THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

同じテーマで異なる世代の著者の本を読んだら面白かった

f:id:runavant:20240108154605j:image

12月24日のブログで触れた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗)にインスパイアされ、人間の知性に世代的多様性から触れてみようと気になる本を何冊か読んだ。

一つは、外山滋比古さんの『自然知能』。「思考の整理学」が有名だが、「老いの整理学」も印象深い。なんとなく自分の長年のコンプレックスのようなものを洗い流してくれた。

二冊目は『近代美学入門』(井奥陽子)。「わかっているんだけど言葉にできないもの」を言語化する「美学」というものに触れてみようと読んだ。まだまだ知らんことだらけだと好奇心が刺激された。

三冊目が、『ことば、身体、学び』(為末大・今井むつみ)である。過去に触れた『熟達論』と『言語の本質』、両著者、まさかのうれしい共著である。AI時代における人の成長という問題意識に刺さった。

いずれもとても読みやすい本なのだが、世代も専門性も異なる著者による本を無理やり同じテーマ性をもって読んだことで不思議な読後感に陥った。経験を積むことによる人間のものの見方の変化と、そこから得られるインスピレーションの違いへの面白さである。

社会の持続性にとって、ダイバーシティの中でも世代間ダイバーシティが本丸と個人的には考えている。それぞれの世代の知性を活かせる社会とはどんな姿なのだろう。

う~ん、わからん、ここから先は対話だな!

富士登山競争で、無理しないことを学んだ2023年

f:id:runavant:20231231153542j:image

2023年もいろんな変化があった。生活習慣における一番の変化は「無理をしない」ようになったことである。食事や運動、仕事においてもこれまでのような無理を押し通さず、身体を労わるように生活習慣の微調整を繰り返すようになった。

自分の内面と対話する時間が増え、それを繰り返すうちに精神的な解像度が上がり、ループする不安や焦りのようなものが減ったと感じる。

きっかけは今年の富士登山競争である。毎年出場してきた山頂コースの挑戦権がかかっていたが、ロストした。

走力は昨年より低下していたが、決めた練習メニューはこなした。ゆえに、結果にかかわらずすがすがしく終わって次回からは応援に回ろうと考えていた。実際に、レース中はタイムのことを忘れ楽しんでいた。しかし、制限時間を超えた五合目関門直前に「来年がんばろう」と応援の声を聞いた途端、悔し涙がこぼれてきた。しばらく、なんなんだこの涙は、と抑えられない感情に戸惑いながら走った。走り終えてから、こんな感情が残っていたのかと、とても驚いた。

来年も挑戦したいと言っている本当の自分に気が付いた。

そんなことがあって、続けるために「無理せず、全力」というスタンスに万事を切り替えた。これまでは、無理して全力を出し切れないことが多かった。それでも、気力や若さでなんとかしてきた。(ならなかったことも多々ある)この歳になって続けるために一番重要なことは、無理をしないことだと受け入れた。

その時々の最善のパフォーマンスを出し切るために無理をしない。そんな生活にシフトするにつれ、ハーフマラソンでプライベートベストが出るなど、思いがけないご褒美もあった。

仕事ではいろんな人たちの力を活かすことを強く意識するようになり、来年は教育という新たなチャレンジをスタートすることにした。無理しないことで生まれる時間を活かし、無理せず、全力で健全なチャレンジを続けたい。

ダイバーシティについて悩んでいた時に、目からうろこの本に出逢った

f:id:runavant:20231224165711j:image

今年も経営に関する話題はたくさんあったが、上場企業のPBR(Price Book-value Ratio:株価を簿価で割ったもの)1倍割れ問題とならんで「人的資本経営」も流行語大賞の候補だろう。

「人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上につなげる経営のあり方です」と経済産業省は定義している。

古くから経営における重要な事業資産は「ヒト・モノ・カネ+ジョウホウ」と言われている。ヒトが筆頭である。総論としては目新しさはない。問題は、そのヒトの価値を最大限に引き出すために何をするかということである。

何をするかのコアな要素の一つが、ダイバーシティである。多様性というものであるが、ヒトの価値を最大化するために欠かせない視座であり整備すべき環境ということで、議論や取り組みが盛んにおこなわれている。

しかし、個人的には今一つ腹落ちしていないのが本音である。海外ファンドのボードミーティングに参加して、そこでの女性比率の高さや、様々な国のメンバーを意図的に取り込んでいる状況に触れると、「なにかあるな」とは感じるのだが、本当の意味、つまり実際の経営戦略に落とし込めるレベルかといえばまだまだだ。

