではありません。あきらめた受け入れは、無意味感というか虚無感が増大して前に進む気力さえ起こりません。

向き合うというのは、事実を受け止めた上で、そこから意味を見いだし、その環境で最大限できることに集中する状況です。以前、社外取締役を務めていたアルプス技研の創業者、松井さんがよく仰る「Welcome Trouble」というメッセージも、トラブルを成長機会ととらえることであり、まさに有意味感の作り方の王道を示したものです。

 

◇ 環境を変えることでは有意味感は得られない

成長機会は、客観的には決して愉しいものではないように思います。トラブルばかりではありませんが、新しいことや自分の限界を超えた挑戦の渦中にあるときはとてつもなくしんどかった記憶ばかりです。

かつて味わった成長機会と同じことをもう一度やるかと問われれば、即座にNOです。しかし、新たな成長機会へチャレンジするかと問われれば、YESです。というのも、そこから得られる有意味感は私にとって生きることそのものであるように感じているからです。もちろん、心身の健康があっての前提ではあります。

では、どうやって有意味感を身につけてきたのかとふり返ると、社会人になる際に、まず与えられた環境から逃げないことだけを決めていたことが最初の一歩だったように思います。そう決めていたことで比較的どんな仕事でも自分なりの意義を見いだして愉しもうとしていました。

その上で次に意識してきたことが「環境は自分でつくる」ということでした。当時の仕事の師匠からの言葉です。与えられた環境に集中しているだけではいずれ限界が来ます。自分なりにこうしたいという思いが出てくるからです。そのとき、環境を別のところに変えるか、今いるところで環境をつくるかという選択肢があった場合、後者を選んできました。

もちろん、環境をつくるといっても、様々な制約条件の中です。ただ、有意味感は環境を変えることでは得られません。その場に踏みとどまり、その状況を乗り越えていく、よくしていく、愉しくしていくということを通して有意味感を覚えることができたのだと思います。

 

◇ 内なる環境は自分でつくるもの

私たちは今、社会の変化がますます激しくなる環境にいます。このような環境においてよりよく生きるには有意味感という力を磨くことがますます重要になるでしょう。

この有意味感とは、つまるところ、内なる環境を自分でつくりあげる創造力です。外的環境に対する影響力は限定的ですが、内的な環境、ようは気の持ちようは100%自分でつくっているのだから、それをうまく活かそうというものです。

しかし、内的に意味を見いだす力は、客観的に事実を受け止めた上での前向きな活動であればライトサイドのフォースになりますが、事実に蓋をしてめてしまうととんでもないことになります。ダークサイドです。

ライトサイドでいくか、ダークサイドでいくかも個人の価値観ではありますが、私はヨーダを目指してライトサイドのフォースを修行して参ります。

May the force be with you!

東京マラソン2016、二つのパーソナルベスト

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◇ 東京マラソン

本日、東京マラソンに参加してきました。ランナーの集まりがあると、「私は縦のランです」といって横のランであるマラソンや100キロマラソンにはあまり関心がないようなことを言っています。

にもかかわらず今年は東京マラソンに参加しました。一昨年以来二回目の参加です。きっかけは昨年不参加であったところ親から「今年は出ないの?」と訪ねられたことでした。なんとなく、そういったことも親孝行なのかなと、今年は出ることにしました。

マラソンも、ある一定以上のタイムを目指すのであればそれなりの練習が必須です。私の場合、サブ4であれば月間少なくとも120キロ、余裕をもってということであれば160キロ程度が目安です。

ところが昨年12月5日のトレランで自称オフ入りしていたので、1月の走行距離は128キロ、2月は海外出張で体力的に疲労困憊したこともあり、77キロ。10月の214キロから比べると健康管理モードです。そんな準備状況での参加です。

 

◇ パーソナルベストしかしゴール直後に救護所へ

結果は、3時間50分(ネット)、パーソナルベストです。これまでのベストは2013年の3月に参加した第一回古河はなももマラソンの3時間55分(ネット)でしたので三年ぶりのPB(パーソナルベスト)更新です。

そういった結果とは真逆に、内容はこれまでのレースの中で最もきついものでした。35キロあたりから、どうも時々朦朧とするようになり、ペースは落ち始め水分を多くとってもその症状は悪化するばかりです。

ふくらはぎ、ヒラメ筋の起点が時々痙攣を起こし始めました。残り3キロを切ったあたりからは気力だけでなんとかペースを維持していましたが、ゴール直前でさらに追い込み、ゴール直後はしばらく座り込んでしまいました。

