THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

But we hope that you enjoyed!? バーチャルのトレランレースに参加してみました

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30度を超える晴天の中、二度に分けた50キロ超のトレイルを走り終え下山すると「The race is OVER」のメール!

 

世界的に人気がある フランスのトレイルレース、「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」(以下UTMBⓇ)も今年は中止、その代わりにバーチャルレースが開催されました。一定の期間に、定められた距離と累積標高をクリアすればどこをいつ走っても良いと言うものです。

 

今年、三年越しでエントリー出来たこのUTMBⓇで開催されるレースの一つに参加する予定だったこともあり、開催予定日だった8月末に参加しました。とは言え、長距離のトレイルはすっかりご無沙汰です。二度に分けて走ることにしました。

 

炎天下もあり、補給のしやすい高尾山周辺を選んだにもかかわらず人影はまばら、景信山より陣馬山方面にかけては誰もいない静謐なトレイルが続きました。そんなレアな異空間、走るだけではもったいないと、ちょいちょいベンチで休憩です。横になって見上げると緑に覆われた空と少し涼しい風を感じます。

 

「走っている時は、頭の中の地図と足下しか見ていないんだよなぁ。」と普段見過ごしている宝を貸し切りのトレイルで満喫しました。

 

さてバーチャルレースの話、期間はfrom 20th to August 30th とだけ。30日中に走り終えておけばよいと理解していました。ここが落とし穴、タイムリミットはフランス時間の30日00時00分でした。二度目の走り始めは日本の早朝だったので時間内でしたが、下山してきた頃にはすでに制限時間を大きくオーバーしていたのです。

 

まさかの関門アウト、メールには「Unfortunately, you didn’t manage to complete the challenge, but we hope that you enjoyed the adventure and congratulate you on all of your effort.」(一部抜粋)

 

But we hope that you enjoyed!?

思わず笑いながら、「まぁいいか、確かに、愉しかったな。」

 

また一つ、記憶に残るリタイアレースが増えました。

グループ経営力を高める「内外一致」のススメ

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動的に変化するステークホルダー

企業は様々なステークホルダーとのバランスが求められます。しかも、そのバランスは常にダイナミックに変化します。当社のステークホルダーも、スタートアップ時点から現在に至るまでどんどん変化して来ました。中でもグループ経営に移行してからのバランスの変化は非連続的なものでした。

 

グループ経営でバランスをつくるのは簡単ではない

異なるリーガルエンティティの集団で行うグループ経営は、全体のバランスをつくる上で重要な経営理念や価値観のみならず、企業価値に直結する戦略も発散しやすい傾向にあります。理念と戦略は論語とソロバンのように両立すべきものですが、経済的な価値向上を優先し理念や価値観を後回しにする事もあるでしょう。それぞれの事業が自立するほどグループ経営で全体最適のバランスをつくるのは簡単ではありません。

 

バランス感覚を養う「内外一致」

そんな問題意識から、全ての経営メンバーが多様なステークホルダーとのバランス感覚を養う「内外一致」という考え方を持つようになりました。財務会計と管理会計の情報を一致させる財管一致に対して、「内外一致」は外部へのアカウンタビリティとグループ内部のアカウンタビリティを同期させるというものです。前者はデータの整備ですが、後者は人の成長プロセスの話です。

 

ステークホルダー資本主義時代のグループ経営

グループ経営はダイナミックな事業成長や構造転換の手段としても用いられています。しかし、事業活動はどこまで行っても人の活動です。グループの経営に関わるメンバー全員が様々なステークホルダーの視点を理解し、自分たちの事業をグループ、ひいては社会の構成要素として俯瞰する視点を持つことがこれからのグループ経営の進歩に欠かせない要素となると考えます。「内外一致」はESGやSDGsなどの流れをくむステークホルダー資本主義時代にこそ役立つグループ経営プロセスとなるでしょう。まずは実践と言うことで、当社でもそのチャレンジをススメます。

サステナビリティをつくる非財務成果の重要性

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時間を共にする場を失ったマネジメント

社会に様々な変化を促しているコロナ禍は、会社マネジメントにも影響を与えています。同じ場で時間を共にする事を前提とした従来のマネジメントもその一つです。リモートワークによって時間の管理者が、場を提供する会社から個人へと移っています。その対応のために成果主義やJOB型など、時間以外の尺度でのマネジメントの検討や導入が進んでいます。

 

長期的視点で非財務成果を可視化する必要性

しかし、事は簡単ではありません。会社の活動成果が財務成果で計測されるのは事実ですが、長期的視点に立つほど現在の会計やファイナンスでは表せない活動や成果が重要になるからです。しかも、長期的視点となると利害関係者がどんどん増えて、集中すべき事がぼやける危険性もあります。こういった状況でバランスを取るために、人が集まる場を使って臨機応変に対応する曖昧さを活かしたマネジメントが役立っていた可能性があるからです。財務成果につながる長期的視点である非財務成果を明らかにして成果主義などを設計しないと従来以上にバランスを欠いたマネジメントになるリスクがあります。