もともとリベラルな思考(自由と多様性を好む思考)を持って経営してきたつもりだが、日本の大企業を中心顧客として、連結会計やグループ経営、経営情報の活用ソリューションといったビジネスでダイバーシティの必要性を実感する機会がほとんどなかったという現実もある。取締役会のダイバーシティは進めてきたが、執行陣はほぼ日本の男子校状態と言っていい。

必然性がないことはついつい劣後してしまう。それでも対応しなければならない場合は、形式的になり、かかわる人の価値を棄損してしまう。

大なり小なり、そんな形式対応の失敗経験を経て、コーポレートガバナンス改革についてはその本質を追求し、取締役会のあり方や、企業価値のつくり方をしっかりと議論し、試行錯誤して本当に意味があると心から思えるように昇華して経営に活かすように取り組んでいる。

さて、ダイバーシティであるが、意外なところから身体的な腹落ち感を得ることができた。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜紗)を読んだことがきっかけである。2015年初版のロングセラーである。

エッセンスは序文に集約されている。著者は「自分とは異なる体を持った存在への想像力を啓発する」生物学に興味を持ち、生物学ではなく「美学」という「わかってるんだけど言葉にできないもの」を言語化する学問からそれにアプローチした。その結果、両者が「身体」でつながることを発見したという。

私たちは社会生活を行うために様々な分類を行っている。身体についても人間であれば「身体一般」として抽象的なグループ(人種、性別など)に分類している。しかし、本当は「身体一般」など実在しない。というのである。そして、著者の考える「新しい身体論」とは「身体一般の普遍性が覆い隠していた「違い」を取り出そうとするもの」だと言う。

走りながら「やばい!やばい!これだ!」と読んでいた。(本書流にいえば、耳で読んでいた)

ダイバーシティの議論では、組織を一般化し、ひとを抽象化して男女や外国人、職種やスキルなどのフレームをもってその比率や人数からアプローチすることが多いのだが、本質が見えずどうしても違和感がぬぐえなかった。フレームそのものがダイバーシティの本質を覆い隠してしまっていたのである。

当社はこれから本格的に人的資本経営を経営戦略に落とし込んでいくというフェーズであるが、このタイミングでこのような本に出逢えてよかった。

とはいえ、ようやく身体的に「わかった」ところにたどり着いた段階だ。具体的な言語化はこれからである。美学同様、経営戦略という言語化を進め、構造というものだけではできない、埋もれている「違い」を活かし一人ひとりがポテンシャルを出し切れるようなダイバーシティを実現できるように経営陣とも議論を深めていきたい。

教育とは、知識を与えることではなく生きたインスピレーションを与えることである

f:id:runavant:20231217131430j:image

来年4月から大学で講義をする機会を得た。講座のコンテンツ準備を始め、人生の後輩たちに何を伝えられるかを考えていて、15年前の体験を思い出した。

上場から数年経ち、成長戦略の壁にぶつかり、経営者としての自分の限界を痛感していた頃だ。そんな中、アルプス技研の創業者である松井さんに相談する機会があり、「カッコつけるな」と一喝を受けた。張りぼての自分を自覚し、思わず涙がこぼれた。

その後、「他流試合だ、うちの社外取締役をやってみろ」と、4年ほど松井流の経営を学ぶ機会を得た。その過程で、自分を言語化して掘り下げる「内観」というものを知り、少しずつではあるが、ありのままの自分というものの理解を深めてきた。

リーダーのあり方を人格起点で磨く方法である。 経験を重ねるにつれ、組織の持続成長にとって最も重要なことは、リーダー自身が自分の活かし方をちゃんと理解して組織のために使いこなすために学び続けることだとわかってきた。

このような考えにいたるきっかけが「カッコつけるな」である。それは、単なる言葉ではなく、それを発した人の全人格的パワーをもった言霊であった。まさに、生きたインスピレーションである。

教育とは、単に知識を伝えることではなく、真剣勝負で全人格=ありのままの自分を見せることにある。強烈なインスピレーションを与える人は、時に反面教師として映ることもあるが、そうした人こそが真の指導者であることを実感している。

「教育とは、知識を与えることではなく、生きたインスピレーションを与えることである」とは大叔父の言葉だ。後輩たちが自分自身を発見し、それを活かせるような、生きたインスピレーションを与えることが今後のテーマである。

(と、カッコつけて書いてみた(笑))

