THE RUNNING 走ること 経営すること

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年始の贅沢、「書初め」

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かれこれ、10年ほどになるだろうか、書初めが年初の習慣になっている。寺などで含蓄のある書に触れるにつれ、自分でも書いてみたくなり、名跡と呼ばれる手本を真似て書く「臨書」を少し嗜んだことがきっかけである。

字を上手に書くよりも、自分の行動を形作る思考を言葉にして、それを書にするという作業が心地よく気に入っている。昨年は「自靖自献」を書いた。現在の自分の日々の行動の始点だ。

完全な自己流なので、基礎が出来ていない。表装までしてもらったが、眺めるにつれ、見るに堪えられなくなり早々に引き取った。それから、折を見て書き直しているがなかなか納得のいくものが書けない。

そうこうしているうちに、今年の書初めがやってきた。独習の初心者にとって最初のハードルは気に入った字を集めること、「集字」である。好みの書家が書きたい文字の手本となるものを書いているとは限らない。書道字典から様々な書跡から探し集めるのだが、これが一苦労である。

さて、どうする?ということで、集字のアプリを発見した。本場、中国産である。これでかなり集字の手間は省けるようになった。しかし、同じ書家で書きたい一行書がなかなか構成できない。しかたなく、書家にこだわらず、好みのイメージに合うものを選び、書き下ろしてみた。

ん~、なんか違う。

半切りと呼ばれる34.5×136cmサイズに四文字を書くのだが、手本は比較的小さな文字がベースになっている。カタチはともかく筆勢が根本的に違う。一枚書く毎に、なにがおかしいのかを探る。そんな試行錯誤をしていると、一時間に4枚がせいぜいである。あっという間に4~5時間が過ぎる。

ここで、壁にぶつかる。できるだけ手本に忠実に書こうとしていても、一向に納得するカタチにならないのである。

あらためて、さて、どうする?である。集字ではなく、好みの書家の条幅(半切りサイズで書かれたもの)を参考にすることにした。迫力という点では、幕末の三舟のひとり山岡鉄舟が好きだ。昨年、谷中にある禅寺、全生庵を訪れた際に手に入れた図録を開いた。が、とても書けそうにない。一晩で数百枚を書き、生涯では百万ともいわれる達人の書はマネすることさえ困難である。

ここでも、あっという間に時間が過ぎる。「シカタガナイ」と言うことで元のカタチをベースとしつつ、オリジナルフォントで行くことにした。完全なフリーで書くとぐちゃぐちゃになるのだが、基本のカタチを維持しつつ、トメ・ハネに自由に気を入れてみると少しイメージに合って来た。

もちろん、技量があるわけではないので素人なりのものではあるのだが、自分の字になって来たな、という感覚である。うまい下手は別として、納得感がある。そんな工程を通してようやく一枚を仕上げた。時間を忘れ、試行錯誤に没頭できるこの時間は、贅沢だ。

今年の正月は、いつもより長めに、贅沢な時間を過ごした。

そうそう、肝心の一行書で書いた言葉は「縁尋機妙」、今年の年頭所感で触れる一言である。人との縁をはぐくみ、実り多き一年にしたい。