THE RUNNING 走ること 経営すること

Running is the activity of moving and managing.

克己

f:id:runavant:20260510112337j:image

 母の日を理由に、実家のある古河に足を運んだ。超高齢になり、ほとんど言葉を発することも難しくなった父が、なにやら言いたいことがあるらしい。孫のことか、妹弟のことか、なにか気になっていることがあるのだろう、なにかしら言葉を紡ぎ出すことを待った。

 なんと、会社の株価、業績、そして経営者としての私に対する指摘であった。父は私の経営者としてのコーチである。格好をつけずに、ありのままの経営者の苦悩や理想を見せ、基礎から徹底的に叩き込まれた。不思議なほど上から目線の指導は一切なかった。あくまで、本質的な問題点を指摘して、行動を促す。そんなスタイルだ。若い頃は酔っ払い同士でぶつかり合って激しい口論をするようなこともあった。そんな時でも、決して上から目線ではなかった。

 こちらも、私が生まれた時から、かれこれ60年の付き合いである。人間としての私を熟知している。そんな父が、どこかで私が話をしている動画を見たらしい。それを見て、「いかん」と感じたのだそうだ。公器としての会社をつくると言ってきた人間にもかかわらず、会社を私物化しかけているように感じたという。

 私物化とは、個人的な野心の実現手段として会社を使うというようなニュアンスだ。公器の経営とは、あくまでも、会社を社員や社会のために活かすための経営に徹するということ。そのつもりでやっているつもりが、どこかで手段と目的をかけ違うと私物化のように映る。

 この半年の間で、自分自身その状況を検知して補正を進めている。このようなズレは、どれほど周囲からのチェック機能を整備しても、自分自身で自覚しなければ補正できない。人依存のガバナンスは機能しないことを痛感し、統制のためのプロセスを整備してセルフガバナンスを強化することを徹底しようと大きく舵を切っている。

 ちょうどそんな大きな問題認識を経て解決アクションを進めている自分に対して、文字盤をつかって、指で指しながらでなければ会話できない父が、ズバリと核心をついてきた。感嘆と尊敬と感謝が混じり合った感情を覚えた。

 私の経営者としての自己統制をゆがめる要素は、過去の成功体験と市場からのプレッシャー、そして間違った美学である。成功体験については、自分と事業の関わり方を変えることで捨てることにした。市場からのプレッシャーは、本源的価値という自社の値決めにより振り回されないようにした。もちろん、株価を放置するという意味ではない。貧すれば貪するならぬ、比すれば貪するということにならぬようにするものだ。

 最後の間違った美学についてはなかなか難しい。昔から、自己満足的美学に拘泥して失敗を繰り返している。この点は、内観を通して、美学を磨き続けるしかない。とはいえ、父の心眼、「いかん」という直感を自らの中にしっかり引き継いでいきたい、そう心から思った。

 父の座右の銘は「克己」である。克己が精神の自立をつくり、精神の自立が健全なセルフガバナンスをつくり、健全な自己統制が、実効性のあるコーポレートガバナンスをつくる。ということである。

MAKE TOMORROW!