大会医療スタッフの方の判断とサポートにより大事を取って車いすに乗せてもらい、救護所のベットまで搬送していただきました。塩分不足だったようです。塩飴をいただき、水分をとり30分程度寝ていると回復しました。エントリー3万7千人という最大級の大会にもかかわらず、安全第一の大会スタッフの方々の運営と手厚いサポートは本当に素晴らしいものでした。

 

◇ 仲間と走ることの力、もう一つのパーソナルベスト

そんな状況にもかかわらず、走り切れた最大の理由はアバントの中山さんに併走してもらったことです。彼はマラソンで言えばサブ3.5以上の走力を持っていますが、東京マラソンはお祭りだからとサブ4レベルの私にペースを合わせて最後まで走ってくれました。

これが思いの外愉しかった。それほど会話をするわけではないのですが黙々と一人だけで走るのとは違う愉しさがあることに気がつきました。25キロくらいまでは愉しさだけだったのですが、その後一転します。私の体調が変調し始めてからです。

ふらふらし始めてペースが上がらなくなったときは、おいていってもらうことも考えたのですが、であれば最初からそれぞれのペースで走ればよかったということになるので、ここは最後までつきあってもらおうと覚悟を決めたことで歩くというオプションを無くしました。

しかも、グロスでサブ4のペースメーカー集団の中にいたので、さすがにこれを二人で割るわけにはいかんと必死です。心拍数ログを見ると、ゴール時点では193を記録していました。これまでどれほど追い込んでも185が計測上の最大心拍だったので、自分では出せないパフォーマンスです。本当に人の力は偉大です。とはいえ、どうりできつかったわけです。少々追い込みすぎました。

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◇ インターバルトレーニングによる精神的なキツさへの慣れ

二つ目が、精神的なキツさへの慣れです。インターバルトレーニングは心肺機能の向上に効果があります。長距離走ることができなくとも、これだけやっておけば同じスピードで走っている時の心拍数が改善(低くなる)されます。この改善は最低心拍数が下がることで普段の生活でも実感できます。私の場合、安静時50~55程度を目安としています。

そこにペース走という最大心拍数の80%~90%程度で走ることによって乳酸閾値という有酸素運動の心拍数限界値、つまり酸素を使って脂肪をエネルギーに変えることができる限界の心拍数を高めることができます。これはきちんと計測したことがないので体感的にはおそらく160~170程度です。それ以上になるととたんに息が上がります。しかし、一般と比較すると少々高めなのでちょっと懐疑的です。そこで、マラソンと比べるとリスクの高いトレランではもう少し余裕をもって150程度を平均値とすることを目安にしています。

今回は25キロあたりから170を超えるようになったようです。ちょうどファンランじゃなくなってきたなと感じ始めたあたりです。ここから急にきつくなりはじめました。残り3キロでは180を超え続け残1キロで190を超えています。

インターバルの時でも180を超えることはめったにありませんが、体感的キツさについてはそこで経験しているので恐怖感はなく、耐えることができました。キツさへの抵抗力は経験によって高めることができるようです。

 

◇ 体幹を強化し、股関節を使って走れるようになったこと

三つ目は走るときに使うべき筋肉を使えるようにしたことです。恐怖感がなくとも身体が動かなければどうにもなりません。身体面の成果という面では昨年より取り組んできた体幹の強化と股関節の稼働域の拡大を背景とするハムストリングスと大臀筋という大きな筋肉をつかって走るフォームの獲得です。

以前はまるで股関節が動きませんでした。その結果、大きな筋肉を有効に活用できず、足首やふくらはぎに過度な負担がかかることで大きなダメージを受けていました。そもそもそれほど大きな筋肉ではないのでどれほど鍛えても改善効果は限定的です。

そこで、大きな筋肉を使えるようにトレーナーさんと試行錯誤をしてきました。なかでも一番難しかったのは体幹を鍛えることでした。学生時代にきちんと運動をしたことがなかったので、そもそも経験的にそういった感覚がありません。

なかでもインナーマッスルの鍛え方がなかなかわかりませんでした。しかし、インターマッスルを鍛えねばいくら腹筋を鍛えても身体の幹、つまり体幹がぐらぐらしたままということを知り関心をもってインナーマッスルを感じることができるような動かし方をトレーナーさんと会話しながら少しずつ探りました。

思っていたよりもかなり小さな負荷で初めてインナーマッスルが鍛えられることが感覚的にわかるようになったのもつい最近のことです。しかし、そういったことの積み重ねでようやく大きな筋肉を使う走り方ができるようになってきたので、今回も最後の踏ん張りの時に、インナーを意識し、かなり厳しい状況ではありましたが、なんとか残った筋力を動員することができました。

 