 

フランスの新法

2020年8月9日の日経新聞、仏ダノンのCEO、エマニュエル・ファベールさんのインタビューで、2019年にフランスの新法として制定された利益以外の目標を達成する責任を負う会社形態を取り入れた事が書かれていました。会社の定款にESG(Environment, Social, Governance)に関する目標を盛り込んだそうです。これにより、財務的企業価値だけではない視点からマネジメントへのチェックが入り、ステークホルダー資本主義という新たなコーポレートガバナンスのモデルに転ずる事が出来るとのことです。そこであげられていた取り組みの中には私自身やりたかった事もあり、個人的にも興味深い試みです。

 

経営理念をベースに非財務成果を可視化する

新しいワークスタイルに対応するために人事制度改革は必要です。しかしその前提となる長期的視点での会社のあり方の可視化も必要です。それは、経営理念を具体的な目標として明示することでもあります。私自身、経営理念と実際の事業活動が同期しない事を悩み続け、非財務成果の重要性を強く認識するようになりました。紆余曲折を経つつ、現在では財務パフォーマンスと、メンバーの幸福度、そしてあるべきビジネスモデルに対する到達度という少なくとも三軸で結果を計測するようになりました。経営理念の実現という点ではようやくスタートラインに立てた思いです。人のための会社であるために、オリジナリティをもって新たな会社の姿を形にしたいと考えています。

Go To ヨーロッパへのタイムトラベル

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四連休、さてGo Toどうするか?と浮かんだのは、タイムトラベル。地域はヨーロッパ、ガイドはイギリスのジャーナリスト、サイモン・ジェンキンス。紀元前2500年から現代まで、5000年の旅です。

 

ゼロカーボントラベル

サイモン・ジェンキンスの著書「ヨーロッパ全史」をガイドに見立て、登場する地名、都市、遺跡へgoogle earthで飛びます。ゼロカーボンフライトです。地図で位置を確認、遺跡などを画像で見ることで具体的な想像力がかき立てられます。時間の制約もありません。瞬時に1000年移動しては戻る。そんな事が出来るのも全史という著作の特徴です。

 

ヨーロッパ全史から見る人類の素質

サイモン・ジェンキンスはジャーナリストらしく、現代資本主義の価値観を育んだヨーロッパが形成されていく過程をシンプルに通史という方法で解説しています。本書の一章「エーゲ海の夜明け」に出てくる紀元前五世紀頃アテネで生まれた「共同の自由と個人の自由を最善とする」考え方は、ほぼ同時代に中国で体系化された社会秩序を重んじる儒教と共に、その後の宗教や哲学で見えづらくなっている人類の素質の一つを現しているように思います。

 

異なる素質が共存する社会

根っこの部分で異なる素質を尊ぶ欧米と中華圏の関係は、ヨーロッパの分裂だった嘗ての東西冷戦とは異なります。共産主義は個人よりも社会に軸を置く中華文明との相性が悪くないのかもしれません。深いところは専門家に委ねるとして、一般市民としては、現在の自由資本主義が今後もグローバルデファクトであるとは限らない、そんな心構えは持っておいても良いかもしれません。

 

良いガイドを得た旅行は活きたインスピレーションの宝庫です。

思考のループに陥りやすい人のための処方箋

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メンバーとの何気ない会話

新しい働き方の模索が続いています。在宅勤務も当たり前になりましたが、受け止め方は人により様々です。比較的肯定的な人が多いようですが中には不慣れな環境に戸惑っている人もいるようです。あるメンバーから、「時間が自由になる分、自分で決める事が多くなり、不安を感じることが増えた」というような悩みを打ち明けられました。

 

悩まされ続けてきた不安との付き合い方

人ごとではありません。身近なメンバーからは「森川さんは調子の良し悪しがすぐわかる」とか、「メンタル強い方じゃないですよね」などと言われるほど、メンタルの健康維持には人一倍苦労して来ました。不安には原因があります。その原因を特定して向き合わないと不安は解消できません。しかし、向き合いすぎてメンタルが不健康になった事は数えきれません。

 

ループに入ったら思考を止める

考えすぎて思考のループに入ると、やがて身体へも影響が出始めます。恒常化する体調不良から逃れようと、写経をやってみたり、山に登ってみたり、瞑想、深酒?とにかく考えすぎることから離れるための何かを求めて来ました。トレランもその一つです。

そんな散々な試行錯誤を通して行き着いたのは、シンプルに思考を止めることでした。思考がループに入ったと感じたら、一度その思考と結論をメモに残し、再考のタイミングを決めて、あとは思考から排除する。それだけです。簡単ではないのですが、瞑想で呼吸をコントロールするように、意思決定の言語化と期限の設定で思考のループから抜け出す事が出来る事に気づきました。

 