第13回、武田の杜トレイルラン、走って食って寝る、それでいい

f:id:runavant:20231210130334j:image

今日は今年の締めレース、武田の杜トレイルランニングレース30キロに参加してきた。武田信玄公をまつる神社から、武田の杜をめぐる里山系のレースである。

神社に参加選手が集合して「正式参拝」を行ってからのスタート。武田神社だけに、出陣前の心が整う。なかなか粋な開会式だ。

地元の人たちやスタッフからの声援も丁寧で、約800人の参加者もガチ勢から初心者まで幅広く、仲間同士での参加もかなり多かったようだ。レース中あちこちで楽しそうな話声を耳にした。

私は今回が初参加だが、トレランの楽しさと街おこしがセットになった、理想的な大会の一つだと感じた。

かくいう自分は、LSD(Long Slow Distanceという、ゆっくり長く走ることで持久力を高める練習方法)と決め込んでゆっくり写真を撮りながらのクルージングである。どうしても登りになると気持ちが入って追い込んでしまうのをなんとか抑えられたのは、「無理せず全力で」を心がけた今年の成長ポイントか。

その甲斐もあって、人間は走って、食って、寝る。それでいいんじゃないか。なんて走りながら思ったりもした。(笑)

途中転んだり、足をひねったりと相変わらず無傷ではないが、今年最後のレースを楽しく完走できてよかった。天候に恵まれると甲府の絶景を楽しめる、記憶に残る大会であった。

万年日めくりカレンダーで「自靖自献」を毎月眺めていたら、心に余裕が生まれたという話

f:id:runavant:20231203134530j:image

師走だ。今年も一年を振り返り、新年の準備を始める時期に入った。

年賀状は準備したか、タイヤは交換したか、窓の掃除は終わったか、来年のカレンダーは買ったか、などなど、忙しい。(笑)

忙殺されがちな毎日、今年は「活学語録カレンダー」のお世話になった。埼玉県嵐山町にある安岡正篤記念館で見つけて、使うことにした。

毎月同じ語録を繰り返し見るものだ。一日は「一燈照隅行」と少々難しい言葉から始まるが、二日は「朝こそすべて」と平易なものも織り交ざっている。

中でも、二十日の「自靖自献」はどんどん好きになった。靖とは、自分の良心が安らぎを覚えることであり、献とは、その感覚を大切にして、自分のパッションが燃える対象に行動を集中しようという意味である。

本当に靖まる行動を自分に問いかけ続けると、案外生活がシンプルになり、心に余裕が生まれるようになった。

どれほど技術が発達しても、まだまだ先人から学ぶことは多い。

「生まれてはみたけれど」、小津安二郎のリメイクが印象的だった話

f:id:runavant:20231125151328j:image

めずらしくリアルタイムで番組を探していたところ、WOWWOWの連続ドラマWが目に留まった。小津安二郎のリメイク、「生まれてはみたけれど」である。このタイトル、数十年前「ぴあ」という情報誌でよく見かけたような気がするが、見たことはない。

 

私は、小津映画のリアルタイム世代ではない。しかし、30代の後半、DVDを見つけては繰り返し見た。精神的に一番不安定だった時期だ。定番の東京物語から始まり、麦秋を経て、秋刀魚の味といったところである。人の心を丁寧に描く人間目線の映像を見て、登場人物に魅了され、心も癒された。

 

原作はサイレントである。リメイクと見比べたく探してみるとYouTubeにあった。1932年、昭和7年、1時間30分の作品である。音は音楽のみ。時々黒地に白文字で言葉が入るものだ。あるはずの音がない映像は、案外心地いい。チル・ムービーである。本当の昭和初期の東京の姿がある。

 

当時の時代背景を濃厚にもつ作品から、そのエッセンスを抽出し現代に蘇らせたリメイクは、私の知る昭和とスマホなどのツールやライフスタイルがミックスしていて面白い。パラレルワールドのようだ。

 

リメイク版の終盤、父親と子供の間に起きた一連の騒ぎのあと、父親が子供たちにこう尋ねる。

 

「お前たち、大きくなったら何になるの?」

子供たちが順に答える。

「コックさん」、「建築家」

父親が返す。

「二人とも、いい夢だなぁ」

 

原作ではこうだ。

゛お前は、大きくなったらなんになるんだ゛

次男が答える。

゛中将になるんだ゛

父親が問う。

゛どうして大将にならないんだ゛

次男が答える。

゛兄ちゃんがなるんだからいけないって言ったよ゛

 

それぞれ、時代を映し出している。リメイク版は、いわゆるクリエイティブな専門職の時代を象徴しているようでとても印象に残った。

 

トーキーの小津テイストをいかし、原作へのリスペクトを感じる。小津の映画を見ていると10倍は面白くなる作品である。