THE RUNNING 走ること 経営すること

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バックキャスティングでバージョンアップする21世紀の「論語とそろばん」

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バックキャスティングという言葉がいろんなところで使われるようになったと感じてる。未来のビジョンから逆算して現在の行動をつくっていくというものだ。

企業経営現場では、「企業価値というものは成り行きでは高まりませんよ、しっかりとありたい姿をイメージして段取りを踏んでいきましょう。それがバックキャスティングという考え方であり、その考え方から組み立てられるものが戦略です。」といったように使われる言葉である。

戦略と言えば、10年近く前の取締役会で、この会社には戦略がないと叱られ続けた時期があった。将来ありたい姿や、その実現に向けた段取りは進めているつもりであったので戦略がないと言われても、正直なにを言われているのかわからなかった。

その後、機関投資家や社外取締役と対話を続けるにつれ、共通言語であるファイナンス語でストーリーや段取りを語っていないことがそのように言われていたことの理由の一つであると自分なりに理解して、将来の姿をファイナンス視点から具体化することで戦略の会話が少しできるようになってきた。

経営は、渋沢栄一の言うところの「論語とそろばん」を磨くことである。論語とは会社の人格をつくるものであり、そろばんはその人格で生み出す財務成果である。会社の人格がちゃんと社会に役立つものとなっているかはこの財務パフォーマンスで評価される。

その財務パフォーマンスという評価軸が財務会計のような結果指標中心ではなく、ファイナンスという未来の可能性までを取り込んだダイナミックな物差しに変わったということに多くの経営者がなかなか認知を変えられなかったが、ようやく大きな認知転換が進み始めたように感じている。

明治維新や昭和の敗戦でも、それまでの価値観を一新して社会を変化させてきた国である。経営のモノサシが変わったことに気が付けば変化は速いのではないかと、漠然とであるがそんな変化の前触れを感じる。

それだけに、論語側のアップデートがとても気になっている。ファイナンス思考のバックキャスティングに偏ると、あらゆる判断がその結果をだすための手段になってしまうからだ。このアプローチはある意味間違ってはいないのだが、PE(プライベート・エクイティ:事業再生に卓越した経営力を持つファンド)のようにどこかで利益確定することができる経営と異なり、事業経営に利益確定はない。

ゆえに、長期にわたり事業にかかわる人たちが価値創造に自ら取り組みたくなるようなテーマや環境をかなり力を入れて整えなければいずれ立ち行かなくなるだろう。そういった場合は思い切った経営改革を行うためにPEなどの力を借りることも選択の一つではあるが、最初からその前提で経営を行う会社が増えると会社という生き物の家畜化が進み、個々の企業の野性味のような本来の活力が次第に薄れ、社会全体の衰退につながるような気がする。

会計からファイナンスへとそろばんのモノサシが変わった。このモノサシはかなりのパワーを秘めている。それだけに、この道具を使いこなすための論語、つまり会社の人格が問われるなと考えている。

人的資本やらPBRやら企業価値にまつわるいろんなテーマは尽きないが、シンプルにとらえるために新たな論語とそろばんとしてとらえて、それぞれのバージョンアップを進めていきたい。