◇ マラソンをなめていた

走り切れた理由とは別に、そもそもなぜそれほどきついことになったのかですが、マラソンをなめていました。トレランによる長距離ランのインフレ状態で感覚が麻痺していて、フルであれば水分だけの補給で走ってみようと考えていました。

走り始めて15キロを過ぎたあたりからおなかがすいてきました。トレランの場合は、脂肪燃焼に必要な糖分を補給するために炭水化物を入れるのですがそういった補給を怠りながら走りました。

しかも、お守り代わりと携帯していったジェル系の糖質と塩サプリ、前者とはもかく、トレランでは塩サプリはしっかりとります。とにかく塩が不足してくると意識がもうろうとするからです。そうであるにもかかわらず、今回はゴールまで一度も口に入れませんでした。

トレランで学習した補給手法をまったく活かさずに走っていました。もちろん、最大の要因は練習不足であることは間違いないのですが、身体を走りながら回復させていくことができるような補給方法を獲得することは私にとって新たなフロンティアです。

マラソン直後あれほどきつかったにもかかわらず、食事をとりストレッチをしていると案外回復してきました。脚の筋肉もトレランと比較してもそれほど硬直していません。となると、筋力の問題よりは、オーバーペースによる乳酸閾値越えが問題ということになりますが、補給によって少しは緩和できるのではないかと考えています。

 

いずれにせよ、パーソナルベストは素直にうれしいものです。リードしてくれた中山さんや大会スタッフ、応援いただいた方のおかげです。それがなければ今回の結果はありません。とはいえ、最後は少々追い込みすぎました。経験を活かし、もっと愉しく走れるようになることを目指します。

夢の力、人の力

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五十にして天命を知る。「知命」となりました。

 

現在の心境について、知命における初心として、年初にディーバ社のメルマガで書いたことを再掲させていただきます。

 

(再掲始まり)

いきなり個人的なことから始まりますが、今年で50歳になります。

この一年、ひとつの節目を前にしてこれからの人生をどう生きるか思案してきました。

環境のみならず生き物としての自分自身の変化を感じながら、漠然とこれまでの延長線上ではいかんなぁという問題意識が強くなってきたからです。

 

振り返ってみると、これまでの人生は自分のことだけで精一杯だったように思います。社会に出て、起業の機会を得、その機会を活かすべく全力を注いできました。毎年年賀状には、余裕が大切というようなことや、身心の健康第一といったことを書いてきたのも、常に身心ともに一杯いっぱいの状況にあったからです。それでも、なんとか自分自身を克己させ前進してこられたのは「夢」と「人」に支えられてきたからです。

 

自分ひとりの力では単なる空想に終わる夢を、人と出会い、人と協働し、そして人と切磋琢磨することによって少しずつその実現に向けて前進することの積み重ねが、自分の力不足に対する絶望や、常にプレッシャーと戦っている状況から逃げ出したくなる衝動に負けずに走り続ける原動力になっています。

 

毎朝襲ってくる漠然とした不安感やプレッシャーに対して、自分を克己させる力は、はじめは夢の力でした。「俺はこれがしたい!」という想いを強くもつことを通してそれらをはねのけてきました。しかし、この力は私にとっては決して万能ではありませんでした。自分がやりたいことは自分を満足させるはずなのに、時として周囲を振り回すこともあり、そういった人に対する自責の念との葛藤がかえって重荷となったからです。

 

そんなことでは、夢は実現できないよ。そうかもしれません。しかし、葛藤が強くなるにつれ、夢の追究は自分を幸せにするのだろうかと疑問を覚えるようになりました。40歳代の後半はこの問いに対する答えを探し続けました。そういった問題意識もあり、この5年間はそれまでとは異なる幅広い人との出会いがありました。そして、人のために真剣に生きている方々からの薫陶を受けることを通して、五十路を前にしてようやく自分の夢をまわりの人の役に立つようにすることができれば、それは自分の至福となることが腹落ちしました。

 

「自他一如」というものです。自分と他者の心理的な垣根をなくしていくことの大切さを知ってからのこの数年は自分とかかわる人たちへの感謝からくる想いが走り続ける原動力になりました。これまで夢だけでは不安定であった生き方が、人と積極的にかかわることを通して二つのエンジンが推進力を生み出すように今までと違った安定感を生み出すようになりつつあります。

 

長距離を走るときのように、走るという行為自体は決して楽なことではないのですが、明らかに精神的な愉しさを得られている状態、生き方のランナーズハイのようなものでしょうか。

 

夢の力、人の力、その両方がしっかり推進力となるようにしてこれからの人生をしっかり活かしていきたい、そう考えております。

(再掲終わり)

 

半世紀という節目における初心新たに、人の力を信じて行動してまいります。