行動に集中する事でメンタルは健全になる

そして、思考よりも行動に集中する。その比重が行動によるほど、不安への耐性が強くなってきたように思います。不安だらけの世の中で生きるために、その原因と向き合うことは大切ですが、適切な行動に集中する環境を整える事が健康の第一歩と、今では考える、いえいえ、行動するようになりました。

仕事、楽では無いが、愉しく出来る

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11ヶ月ぶりにトレイルへ。

昨年台風のために中止になったレースのさわりだけリハビリに出かけたのですが、全く登れなくなっていました。メンタルもフィジカルもリタイアしまくっていた頃の登攀力です。記録を見ると昨年7月の富士登山競走以来のトレイル、台風による被害に続いて、コロナ禍で次々とレースが開催出来なくなった事で山から遠ざかっていました。

 

エンジョイ?

トレイルに行かずとも、走力を落とさないよう工夫して走っているつもりでしたがキツいのなんの。500メートルすらノンストップで登り切れません。ああ、無理!足が止まった時ふと、先日メンバーと交わした「仕事を愉しんで!」との声がけに、「森川さんは仕事を楽しいと思ったことはありますか?」と切り返された会話を思い出しました。

そう言えば、社会人になってから仕事が出来る環境に感謝はすれども、楽しいと思えたことはほとんどありませんでした。はて、そんな言葉が口から出るようになったのはなぜだろう。と考えながら残りのトレイルをゆっくりと登りました。

 

仕事の愉しさ

先日、最新作の制作に取り組んでいるジブリの宮崎駿さんのインタビューで「作品が出来た時はもう二度とやりたくないと心底思うのだが、しばらくするとまた創りたくなるのです」と話されているのを聞いて、仕事の愉しさを突いていると膝をたたいたのを思い出しました。

ハードなトレイルランレースでも、走っている最中や直後には二度とやらないと思っても、しばらくするとあれこれ反省や改善案が湧き上がり、また挑戦したくなります。

仕事の愉しさは、こういった繰り返したくなる挑戦にあり、プロセスそのものは心身に負荷がかかるもの、つまり日常的には楽では無いものだといつのまにかに受け入れるようになっていた事に気づきました。その頃から仕事に対する愉しさのスタンスが変わり、「たのしんで」という言葉が自然と出るようになったようです。

 

夢よりも具体的な目標

とはいえ、繰り返す挑戦になにか軸のようなものが無いと挑戦へのモチベーションを維持する事は難しい。トレイルランについては、メインレースがキャンセルされる度に意欲を失って行きました。一方の仕事はグループ全社で世界に通用するSaaS企業へ進化するという明確な目標があるので行動に迷いはありません。「結局は、自分の夢につながる具体的な目標と行動のシンクロ度合いか」、昨年の台風19号の爪痕が残る下りの林道でそんな整理に至りました。

漠然とした夢だけでは行動は促されません、一方で夢につながらない目標だと愉しさも限定的です。さて、改めてターゲットレースを設定しよう。目標を失い、いまいち愉しく無かったトレイルランを振り返り、日の暮れた山の麓から帰路につきました。

マキシマイズからオプティマイズへ

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数年前、会社のミーティングでさかんにマキシマイズ(最大化)からオプティマイズ(最適化)へという話をしていました。オーバートレーニングや不適切な練習方法で身体を壊すアスリートのような会社であってはならないと言う趣旨です。人の成長のための事業成長を目指すという創業以来の価値観と現実のギャップに対する強い問題意識が背景にありました。しかし、企業価値の最大化を謳うコーポレート・ガバナンスコードの言葉に押され、言葉としてのオプティマイズは陰を潜めてしまいました。

 と言うのも、企業価値の最大化を考えるほど、会社のみならず社会にとっての最善、最適(オプティマイズ)なあり方を考えることになるからです。しかし、個人的には最大化という言葉の持つニュアンスへの違和感が拭えません。企業価値のような人間が生み出した抽象的な概念には限界はありませんが、実際の事業活動はより具象的です。人の健康、社会モラルや自然環境など様々な制約や限界を持つバランスの中で行われるものです。事業活動そのものを最大化という文脈で行う事には限界があります。

 経営者は企業価値を最大化する事が務めです。しかし企業価値を最大化する目的は、人のためであり、単なる経済的価値を高める事ではありません。現実の事業活動の最適化を飛ばして企業価値の最大化だけに集中すると、経営者が当然持つべきモラルのようなものが軽くなるように感じます。企業価値の最大化は本質を突いてはいるのですが、前提となる視座によっては危険を伴う諸刃の刃です。言葉には力がありますので短絡的に迎合して使うことに危うさを感じます。

 経営において優先すべきは事業活動の最適化である。その結果企業価値は最大化される。私にはこちらのほうがしっくりきます。最大化という利己的な発想よりも、社会全体においての最善を求める最適化という視点のほうが、事業の構想や発想も柔軟かつ創造的になるからです。私たちは企業価値というものをオプティマイズの視点から磨きたいと考えています。